第15話 蓼食う竜も好き好き
ここに来るのは数日ぶりか。いや昨日こなかっただけか。
巨大な木と、豊かに実った果物を見ながら感慨にふける。なんていうか、しばらく来ていなかった気がするのだが、冷静に考えると48時間もたっていないはず。これまで単調なルーティーンに従って生活していたので、それが崩れただけでなんか気の持ちようが変わってくる。
いや、しかし前世の時計を持ち込んだわけではないので、この世界の一日が24時間であるとは限らないのではないか、と今更ながら疑問が浮かぶ。もしかすると本当にひさしぶりなのかもしれないが、これまで日の出に合わせて活動しておいてこの疑問は今更過ぎる。
考えてみると、言葉が通じないのもあってこちらの世界に来てからとんと他人と話していない、つまり私の考えは全て独り言の類なのだ。他者との関わりという刺激がなければ常識的な考えというものを維持し続けるのは難しい、というのを改めて実感する。
ここで刺激、というのは、自らの考えを改める、あるいは固持するかを選ぶ機会、という事で、自分の考えを全否定される環境は勿論、逆にヨイショするだけとかイエスマンしかいないとかそういう環境だとやっぱり人間は狂ってしまう。自分の考えが間違っているかも? と疑問すら抱かなくなるのは知的生命体として終わりだ。
何事もバランスというか、中庸であろうとする動きが大事なのである。
いやまた変な事を考えていた。
こんな事を考えているのも、あのコウモリ少女とのコンタクトが原因だろうか? 言葉が通じないなりにコミュニケーションを取ろうとした事で、相手の価値観と自分の価値観の比較評価が無意識にでも行われているのだろう。
見た所、コウモリ少女と私のそれに、大きな相違点は感じない。神殿の礼拝堂を見ていた時から思っていたが、この世界の知性の有り様は私の世界のそれとそう大きな違いはないようだ。少なくとも、神に生贄を捧げよとか、神の為に血を流せとか、トモダチハゴチソウ、みたいな相容れない考え方が主流、という訳ではないはず。
ただそれに油断してはならない、あくまでぱっと見近いというだけで、枝葉の部分で大きな違いがあるかもしれない。そして関係の破断はそういった枝葉の違いでこそ起きる者なのだ。他者にとって些細な事が、その当人にとっても些細な事であるとは限らない。
そんな事を考えながら果実を毟り取る。一つ丸かじりすると、爽やかで濃厚な甘みと酸味が脳に突き抜けた。塩も胡椒もない魚介類中心の食生活にあって、この果実はあまりにも刺激が強すぎる。三食これでもいいんじゃないかと思うが、美味しい物だけ食べるのは多分あまりよろしくない。
果実はまだまだたくさんあるとはいえ、受粉から可食可能なまでに熟するのにどれぐらいかかるかわからない。食い尽くしてしまったらそれで終わり、となっては困るので、バランスを考えると一日一食が限度だ。
そこでふと気が付く。こんなに美味い物、なんで他の生き物は食べないのだろうか。
ちらり、と視線をよこすと、離れた所には相変わらず監視の目がある。つまり、この果実の事をこの世界の霊長も把握しているはずなのに。
ああ、もしかして私が出入りしているからか?
