第13話 被害者Aと容疑者S
行きと違い、水上神殿に戻るのはある理由から迷う事はなかった。
出かける前に燃やした焚火はまだパチパチと燃えており、枝を追加すれば問題なく利用できそうだ。
嵐の湖で冷えた体を温めたいところだが、それより先にエルフ顔の介抱をしなければならない。口で咥えていてもわかるくらい、体温が低下している。もともと体温が低い人種なのだろうか?
焚火の横に毛布を敷き、エルフ顔を横たえる。
そこで改めて顔つきを観察するが、やはり美人だ。顔の造りは前世基準で非常に整っていて、金の髪は艶やかであり、睫毛も長くピンとしている。多少、肌が色白いというか、青い気がするが、コウモリ人、という事を考えればそんなもんだろう。腕が翼になっている事を除けば、多少背の低い美形白人、といった感じだ。鼻がそんなに高くないのが、元日本人としてはなんだか親しみを感じる。
さて、いつまでも濡れたままで転がしておけば、天の思し召しとは関係なく風邪をひく。この世界の医療技術がどのぐらいかは知らないが、少なくとも風邪から肺炎のコンボを食らったら現実でも大分致命傷だ。
まずは服を脱がせて濡れた体を拭かねば。
このスピノサウルスの指では丁寧に服を剥ぐのはなかなかの難儀だ。最悪、爪で切り裂いて引きはがすほかあるまい……そう思って手を伸ばした私だが、案外、簡単な造りの服に拍子抜けする。
貫頭衣というべきか。日本でも縄文時代はこんな構造だったと学んだような、長い布の真ん中に頭を通す穴を開けて、紐で前後を繋ぐような、そういう構造の服。考えてみれば、大きな翼をもったコウモリ人が、袖に腕を通すような服を着れるはずがない。
爪で前後を繋ぐ紐を切り、頭から服を引き抜く。ちょっと乱暴になったが、気絶したままのエルフ顔はちょっと呻いたくらいで目を覚ます様子はない。服をひっぺがした私は、念のため、水を大量に飲んでいないか、軽く胸に指をあてて触診した。
? 水は飲んでいないようだが……なんか、変な感じはする。やはり素人判断ではよくわからない。肺に水が入っていた場合、時間差で命に係わる事もあるらしいが……まあ、それこそ神のみぞ知る、だろう。
下は、どうやら普通にズボンのようだ。こっちは流石に、ずり降ろせばいいのだから簡単に脱がせられる。
切り裂かないように爪をひっかけて、えいしょ、と引きずりおろした。
そこで私はようやく、自分がある重要な視点に欠けている事に思い当たった。具体的にいうと、エルフ顔は特定の性別が備えている器官を備えていなかった。
「ゲ………ッ!?」
おんなのこだった。
しばし固まる。が、すぐに我に返り、いそいそと布をかぶせて裸体を隠す。
盲点だった。ここにきてから遭遇した霊長がその、あの二足歩行するデフォルメ動物な見た目で基本全裸だったので気にしていなかったが、服を着るって事は毛がない訳で、毛が無いって事は色々見えちゃうわけで。私自身、スピノサウルスになってからは全裸デフォルトだったのもあり、すっかり文明人の価値観を喪失していた。
いやいや、これは救命作業。救命という大義の前には、多少の接触とか見えちゃうのとかは仕方ない……いやそれでも訴えられたら負けるよね! だって救命作業が必要な状態に追い込んだの私だもの! ギルティ!
そんなこんなでしばらく自罰的感情で固まってしまったが、そもそも今は救命作業中であった事を思い出して手当てに戻る。仕方ない、本当仕方ない事で、悪気はなかったんだ。本当だ。
体が見えないように布で水気を拭いてやり、最後にいつもアイマスク代わりにしている毛布を被せて体が冷えないようにする。湖に漂っていた木箱から回収した日用品らしきものは私には小さすぎたが、コウモリ少女にはちょうど良いサイズだった。
はぎ取ったびしょぬれの服は、生地の繊維によっては焚火にあてて乾かすとやばそうなので、室内の適当な凹凸にひっかけて乾かすことにする。ちょうど、崩れた机の残骸が良い感じだ。皺にならないよう広げて干す。
一仕事終えて、さて、どうするかと頭を捻る。
見た所、水もそんなに飲んでないようだし恐らくそのうち目を覚ますだろう。たぶんだが、不意をうって襲い掛かってきたモンスターに丸のみにされるという恐怖体験で、水に引きずり込まれる前に失神していた、といったところか? 甘噛みとはいえ暴れる様子はなかったし。
水難事故で命に係わるのは、パニックになった犠牲者が暴れて水を飲んだり吸ったりしてしまった場合だと聞く。気絶していた彼女はほとんど水を吸わなかったのだろう、運が良い。
が、目を覚まして目の前にそのモンスターが鎮座していたらまあ、好い気分はしないだろう。少し席を外して、頃合いを見てまた戻ってくる方が良いだろう。離れている間に容態が急変するかもしれないが、私にそもそも出来ることはないし……それで命を落とすようなら、悪人だったので神の裁きが下ったという解釈になる。
指針を決めて立ち上がる。そういえば、朝ごはんも食べ損ねている。ここはそこらで手ごろなサイズのザリガニを捕まえてきて朝ごはんにしつつ、彼女の分の食料も確保することにしよう。
神殿を出て湖に潜る。すでに大分嵐の影響は落ち着いているようで、波も穏やかになってきていた。水中も相変わらず混濁具合が著しいが、有機物に極端に乏しい湖底はひっくりかえしてもヘドロも泥も出てこない様子で、細かい砂が視界の邪魔、という程度だ。普段どれだけ限界ギリギリでここの生き物が生きているのかよくわかる。
一応、視界の悪さに乗じてザリガニか何かに奇襲を受けるのだけは注意して進むと、視界の中にじたばたする赤い影が目に入った。
1m程のザリガニが、うねる水の動きに振り回されるようにして水中を漂っている。砂中に潜んでいる所を巻き上げられたか。
成長したザリガニに比べれば赤ちゃんのようなものだが、1mと言うと現実世界でいえば超大物だ。これ以上のサイズになるとホラ話になってくるレベルであり、人間の食べるサイズとしては十分すぎるぐらいだろう。
コイツに決めた、とわしづかみ。いやあ、スピノサウルスは前足も発達しているのでほんと色んな所で助かる。これがプレシオサウルスとかモササウルスだとそうもいかない。器用貧乏とも取れるが、生態系においては極端に特化した生態は時として自滅への袋小路だというのをつくづく実感する。少なくとも人間の知性を持っている私からすると、潰しの効くボディの方が有難い。例えば私がシャチボディで生まれ変わっていた場合、水中戦では無双できるだろうが24時間ザリガニの襲撃に怯え続けなければならないし、陸上の霊長ともコンタクトの取りようがない。水陸両用万歳である。
他にめぼしいものが無いのを確認して、急ぎ神殿に戻る。
階段に身を引き上げ、ザリガニの品質をチェックする。お腹は身が張ってプリプリとしており、めちゃめちゃ美味しそうである。客人に出すのはこの部分がいいだろう。一人で食べるには量がいくらなんでも多いので、あとは自分の分としていただくことにする。まずはハサミをちぎっていただく。このサイズだと殻をむいて食べるのも難しいので、丸ごとバリバリとかみ砕く。スナック菓子でバリボリしながら階段を上がると、小さな悲鳴が出迎えた。
どうやら、目を覚ましていたらしい。
焚火の近くに、毛布で体をくるんで座り込んだ小さな人影。コウモリ人の女の子は、階段を上って姿を顕した私に、恐怖と絶望に染まった視線を向けている。これまで接触してきた霊長の皆さんと違い、この子は人に近い顔の造りをしているので感情が非常に分かりやすい。ちなみに、瞳の色は髪の毛と同じ金色だった。
バリボリ、とザリガニを齧る口が止まる。ちょっとミスったかもしれない。
彼女の立場からすると、突然湖で巨大な怪物に襲われ、気が付いたら周囲を水に囲まれた廃墟に取り残されていた。逃げる事もできず、とりあえず何故かある焚火に当たっていると、そこに自分を襲った巨大な怪物がやってきたわけである。しかもその手には獲物が握られており、これ見よがしに引きちぎってかみ砕いて食べてる訳で、解釈次第では「美味しそうに食べてるでしょ? 数秒後のお前の運命です」ってなるのではないか?
というか、介抱されて焚火も用意されているので、「ああ、あの後誰かに助けてもらったのか」と安堵して救い主を待っていたら、怪物の方が戻ってくるとか上げて落とすにも程があるのでは?
いけない、配慮が足りなかった。
というか女の子の顔がヤバイ。今からシリアルキラーに遊び殺されますって宣告された被害者みたいな顔である。なまじ人類基準でも美少女といえる顔つきなので、ひたすら罪悪感が募るばかりだ。
だ、だが、大丈夫だ。挽回の手はある。その為のザリガニゲットだ。
ぶちぶち、と一番の食べどころである腹を胴体から引き千切る。びくぅっ! と反応する女の子に目を合わせないようにして、壁際によせた枝の山から適当なサイズのを一本選び、ザリガニ肉を串刺しにする。それをゆっくりと焚火で炙り、火を通す。できるだけ遠くから手を伸ばし、女の子には近づかないようにするのがポイントだ。
どうだ? と一瞬だけ女の子の様子を観察し、また目を逸らす。
確認した女の子は、鳩が豆ショットガンでも食らったような顔で、きょとんと私の方を見ていた。どうやら成功のようである。
言葉は通じないし、下手なジェスチャーも通じるかわからない。そんな時には、とにかく刺激せず、かつ敵意がないと分かりやすく示す必要がある。そしてその絵面が間抜けであればあるほど良い。
目の前で自分に極力目を合わせないようにし、かつ、何やら火を使って料理を始めた巨大怪物。映画であれば、視聴者は「あれ? なんかジャンル変わった?」と恐怖を忘れて困惑し始めるはずだ。
肉を火で焼く、という行動を示す事で、ただの怪物ではない知性を持ち合わせた存在である事を無言のうちにアピールする訳である。そして同時に、すぐに襲ってこない、という事を確信させれば、あちらにもいろいろ考える余裕が生まれるはずだ。
パチパチと焚火が燃える音をBGMに、静寂の時間が流れる。ザリガニの肉に火が通り、いいぐあいに殻も焼けてきた。食欲を誘う良い匂いが立ち込める。
ぐぅぅ、と小さな唸り声のような音が響いた。ちら、と視線を向けると、女の子が顔を赤くして伏せている。思わずブフゥ、と吐息を零すと、びくっと肩を震わせた女の子が泣きそうな顔で見返してきた。その表情にさっきまでの絶望に染まった悲壮感が無いのを見て取り、私も内心安堵する。空腹を恥じらえるぐらいには、落ち着いてきたようだ。
そうこうするうちに、何度もひっくり返して丹念に火を通したザリガニ肉が仕上がった。ジュウジュウとエビ肉汁を垂らすそれは、あとは塩さえあれば最高だろう。ここは残念ながら淡水の湖なのでそんなものはないが、まあ、そこは我慢してもらおう。
エビ肉を火からおろし、フウフウと息を吹きかけて冷却する。まあ、こんなもんだろう。
つい、とエビ肉を少女に差し出す。目を丸くする彼女に、ぐいぐいとエビ肉を押し付ける。しばらく困惑していた様子の彼女だったが、空腹には勝てなかったのか、両手(両翼?)でエビ肉を抱えるように受け取った。それを見て差していた枝を引き抜き、焚火に投じる。枝に塗れていたエビ汁が焚火の中でバチバチ、と爆ぜるのを見ながら、のっそりと壁際まで後ろ歩きで後退する。あとは、興味ありませんよー、気にしてませんよー、といった感じで目を閉じる。もちろん、耳は限界まで聞き耳を立てている。
狸寝入りをした私に、少女も状況が理解できずに困惑しているのか、長い間身じろぎもせずにエビ肉を抱えていた。が、そのうち空腹には勝てなかったのか、はむ、と小さく肉を齧る音が聞こえてくる。あとはもう、勢いだ。若さと勢いにまかせてムシャムシャとエビ肉を貪る。
どうやら、相互理解の最初の一歩は越えられたようだ。狸寝入りのまま、私は心の中でガッツポーズした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます