第14話 スピノコミュニケーション


 一夜が明けた。


 遠くから、二連太陽の強烈な朝日が顔を出そうとしている。嵐の翌日という事もあって空には雲一つなく、太陽が出ればたちまち気温が急上昇するだろう。


 私は小さくあくびをして身を起こした。礼拝堂を見渡すと、すっかり消えてしまった焚火の跡がのこっている。つもった灰の塊を一瞥して、私は目を瞬かせた。寝たような気がしない。


 いやまあ実の所、一睡もしていないのだが。うとうと止まりで、意識はずっと起きていた。


 言うまでもないが、寝込みを襲うのはジャイアントキリングの十八番だ。ヤマタノオロチも酒呑童子も、酒に酔っていたとはいえ寝ているところを襲われて敗北した。モンスターパニックでも、油断しているところで寝首をかかれて駆逐された怪異は数限りなくいる。


 多少の友好関係のアピールが出来たとはいえ、コウモリ人の少女に隙を見せる訳にはいかなかったのである。そもそも、あの子が追われていた事情を私は知らない。彼女が重犯罪者であり、他人の命を何とも思わない殺人鬼である可能性だってあるのだ。


 まあ、なんか、こう。考えすぎでは? という気持ちもしてきたのだが。


 そのコウモリ人の少女は、今は礼拝堂の片隅でくぅくぅと小さな寝息を立てている。まあ、見た所追っ手に追われて逃避行、といった感じだったし、お腹がいっぱいになって尚且つある程度の安全が確認出来たら眠くなってくるのは道理である。それはそれとして、正体不明のスピノサウルスの横で熟睡できるのは大物すぎる気がする。ちゃっかり乾いた衣服を回収して着込んでるし。思っていたよりも図太いな、この子。


 あくびをかみ殺しつつ、朝日の日差しを遮るように背びれの向きを調整する。昨晩が割と冷え込んだのもあるが、二連太陽の朝日はちょっと強烈すぎるのだ。寝ているところにいきなりハイレーザーを照射されたようなもので、目は覚めるんだが鮮烈すぎて寝起きにあまりよくない。見た所大分お疲れのようだし、もうちょっとコウモリ子を寝かせておきたいという親切心である。


 太陽が完全に地平線から顔を出した途端、コォォオオ……という効果音でも伴っていそうな勢いで差し込んでくる朝日。その強烈な日光を背びれで受けて、だるかった体に活力が急速チャージされていく、ような気がする。人間のころに徹夜はなんどもしたことがあるが、変な疲労感とかあって大分つらかったのを考えるとほんとこの体はタフである。


 まあ考えてみれば普段から人間の習慣でたっぷり8時間ぐらいの睡眠を取ってはいるが、野生動物というのは完全に無防備な時間である睡眠時間を極力減らすように生きている。キリンだっけか、一日当たり数分の睡眠でも大丈夫と聞くからには、スピノサウルスとて一徹ぐらいなんともないのだろう。たぶん。


 とはいえ肉体的には大丈夫でも意識的には結構辛い。どこかで一時間でいい、仮眠したいところだ。


 そうやって今日の予定を考え込んでいるうちに気温が上がってくる。朝日を遮られていても暖かくなってきたせいか、コウモリ子がむぐむぐ言いながら起き上がってきた。寝ぼけているのか、とろんとした目つきで周囲を見渡して何ごとかぼやきつつ、毛布から這い出すと何やらどこかへ歩いていこうとする。


『ギレル……? ギレル、どこにいるの……?』


 どうみても人事不詳だったので、こけたり神殿の外に転がり出ないように尻尾をつかって移動を遮ると、何を思ったのかそのまま私の尻尾に抱き着いて二度寝を始めてしまった。


 あらやだマジですか。今までどうやって生きてきたのこの子。


 振り落とす事もできずひたすら困っていると、流石に何か違和感があったのか今度はすぐに目を覚ますコウモリ子。じぃ、と私の鱗に覆われた尻尾を観察していたかと思うと、急に弾かれたように後ずさってそのまま座り込んでしまった。


 ぶんぶんと首を振るような勢いで周囲を見渡した視線が、とりあえず様子を見守っていた私のそれと重なる。


 やあ、と手を掲げてみる。


 エビのようなバックステップで距離を取られた。ショック。


 目を白黒させている少女だが、やがて段々昨晩の記憶が戻ってきたのだろう。何度も周囲を確認し、自分の身なりを確認しているうちに落ち着いてきたようだ。そのうち彼女はおずおずと私の近くに歩み寄ってくると、何事か言いながら胸の前で翼を組み、膝を折って祈るようなポーズをとった。相変わらず何を言っているかわからないが、意味合いは分かる。それは間違いなく、謝罪と感謝の意だった。


『さ、昨晩はありがとうございました……』


 驚いた。思っていたよりも随分と理知的というか……状況証拠で私が助け舟を出した、という解釈に思い当たったらしい。


 しかし残念ながら、私も彼女に通じる言葉は喋れないし、どういう仕草を返せば誤解なく意思を示せるかわからない。とりあえず意味が通じればいいな、あるいは変な意味で取られなければいいな、と思いつつ、こくり、と頷き返した。


 果たして意味合いは通じたのか。


 確信はなかったが、こちらを見る少女の顔がぱあっと明るくなる。私に意思が通じると見たのだろう、彼女は堰を切ったように何ごとかを捲し立ててきた。


『や、やはり明確に意思を持った存在なのですね?! 私を助けてくださったという事は、もしかしてギレルもいっしょなのですか!? ギレルはどこですか!? 私と近い年ごろの、同じアルカレーレ人で! あ、でも私と違って女神憑きではない普通の顔の!!』


「グ、グァゴォ……」


 怒涛の勢いに押し負けて思わず仰け反ってしまう。


 血相を変えて捲し立ててくるコウモリ子の様子は尋常ではない。質問の嵐、という感じだ。切羽詰まった顔色からして、私の存在に対する好奇心とかではあるまい。もしかして……他に同行者がいたのか?


 だが、私が見つけたのはコウモリ子だけだ。言葉がしゃべれない以上はジェスチャーで伝えるしかないが。


 両手で優しくコウモリ子を押しやる。そしてまず指先で床を叩き、私と、コウモリ子を指し示す。それを数度繰り返す。


 ここ。私。君。それだけ。


 3回ほどゆっくりと繰り返すと、意味を理解したのだろう。コウモリ子の顔に納得と、後悔か不安か、あまりよくない感じの顔色が浮かぶ。ぺたん、とその場に座り込んでしまう彼女。


『ああ……そんな、ギレル……』


「グルル……」


 顔を翼で覆い、さめざめと涙を流す少女。


 ……別に、悪党だって情はある。誰かを思って涙を流したからと、この少女が善人である保証にはならない。


 だがそれとは別に、女の子の涙とは、見ていてあまり気持ちの良いものではない。


 私は礼拝堂の片隅に転がしてある木箱を漁り、その中にあった小奇麗な小さな布を爪先にひっかけるようにして取り出した。この世界にもどうやら存在するらしいハンカチを、涙する少女にゆっくりと差しだす。


『………あっ。……あ、その。ありがとうございます……』


 差し出された爪先、それに驚き。ついでそこに乗っている布に気が付いた彼女は、受け取ったハンカチで涙を拭った。悲しみは消えていないようだが、顔を拭って気持ちがひと段落、整理ができたのだろう。ハンカチを握りしめる彼女の顔は、こころなしか少しすっきりしているように見えた。


『お手数をおかけしました……。この湖の神獣様であらせられると、思うのですが。あの、貴方は、やっぱり私の言葉が……?』


「??」


『やっぱり、通じてない、か……。でも、こちらの意図を察するだけの知性がある……? 神獣様は、産まれながらに万物と意思疎通ができるというけど、この方は違うのかしら……?』


 私を見ながら何ごとか呟いているコウモリ子。


 言葉が通じればよかったのだが。異世界転生ってこういう場合、デフォルトで翻訳が備わってるものじゃないのだろうか。いやまあ、スピノサウルスの声帯で言葉をしゃべれるかは大分あやしいが、聞き取る事もできないのは大分困る。


 まあいい、今考えても仕方ないことだ。


 しかしなんていうか、随分と肝が据わったお嬢さんだ。スピノサウルスは全長14m、全高5m近くになる超巨大生物だ。普通に考えてそんな巨大で、言葉が通じない怪物がすぐ近くにいればもうちょっと怯えたり恐れたりするのではないか? いやまあ、本当に怯えたり逃げまどったりされたら私も傷つくけど、ねえ。


 それともこのあたりにはいないだけで、彼女からすると私ぐらいのサイズの生き物はそう珍しくはないのだろうか? どこかから逃げてきたようだし。


 まさかハンカチ差し出されただけで紳士認定とか、そんなちょろい事はないだろうし。


 じっと見つめてくる少女の視線に、どうにも居心地の悪さを感じる。私の事を観察しているのだろうか? それならそれで、都合が良いともいえる。いまのうちにこの拠点でのルールを教えておくべきだ。


 そう、ルールだ。守ってもらうような事は一つしかないけど、逆に言うとこれだけは守ってほしい。


 いわゆるお花摘みだ。水中を泳いで移動する以上、適当に催されるととても困る。


 一度拾った以上、すぐにハイサヨウナラとはいかないのは私だってわかっている。どのぐらいになるか分からないが、拾ってきた時点で共同生活は覚悟している。互いに不幸な事にならないためにも、しっかりと伝えておく必要がある。


 のそのそと礼拝堂から降り、階段に向かう。人種フリーな仕様の階段の半ばで一度足を止め、彼女の方に振り返る。おずおずと礼拝堂の扉から覗き込んできたコウモリ子は、なんだろうとこちらを見つめている。


 ある程度意図は伝わっているらしい。私はそのまま、一度湖に飛び込んで少し先にある廃墟の屋上に移動する。


 ここは神殿前の広場だったらしく、水中にはかつての集会場とそれに続く道が残されているのが見て取れる。そのうち、太陽の沈む方にむかって伸びる街道は、左右に大きな石柱がある程度原型をとどめた上で現存している。水上に飛び石のように突き出したそれを、バランスを取りながら渡っていく。


 その先には、いくつか大きな建物の廃墟がある。石造りのそれらのうち一つにたどり着いた私は、コウモリ子が変わらずこっちを見ているのを確認して、その場に座り込んだ。


 神殿から少し離れたこの場所を、私はトイレにしている。まあ、流石に女子の前で粗相するのは耐えられないので、形だけだ。形だけ。それでも多分意味合いは通じると思うのだが……いや、どうだろう。


 とはいえ、彼女も見た所文明人。そんじょそこらで適当に粗相をするとは思えないので、とりあえずこれを見せておけばそのうち思い至って従ってくれるだろう。


 しばらく座り込んだあとで、再び身を起こす。飛び石を渡って再び水中を泳いで渡り、神殿前に戻ってくる。


 礼拝堂の扉の前でこちらを見つめているコウモリ子に、わかった? っという風に声をかけてみる。


「グエッグェ……」


『ええと……。もしかして、トイレを教えてくれた、んですか……?』


 コウモリ子は渋い顔。意味が分からなかったのか、分かったので困っているのか、私からはちょっとわからない。人間の場合、どうやって赤子にトイレの概念を教えるんだったかな。良い年をして恋人もいない私の前世にはあまりにも縁が遠い話だ。


 まあいい。伝わらなかったら伝わらなかったで、そこらへんで適当に処理するような事さえなければよい。その時はまた注意すれば通じるだろう。


 とりあえずコウモリ子の知性を信じてこの話は終わり。


 空を見上げる。太陽は完全に昇り、気温がどんどこ上がってきているのが分かる。いつもならそろそろ朝食に出かけるところだ。


 コウモリ子を拠点に残していくのは少し気がかりだが、あっちだって四六時中、巨大な怪物に監視されていてはいい気分はしないだろう。


 再び階段を下りていく。途中でコウモリ子の呼び止めるような声が聞こえたが、別に今回は彼女に教える意図はないので無視。そのまま湖に飛び込んで泳ぎ去る。ちらり、と背後を確認すると、礼拝堂から所在なさげにこちらを見送るコウモリ子の姿が目に入った。不安そうにこちらを見つめている彼女の姿が見える。


 なんだろう。親から逸れた雛みたいな顔をして。なんだか無性に罪悪感で苦しくなるからやめてほしい。


 出来る限り早く戻ってくるか。私はそう決めて、太陽の位置を確認すると泳ぐ速度を上げた。

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