どんなにうまくても、野生のヒグマが頻繁に食べにくる木の果物とかおっかなくて手を出す気にはなれないか。ひょっとしなくても私が食べにくるようになって迷惑をこうむっているのかもしれない。監視もそっちが主な理由だったりするのだろうか。
……なんだかとても悪い事をしている気がしてきた。だが、現状、私にとって安定した食料供給源はここだけなんだ。野生のスピノサウルスのする事としてどうか大目に見てほしい。
湖の中に小島でもあれば、種を持ち帰って自己栽培するのだが……いやそれも何年かかるかわからんな。桃栗三年柿八年、だったか? そう思いつきでどうにかなるものではないな。
そこでふと、拠点で待つコウモリ少女の事が思い返される。
そうだ。彼女の分も果実を持って帰るのはどうだ? 別にザリガニや魚が苦手、といった風ではなかったが、そればかりでも飽きるだろう。
それに湖の生態環境の事を考えると、貧栄養区の小ザリガニや魚を取りすぎると悪影響がでる恐れがある。かといって、湖沿岸でのピラニアシーラカンスとかを仕留めて持ち帰ろうとすると、血の匂いを嗅ぎつけてビッグザリガニが襲撃してくるのが目に見えている。だが、果物ならそんな事にはならないはずだ。
我ながら良い考えではないだろうか。
前世から人に送り物をするのは好きだった。推しの押し売りというか。たいていの場合、相手が乗ってくれる事はなかったが、今回はどうなるだろうな。
私はルンルン気分で帰路につく。帰り道は大体まっすぐ進めば、ある理由で神殿に必ず戻れるのでわき目も降らずに急いで帰った。
◆
ただいまー。
神殿の階段に身を引き上げ、ぶるぶる体を振って水気を払う。いや、普段はそんな事はしないのだが、今は同居人がいるからね。気を使う必要がある。
お土産の果実を片手でつかんだまま階段を昇る。
コウモリ少女は何をしているかな。
入口に顔を突っ込み中を伺うと……いた。部屋の隅で、何やら興味深そうに壁の彫刻を観察している。やっぱ気になるよね、あれ。
しかし、ちょっとほっとした。帰ったらもぬけの殻、とかもあり得ると思っていた。まあ彼女からすれば私は得体のしれない怪物だし別に変な話ではないのだが、この湖の真ん中で計画も立てずに飛び出したら溺れて死ぬかザリガニのエサだ。せっかく助かったのにそんな死に方をされては困る。
彼女はすぐに私が帰ってきた事に気が付いたようだ。とてててて、と走り寄ってくる彼女は、3mぐらい距離を置いたところで足を止めた。顔には恐怖のような負の感情は見受けられないが、どうしたらいいのかちょっと悩んでいるようだ。
まあ、そうなるよね。一夜を共にしたとはいえお互いになんだかよくわからない者同士だし。そこまで気やすい関係にはなれそうにもない。
だからこそ、友好的かつ紳士的に振舞うべきである。
相手がそれを返してくれるとは限らないが、そもそも優しさや真面目さが評価対象になるのはフィクションの世界だけだ。あくまで優しさと誠実さをもって対するのは人としての礼儀だ、スピノサウルスになってもそれを忘れたつもりはない。
『お、お帰りなさい……どちらへ?』
「グァーグ」
多分、おかえりを言ってくれているのだろう。唸り声で返事を返し、果物を差し出す。
コウモリ少女が金色の眼を見開いて果実をまじまじと見つめる。反応からしてこれの事は知らないらしい。
『あの、これは?』
おっかなびっくり皮をつついたりして感触を確かめている少女。私は果実に爪で切込みを入れると、両手でつかんで捩じるように千切った。アボカドの実を割って種をとる要領だ。半分こしたうちの片方を、少女に見せるようにむしゃむしゃと口にする。
そして、残り半分を少女に差し出す。金の瞳が、果実と私の口元を行ったり来たりする。
『ああ、食べ物……ですか? ありがとうございます』
おっかなびっくり受け取る少女。私からすると手ごろなサイズだが、彼女の体格からするとラグビーボールぐらいのサイズがある。
翼で抱えるようにし果実を支え、再度私の方を見る少女。私のほうはというと、半分にした果実なんか一口二口で食べ終わり、口元をぺろぺろ舐めているところだ。や、はしたないのはわかってるか果実が濃厚なので、洗うか濯ぐかしないとべとべとするのだ。
私が美味そうに食べているのを見て、ごくり、と唾を飲んだ少女が果実に視線を戻す。
すんすん、と香りを嗅いで顔をしかめる少女。あれ、こういう匂いは苦手だったか? 不安になりつつも見守る私の目の前で、少女はぱくり、と一口齧りついた。
『…………ウェ』
一言でいうと。
ゲロマズを食わされた反応だった。
果実を取り落とし、口に含んでしまった異物をげろげろと吐き出しながら咳き込む少女。私はというと慌てて彼女の体を抱え上げると、階段をダッシュで駆け下りた。階段のふちの彼女を下ろすと、コウモリ少女はたまらずといった様子で湖に顔を突っ込み、ざばざばと口をゆすいだ。上半身ずぶ濡れでなおもゲホゲホと咳き込む彼女に、今度は急いで礼拝堂に戻り、乾いたタオルで顔を拭いてやる。
『エホ……ッ! ヲゲ……ッ! す、すいません……』
咽ながら何か言っているが、謝罪か罵倒か、判別がつかない。
それにしても、なんという事だ。
一連の彼女の反応は、食べ物というより石鹸でも騙されて齧ったような反応だった。何故かはわからないが、彼女にはこの果実、美味しいどころか食べ物ですらないらしい。
おかしい。私には滅茶苦茶おいしかったのだが……いや、もしかして、私の味覚がおかしいのか?
