第17話 現地住民の視点4

 スピノと別れた後、オルタレーネは街へと連行された。


 いや、連行というと聊か語弊があるか。


 彼女を案内した“群れ成す人々”の冒険者はとても紳士的で、体格も何もかも違うオルタレーネに対し常に気を使ってくれていた。彼らも、スピノの関係が気になっただろうに、消沈した彼女の気持ちを慮り、訪ねる事はしなかった。スピノの思う以上に、彼らは情に厚い人々だったという事である。


 しかし流石に、彼女を街へと導いた後、応対する事になった責任者達はそうもいかない。


 彼らはさっそくオルタレーネに事情を問いただそうとし、しかしその前に街の主婦会にたたき出された。


 オルタレーネが身に着けているのは、布を糸で縫い合わせただけの粗末ななりである。年ごろの女の子にそのような格好をさせた揚げ句、大の大人が取り囲んで尋問するとは何事か、というのが主婦会の怒りの理屈である。


 急な展開故、街の権力者に平等に情報がいきわたった故のトラブルであった。しかしながら主婦会の言う事ももっともであり、しばしオルタレーネの尋問は棚上げになり、半日ほど彼女は主婦会の手であれこれ着せ替え人形状態となる。なんだかんだでその間に気持ちも落ち着いたようで、二連太陽が傾き始める昼下がりに街の会議室に出頭したオルタレーネは、いささかさっぱりした顔をしていた。


 ちなみに今の彼女は街一番の喫茶店のウェイトレス衣装を着ていた。何故そういういきさつになったのかさっぱり分からなかったが、似合っているのは確かだった。


「ヲホン。先ほどは失礼した……私はこの街の領主代理をしている、青犬のマクガという。よろしく、お嬢さん」


「はい、マクガさん。私はオルタレーネ。オルタレーネ・ヴァン・バーシスト。今は見ての通り、唯の小娘でございます」


 名を名乗り見事なカーテシーを決めるオルタレーネの姿に、会議室に集まった一同が騒めく。「バーシスト? ノルヴァーレ帝国の貴族だな……」「アルカレーレ人だからまず間違いなくノルヴァーレ関係だと思ったが、まさか貴族令嬢だったとは」「いやしかし、何故貴族子女があのような格好をする目に?」ざわつく男達だったが、ギン、とにらみを利かせる三毛猫の女将さんの一瞥をうけて静まり返る。短い間に、オルタレーネはすっかり主婦陣と仲良くなってしまったようだ。


 別にオルタレーネを尋問するとかそういうつもりは無いにしろ、ちょっとやり辛いな、とマクガは冷や汗を流した。彼の家庭はカカア天下なのだ。


「ありがとう、オルタレーネさん。貴女にはいろいろと聞きたい事があるんだけど、まあ順を追っていくことにしよう。それでまあ、我々としてはね。君達アルカレーレ人には含むところはないんだ。帝国とは友好関係でも敵対関係でもない、何せ遠い北の国の話だからね。だからまず、そこが気になるんだが……何故、こんな南の地まで来たのかね?」


 オルタレーネの身体的特徴は、一部を除けばアルカレーレ人と呼ばれる有翼人種のそれだ。そしてアルカレーレ人は北のノルヴァーレ帝国に引きこもり、出てくることは基本的に無い。ノルヴァーレ帝国以外にアルカレーレ人が全くいない訳ではないが、多くの場合彼らは奴隷として扱われている。自由に出歩ける身ではない。そのあたりは歴史の話になるので長くなるが、端的に言えばアルカレーレ人は被差別階級だった歴史があり、その事から非常に排他的かつ孤立主義である。多くの種族はアルカレーレ人を知らず、そしてアルカレーレ人も多種族を知らぬまま生きて死ぬ。そのアルカレーレ人の旅人など、何かの爆弾と同義語だ。


 そしてオルタレーネの名乗りは、ノルヴァーレ帝国における大貴族との関係を示している。最悪の場合外交問題に発展する恐れがある以上、そこをまずはっきりさせておく必要があった。


 マクガの質問に、オルタレーネが困ったような顔をする。女将の視線の温度がまたさらに下がった。


「ええと……その。それを説明するには、まず、私の顔について、話す必要があるのですが……」


「顔? ……ああ、聖印の事かね?」


「聖印、ですか」


「ああ。我々“群れ成す人々”にとって、女神の似姿を持って生まれてくる事は大いなる祝福だからね。……ああ、そうか。アルカレーレはその歴史から、女神への崇拝を拒絶していたな。そうか、それで……。安心したまえ。我々は君の持って生まれた特徴で、君を排斥する事はしないよ。それだけは約束する」


「……ありがとうございます」


 言葉ほどに安堵した様子をオルタレーネは見せなかったが、しかしすぐさま自分がどうこうされる訳ではない、という点においては一定の信頼を得られただろう、そうマクガは見て取った。


 今はそれでよい。少なくとも、こちらに歩み寄るつもりは見て取れる。


 しかし、とマクガは得られた情報を手早く整理した。


 貴族の身でありながら、排斥される容貌をもって生まれてきた子女。さぞ生きづらかったのだろう事は憶測に容易い。その結果、ついには実家を捨て、女神信仰の地に新天地を求めるというのも、ごく自然な流れだ。確認は必要だが、概ね間違っていないだろうとマクガは見立てた。


 とはいえ今、この場で問いただすのは少し危険だ。先ほどから目をギラリと光らせる女性陣の視線に背筋が泡立つ。聖印持ちは女神信仰者から無意識に好意を抱かれやすいというが、流石にここまで露骨に効果があるとは思わなかった。不思議な話である、女神の顔立ちというのは、元来この世界に生きているどの種族とも大きくかけ離れている。共通点といえば目が二つで口が一つ、ぐらいのものだ。にも拘わらず、女神を信仰する者は皆口をそろえて「美しい顔立ち」だというのだ。かくいうマクガ自身、オルタレーネの容貌に魅入られている自覚がある。


「ふむ。どうにもなかなか繊細な事柄になりそうだ。その話はまた今度にしよう。ああ、でも一つだけ。……ノルヴァーレ帝国の軍事行動に絡む、そういった案件ではない事は保証してほしい。我々も、かの国と揉め事を起したくはないのだ」


「それは、保証します。ノルヴァーレ帝国の正規の軍事行動に絡む話ではありません」


 つまり、それは非正規活動には関係するという事か。マクガは厄介そうな話だなあ、と内心ため息をついた。とはいえ、正規の活動でないのならどうとでもなる。仮に帝国が彼女の扱いについていちゃもんをつけてきたとして、もともと国交がないのだから大した事はできない。万が一、彼女の命目当てで軍を動かすような事態になれば話は別だが、いくらなんでもそこまで愚かな者が統治するような国が、北方の厳しい環境と周辺を敵対国に囲まれた状態でこれまで生き延びてこられるはずもない。


 故に警戒するべきは少数の暗殺者とかそのあたりだが、何、そんなものは特筆すべきような問題ではない。セルヴェはセルヴェで様々な問題と直面している、今更である。むしろオルタレーネをそちらの問題に巻き込まないか、その心配の方が先だった。


「なるほど。大体分かりました。それで次に聞きたい事なのだが、我々にとってはこちらのほうが切羽詰まった深刻な問題でね。君を街まで連れてきた冒険者から聞いたのだが、君が湖の竜と近しい仲、というのは本当かね?」


「竜……。スピノ様の事ですか?」


 ぴた、と会話を記録していた筆記の指が止まる。マクガが視線を向けると、筆記は慌てて記録を再開した。


「失礼」


 一度顔をオルタレーネから逸らし、マクガは一度眉間を指で揉みこみ、再び向かい合った。


「スピノ、というのかね、あの竜は。……一体どこでその名前を?」


「本人から教えていただきました」


 今度こそ明確に会議室が騒めいた。静かに、と白犬のウォルターが注意し、すぐに静寂が戻る。


 言葉をしばし選び、マクガは質問を重ねた。


「我々の認識では、スピノ、とやらは言葉を話せない、そう思っていた。それが違うという事かね?」


「いえ、スピノ様は確かに言葉を話せないようでした。ただ、唸り声と吐息で、私に名前を伝えてきたのです」


「ふむ……?」


 いまいちピンとこないが、そこはあまり大事な点ではない。


 重要なのは二点。スピノというらしい竜が言葉を喋れない事、そして喋れないなりに意思疎通を図る知性があるという事だ。


 やはりこれまでの観察で得られた推測通り、非常に高い知性を持っているのはほぼ間違いないようだ。


「話がそれたな。何故、君はスピノと行動を共に?」


「その……湖の畔で追っ手に追いつめられた時に、彼に助けられたんです。いや、あれはどうなのかな……。突然背後から湖に引きずり込まれて……気が付いたら、彼の住処で寝かされていたんです」


「ふむ。……その住処に焚火はあったかね?」


「あ、はい。ありました」


「そうか。となると、彼の住処というのはどこか湖の畔なのかね? それだったら我々がこれまで発見できなかったのは妙だな」


「ああ、いえ。違います。何か、古代女神教の神殿みたいなのがあって、そこを住処にしているみたいです」


 バキィ、と木の砕ける音が響いた。


 一同が揃って書記に目を向ける。彼は腕の中で割り砕いたペンと皆の間で視線を往復させて、「すいません」と頭を下げて新しいペンと交換した。まだ新品のペン先に、ちょいちょいとインクをつけるのを横目に、再び質疑応答が開始される。


「失礼した。……神殿? あの湖に?」


「はい。相当に古い物みたいでしたけど……ご存知ない?」


「寡聞にして聞かぬな。いや、そもそもあの湖は巨大な怪物が多数生息していて、地元の者でも迂闊に近づかないのだ。一応、このあたり一帯の水源として敬われてはいるが……そうか」


 納得したようにうなずきながらも、マクガの指先は細かく震えている。


 女神教の古い神殿? もしそれが本当ならばとんでもない事だ。伝承でも、サハラの湖にそんなものがあったという記録はない。もし実在するのならば、考古学の常識を揺るがす大発見だ。さらに人の手が入っていない未知の遺跡ならば、喪われた情報も存在するかもしれない。


 同時に、スピノの存在にもある程度の納得もいった。恐らく、その神殿を住処にしていた神獣が何かのきっかけで活動を再開したのだ。あるいは、何かしらの封印がかけられていて、それが解かれたのか?


 ただそうなると、言葉を介さない、というのがひっかかる。神獣は例外なく万物と会話が可能であるというが、スピノとやらはその意思があってもできないのだという。


 そもそも神獣ではないのか? それとも神獣は皆意思疎通ができるという話そのものが真実ではない?


 情報が足りない。


 結論は急ぐべきではない、とマクガは自省する。


「なるほど。どうやら、我々も知らねばならぬ事が多いようだ。しかし、それでどうしてこの街に? 君にとっては異郷の地、という点では何も変わらぬだろう」


「スピノ様の意思です。彼は、私が神殿に留まる事を良い事だとは思っていないようで……。私の事が邪魔だったのでしょうか……」


「ふむ。そうだな、私から言わせてもらうと、仮に神殿があったとしてもサハラの湖は人が棲む場所ではないよ。君はスピノに守られていたから知らないだろうが、あそこは本当に危険なんだ。過去50年の間、何人もの冒険者が船を繰り出してサハラの湖を探索したが、沖合までいって生きて帰ってきた者は一人もいない」


 そして、スピノとやらはその湖に犇めく怪物どもを物ともしないどころか、逆にエサにしている。俄かに信じがたい事だが、とマクガは歯噛みする。


「スピノからすれば、我々群れ成す者も、君達アルカレーレ人も似たようなものだろう。いつ怪物に襲われるか分からない湖に置いておくより、同類の所に君の身をやったのは、間違いなく親切による行動だ。君が嫌われている訳ではないと思うよ、私は」


「そうでしょうか……?」


 問い返すオルタレーネの声には張りがない。後ろで見守っている女将のきつい視線から目を逸らし、マクガは話を切り上げる事にした。


「さて。質問はこれぐらいにしておいて。オルタレーネさん、君はこれからどうしたいかね?」


「これから、ですか」


「先ほど言ったように、我々は君を追い出したりするつもりはない。君が平穏な生活を得られるように、可能な限り協力するつもりだ。とはいっても、貴族出身の君を満足させるような優遇処置は出来かねるがね。それを踏まえた上で要望はあるかね?」


「えっと……それは……」


「何言ってるんだい、オルタレーネちゃんはうちで働くに決まってるんだわ!」


 大声で言い出したのは、三毛猫の女将さんだ。ええ? と困惑するマクガの前に、熊と見まがうような体格でノシノシ出てくると、オルタレーネを背後に庇うように立ちはだかる。当のオルタレーネすら困惑しているのを置いておいて、彼女は決定事項のようにマクガに言い切った。


「オルタレーネちゃんは、うちの喫茶店で働いてもらうわ! これは決定事項よ!」


「いや、そんな事いわれても。っていうか、まさかあの衣装着せたのそのためだったのかぃ?」


「え、あ、いや。その……おばさん?」


「いやよオルタレーネちゃん、おばさんなんて他人行儀な! マリサさんと呼んでちょうだい!」


「えと、マリサさん……??」


「はいよ! とにかくオルタレーネちゃんは私らが預かった! 聞いてれば国の都合がどうの貴族がどうのスピノ様がどうの! こんな若い娘を大の大人が寄ってたかって恥ずかしいとは思わないのかい!」


「い、いやしかしだねマリサ。彼女を庇う事は場合によっては街全体の問題にだね」


「場合によっては、ね! でどうなんだい実際の所。ここで私に食って掛かるような問題はあるのかい!」


 きしゃあ、と牙を剥いて威嚇するマリサ。正直乱れ毛皮よりおっかないよ、というのがマクガの本音である。


「な、無いけど……」


「ならいいじゃない! 全く。……オルタレーネちゃん。私にはわかるよ。あんたの手は苦労をしっている手だ。冷たい水で荒れて、慣れない仕事で擦りむいた手だ。あたしたちと同じ手だ。貴族様だってのにそんな手をしてるなんて……苦労したんだねぇ……」


「え、あ……。……は、はい……」


「これからは大丈夫だからね。私らが守ってあげるから。めんどくさい事情なんて街の男どもにみーんな投げちまえばいいのさ。これまで苦労してきたんだから、これからは楽にすればいいのさ」


「おば、さん……」


 頭三つほどオルタレーネより大きい三毛猫のマリサが、柔和に微笑んでまるで宝物を包むように、彼女の翼手を優しく抱きしめた。


 自分の手を優しく包む毛むくじゃらの手に、戸惑ったようにオルタレーネの瞳が揺れる。先ほどまで屹然と質疑応答に対応していたのが嘘のように言葉に戸惑う彼女に、優しく語り続ける。


「だから、マリサさんでいいってば、ね? ほら、あとの事はこいつらにまかせて、あっちで暖かいものでも飲みましょ、ね? ほらほら、こっちこっち」


「あ、その、マリサ……勝手に話を進めても……」


「何 か 問 題 が あ る の か い ? ?」


「アッハイありません失礼しました」


 首だけで振り返った視線は修羅のソレだった。マクガは即時撤退を決定。周りもそれに追従した。


 子を守る時の親ほどおっかないものはない。血がつながっているかいないかは些細な事である。


 オルタレーネの背を押してノシノシ会議室を後にするマリサにため息をついて、マクガは残った一同と目を合わせた。


「仕方ない。聞き出せた情報を一度整理しよう」


「いいのかい、好きにさせて」


「別に問題がある訳じゃないし、いいさ。それに彼女の言う通り、年若い娘を大人がよってたかって突きまわすもんじゃないよ。あれで道理は通っているのさ」


「まあ、それはそうだが……」

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