前提を変えて考えると、もしかして。あの果実を他に食べる者がいなかったのは、単純にゲロ不味だからなの、か? 思えば、私が初めて見つけた時から、果実は大量に実っていた。現地住民も食べていたなら、もう少し収穫された痕跡があってもよかったのでは。いや、そもそも、鳥も虫も、果実に群がっているのを見た覚えがない。
冒険者クイズで、こんなのがある。森の奥で、動物もいない透き通った水場があったら、それは口にしてはいけない。動物も寄り付かない、苔も藻も生えないような水は、毒を含んでいる可能性があるから……と。
それと全く同じ話だったのでは。
たまたまスピノサウルスの肉体が大丈夫だっただけで、あれはこの世界の霊長には毒のようなものだったのかもしれない。
それとは知らず、迂闊な事をしてしまった。
幸い、口にしたのが一欠けらであった事もあって、少女の体に問題はないように見える。だが、あくまで無事に済んだだけであって、私のせいで彼女は酷い目にあったのは変わらない。
少女から少し距離を取り、頭を下げて腹ばいになる。
そう。
DOGEZAである。
『…………? あ、あの、神獣様? そ、その姿勢は一体……?』
勿論、違う文化圏のコウモリ少女にこの姿勢の意味が伝わるとは思わない。
だが、無防備に頭と首を差し出すこの姿勢。そこに含まれる意味は伝わるはずである。
どうか、よしなに。……よしなに! お許しください!
『し、神獣様、意味合いはなんとなくわかりますから、その、どうかおやめになってください! 神獣様にそのように頭を下げられては、私、困ってしまいます!』
何やらコウモリ少女がワタワタと慌てている。どうやら、意味合いは伝わったようだが……困らせてしまっては意味が無い。私はおずおずと顔をあげ、真摯に感情をこめて彼女の瞳を見つめた。
悪気はありませんでした。ごめんなさい。
『そ、そのような目をなさらなくても……。大丈夫です、神獣様。あくまで私の為にやってくださったというのは、わかっていますから。あんなにおいしそうに食べていたんです、神獣様にはご馳走なのですね、これは。……ああ、言葉は通じていないのでしたか。どうすれば伝わるのでしょう……?』
謝意は伝わったような感じなのだが、コウモリ少女は何事か呟いたのちに、ふぅ、とため息をついた。
……まあ、うん。悪意はなくても毒を差し出されたらため息の一つもつきたくなるよねごめんなさい。
今後気をつけなければ。というか思えば初日にザリガニ肉オッケーだったのがただの幸運だったように思えてくる。あそこで果実とか差し出してたらどうなってたやら……。
ちゃんと推測するための情報はあったのに、考察を怠った私のミスだ。命に関わる事にならなくて済んだのはただの幸運にすぎない。
「ググゥ……」
『ああ。やっぱり気になさりますよね……どうしたらいいのでしょうか……? ……あっ、そうだわ』
気まずい気分で佇んでいると、不意に少女が「良い事を思いつきましたわ!」といった感じに翼を合わせ、床に転がっている果実を拾い上げた。
ニコニコしながらそれを私の元に持ってくる。
投げつけられるのだろうか? いや、そんな風に悪し様に考えるのはよくない。もしかして仲直りの印として私にくれたりするのだろうか。
意図が掴めず、何されても受け入れるつもりで彼女の様子を見守っていた私は、次の瞬間ド肝を抜かれた。
ぱくり、と。
少女はゲロマズなはずの果実を再び口にしたのである。
「ゲェッ!? ペッ、ペッペッ! ペッ!」
これには私もビックリ仰天。あわてて担ぎ上げて水辺に連れていくが、さっきと違ってコウモリ少女は吐き出そうとはしない。顔をしかめながらも口をもごもごさせる彼女に、ペッしなさい、ペッ! と必死に伝えるが、彼女はそれに答える事はなく……。
ごくん、と喉が嚥下する。何を飲み込んだかは言うまでもない。
茫然と見守る私の目の前で、コウモリ少女はひきつっているものの笑顔を浮かべ、あーんと口の中を見せつけてきた。
口の中は綺麗なピンク色。歯並びは綺麗で、犬歯だけがちょっと尖がっている。そんな口の中に、食べ残しは見当たらない。
『ほら。大丈夫、食べられました』
「グ、グルゥ…………」
なんというか。
これには流石にあっけにとられた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます