第12話 怪物は人助けをしない


 私が神殿跡を拠点に活動するようになってしばらくがたった。


 経過日数の記録をつけていなかったので、正確な日数はわからない。まあ、それぐらいの期間、という事だ。


 その間に、ザリガニ戦で受けた傷はすっかり治癒している。不安だった炎症や化膿も起きなかった。陸上の乾燥した場所に滞在する事ができたからかもしれない。


 それも踏まえてみても、神殿跡は非常に拠点に向いた地形だった。


 正直あまりにも都合がいいので、神様か何かの介入を疑ったほどである。最初に発見した礼拝堂の他にもいくつか施設があり、その大半は水中に沈んでいたものの、水上に屋根が出て広場のようになっている場所が多数あった。そういった場所のうち、私が乗ってもびくともしない建物を選んで、今は様々な生活の場として用いている。


 一番ありがたいのが、トイレに使えそうな場所もあった事だ。元は回廊か何かだったと思われる柱の跡が飛び石状に続いた先にある崩壊した塔か何かの残骸。生活拠点からそこそこ遠く、石を渡って移動する事で水中を泳いでいかないでも済む為、排せつ物を投棄するのにちょうどよい条件が満たされていた。見た所、私一匹の排せつ物程度なら、水中の生物が綺麗に処理してしまえる程度のようである。考えてみれば、当然の話。湖には10m級のザリガニが大量に生息しているし、湖岸部にも2m級のピラニアシーラカンスが山ほど生息している。そいつらの排せつ物の量は、私の出すのとはくらべものにならないだろう。スカベンジャーの類は、普段気にしてないだけで山ほどいて当然だ。


 あとは……まあ、私のエンガチョを食べて育ったザリガニに、いつか水中に引きずり込まれないように注意する必要はあるかもしれないが……。


 生きていれば汚れは出る。その汚れをどうするかというのは、やはりなかなか難しい問題なのである。


 まあそんな訳で、朝は例の木の実を食べ、日中は湖を探索し、湖岸部でピラニアシーラカンスを捕まえて拠点に戻り、夜は石の足場で焚火を興しシーラカンスを焼いて食べる……。そんな文明的なスピノサウルスライフを私は満喫していたのである。



 そんなある日。


 私は、ゴウゴウ、ザアザアという騒音で目を覚ました。


「…………?」


 頭に被せていた布を払いのけて顔を起こす。寝ぼけ眼で布を折りたたんで壁の隅におしやり、私はのっそりと身を起こした。


「ギ、ギェ……アファ……ベベベベベベ?!」


 何の音だ……そう思って見渡そうとした瞬間に、強烈な雨風に晒されて思わず変な声が出る。叩きつけるような冷風、貫くような滴の殴打。寝ぼけている所にそんなものをいきなり食らってドタンバタン、ともんどりうった私は、壁際まで転がってようやく我に返った。


 ……雨だ。嵐といってもいい。


 それが、崩壊した屋根の隙間から寝床に吹き込んできている。あくまでごく一部がそうであるだけで、私は顔を上げた事で運悪く吹き込む雨風に自分から顔を突っ込んでしまったようだ。見れば床の一部と、礼拝堂中央の崩壊著しい石像に強く雨風が当たっている。これだけ風化が極端に進んでいる理由が判明した。


 首を振ってずぶ濡れになった顔の滴を払う。おずおずと出入口から外をのぞけば、それはそれで絶景が広がっていた。


 見渡す限り、鉄色の雲が重く立ち込め、世界の全てに灰色のヴェールがかかったかのようだ。吹き荒ぶ風と雨で視界は悪く、いつもの半分も見渡せない。強風によってか、いつもは穏やかな湖面は激しく波打ち、まるで大しけの海のように荒れ狂っている。


 この世界にも春の嵐っぽいのがあるんだなあ、という気持ちが半分、もう一つ、非日常にわくわくする気持ちが半分。


 不謹慎だが、子供っぽいが……嵐ってなんかワクワクするよね!


 私は部屋の隅にまとめて乾かしてある薪代わりの枝を集めると、部屋の中で火をおこし始めた。石造りの礼拝堂には燃えるようなものはないので火事の心配はない。今はこの風雨の中、暖を用意して備えておく事が重要だ。それに天井から雨が吹きこんだりして、礼拝堂の不快指数が急激に上昇している。火を起こして乾燥させよう、という訳だ。


 ほどなくして種火が灯り、薪がパチパチと燃え上がった。ゆらゆらと燃える炎で暖を取る。


 ちらり、と外に再び視線を向ける。


 ……波は荒れ狂っている。常識的に考えれば、こんな日に湖に出るのは自殺行為だ。


 しかし、神殿に食料の備蓄はない。多少の空腹は我慢できるが、この嵐がどれだけ続くかは分からない。見た所、これぐらいなら多分、スピノサウルスの体なら渡れない事はないし、今のうちに食料を確保しにいくのはありなのではないか?


 それに、危険というなら普段から巨大ザリガニやら何やらに襲われる危険地帯である事は変わらない。逆にこんな日は連中も大人しくしている可能性は高い。


 むしろこの体がどこまでやれるか、挑戦してみるよい機会なのではないか、という考えが頭に浮かぶ。未来永劫この湖で生きるつもりもないし、いつかそのうち海を目指す事もあるだろう。その時に備え、荒波に今から慣れておくのも必要なのではないか?


 頭の中で理論武装がちゃくちゃくと積み重なっていく。


 それにだ。


 嵐の湖で泳ぐなんて無茶な真似、人間の肉体であれば到底できない事……それを今なら試せるのだ。やらずに後悔してばかりの人生を振り返って、じゃあ、今回のスピノ生、どう生きたいか?


 脳内会議で決を採った私はむくりと身を起こし、荒れ狂う湖へと向かった。



 嵐の湖は、時折2m近い波が荒れ狂う、なかなかの激流っぷりだった。


 人間であれば忽ち波に揉まれ足を奪われ、水底に沈んでいくばかりなのだろうが……この肉体はスピノサウルス。むしろ襲い掛かる荒波をぶち抜いて前へと進んでいく。


 この状況で分かったが、この波の中でも鼻や気管に水が全然入ってこない。逆流防止弁のようなものが備わっているようだ。目の保護膜といい、こういうのは化石に残らないから、本物のスピノサウルスにも備わっていた可能性はわからないが、水中生活をしている生き物がこの手の器官をもっていないとは考えにくい。


 適応とは、棲むから備える、のではなく、備えていたから棲める、というものなのだ。


 また、強風荒波の中でもスピノサウルスの背びれは役に立った。何も考えずに立てていると風の抵抗やらなんやらで動きを損なうが、上手く風向きを理解して扱えばそれこそ帆船の帆のように水上での行動を加速できる。本物のスピノサウルスが嵐の日に狩りにいくかは置いておいて、この状況、背びれは時として足を引っ張り、時として助けになる、そんな具合になっていた。上手く使えるかは、私自身のおつむ次第、という事である。


 上等である。俄然やる気が沸いてきた。なんせ最近うっかりばかりしていて中身が人間だと胸を張れなくなってきているからして。


 そうやって荒波をねじ伏せ、肉体性能の限界と格闘していると、思ったよりも早く岸が見えてきた。色々挑戦した結果、いつもより速度が出てしまったらしい。


 嵐の中で、上陸地点の目標である大木を探す……のだが。


 おかしい。


 木が見当たらない。


 確かに雨風で視界は非常に悪いが、岸部が見えるぐらい近づけば見えないなんて事はないはずだ。晴れている時は、岸が見えるはるか前から見える訳だし。


 これはつまり……。


 道に 迷った。


 考えてみれば当然の帰結である。普段、太陽を目印に距離関係を把握している訳で、こんな嵐の中、波に揉まれていればいくら頻繁に往復している場所といえど位置関係を見失って当然である。肉体がスピノサウルスでも頭がボケすぎていては何の役にも立たないという証明がまた一つ積まれてしまった。


「ギュグゥ……」


 なんか こう 急にテンションが下がってきた。


 朝ごはんとかどうでもいいから、もう帰ろうか……そう思いながら岸を観察していると、ふとある事に気が付いた。


 人がいる。


 この嵐の日に、霊長にも随分と物好きがいるんだな……そう思って興味を抱き、もう少し近づいてみる。普段はこちらから距離を詰める事はしないようにしているが、この豪雨だ。背びれを水面に出さないよう立ち泳ぎすれば、あちらからはこっちが見えていまい。


 そうやって距離を近づけて、波の合間から観察していた私だが、数刻もしないうちに何やら様子がおかしい事に気が付いた。


 岸に居るのは四人の人。近づいて分かったが、頭身が随分と高い。いつもの小さな人々と比べると背は倍近く、おまけに足がすらりと長い。それだけ見ると私のよく知るホモサピエンスに近いように聞こえるが、まあそんな前置きを置く事から分かるように、明確に違う点があった。


 腕だ。あの小さな人達も、なんだかんだ人間のそれと同じような機能・形状の腕を持っていたのに対し、ここにいる人は親指以外の指が極端に伸び、その合間に皮膜が張られている。なんていうか、コウモリ人間? 的な?


 あの神殿の彫刻に、ハーピーみたいな鳥人間の存在はあった。彼らは、その蝙蝠版、といったところなのだろうか。


 顔の方はどうなっているのか興味深いが、残念ながら全員が頭にすっぽりとフードを被っており、その素顔はうかがえない。ただ、小さな人が裸体に布を巻き付けてる程度の装いであるのに対し、この四人はもっとこうちゃんとした、服、といえる物を身にまとっている。見れば服飾らしき装いもあり、随分と文明レベルが高いように見える。


 まあ、ここまでは外見上の特徴とか、そのあたりだ。様子が妙、と称したのは別にある。


 四人とはいった、うち一人は岸部に湖を背にする形で佇んでおり、残り三人はそれを取り囲むように立っている。両者の間には微妙な距離が保たれており、到底友好的な関係には見えない。人間関係に嫌気がさした私でもわかるぐらいにははっきりとだ。


 不意に、一際強い強風が吹いた。それに煽られてか、岸部に立つ人影が姿勢を崩した。その拍子に纏っていたフードが風に攫われて飛んで行ってしまうのだが、その下から現れたのは金色に輝く頭髪と白い肌だった。


 え、と我が目を疑う。


 腕のコウモリ具合から、耳の大きい豚顔を想像していた私からすれば、それは落雷にも等しい衝撃だった。


 後ろからなので詳細はわからないが、フードが飛んで行った際にチラリと見えた横顔は、確かに人間のそれとそっくりだった。敢えて言うなら、違いは耳がピンと長く、エルフ耳である事ぐらいか。


 ……コウモリでハーピーでエルフ耳? どんだけ属性多重搭載なのだ、なんていうトンチキな感想が頭をよぎる。


 ではもしかして、取り囲む方もそうなのだろうか。ここにきて急にホモサピエンスのそっくりさんとの遭遇にドキドキが隠せない。


 期待して見守る私の視線の前で、取り囲む方もフードに手をかけた。相手が顔を露にしたので、自分達もそれに合わせる事にしたらしい。フードの下から出てくる顔を想像して私は成り行きを見守った。


 が、またしても予想は裏切られた。フードの下から出てきたのは、毛深くて鼻と耳が大きいつぶらな瞳のコウモリ顔。多少、毛の色や長さが違うけども、三人とも似たような顔つきだ。


 がっかりすると同時に首を傾げる。じゃあなんで、一人だけ顔が違うんだ?


 私の呑気な疑問をよそに、両者の間に立ち込める空気は剣呑さを増していく。ついには、取り囲む三人が武器を抜いた。


 興味深い武器だ。一見するとレイピアに似ているが、コウモリの腕に合わせた独特の造りになっている。唯一人間のそれと似た造りの親指を通して安定させるリングらしきものに加え、翼を畳んで抱きかかえるように保持するためか、握手はやたら平べったく幅が広い。腰にしゃもじを差しているのかとおもったほどだ。レイピアなのも、握力が足りないので剛剣が振るえないため、刺突と速度で戦う為だろう。


 じり、と包囲網を狭めるコウモリ顔達。それに対しエルフ顔の方は、武器も持たずじりじりと後退するばかりだ。


 さて、困った。


 状況としては暴漢に襲われる被害者一名、といった風に見えるのだが、私は彼らの事情を全く知らない。実は襲われているように見える方が、大量殺人者で指名手配犯であり、追っ手は身内を殺されたために殺気立っている、なんて事も十分ありえる。耳を澄ませてみるが、彼らの間に交わされる言葉は相変わらず理解しがたく、判断材料にはならない。


 どうするか。


 気持ち的には、襲われている方を助けてやりたい、というのが本音だ。確かに事情は分からないが、道理で考えれば襲われてる方が被害者の可能性は高い。


 ……人は、人を区別したがるものだ。肌の色、瞳の色、髪の色、服装、信じるモノ。自分と違う所を探し出して、違うから劣っていると決めつけ、劣っているからと虐げる。ましてや、同じ種族と思えない程に顔が違うのなら猶更の事。


 言葉もわからない彼らの事を分かったように言うのは確かに筋違いかもしれないが、あの礼拝堂の宗教画が彼らとて人類とそう変わらぬ精神性なのを物語っている。


 あの宗教画は、人と動物とを区別していた。そう、区別だ。何も変わらない。区別というのは、差別と限りなく紙一重であるからして。


 そして同時に、部外者にすぎない私がしゃしゃり出るのも間違っている。例え同じだとしても、あくまで彼らの価値観、彼らの判断に、異邦人である私が介入するのは道理が通らない。


 助けたいという気持ちと、それを道義的、倫理的に否定する気持ちが同時に混在する。だが、いつまでも悩んでも居られない。ひたすら後退したエルフ顔の足が、ついに水際に触れた。これ以上は下がれないだろう、嵐の海を泳いで逃げられるような体つきにも見えない。


 見捨てるか、助けるか。


 悩んだ結果、私が選んだのは、”神頼み”だった。


 ゴボ、と湖に潜行する。水中に身を隠し、一気に岸部に接近。出来るだけ派手に水を蹴散らして、一向の前に姿を見せる。三人のコウモリ顔が「え?」という顔でこちらを見上げ、エルフ顔が状況を理解しないまま振り返った。


 そのエルフ顔を、甘噛みでバクリ、と咥える。牙で傷つけないように注意しつつも、そのまま水中に引きずり込んだ。


 そのまま、水中を泳いで沖合に移動する。水中は湖底の砂が巻き上げられてかなり視界が悪くなっているが、イメージほど荒れ狂ってはいない。その中を30秒ほど泳いで、水上に浮上した。


 口にはエルフ顔を咥えたままだ。気絶しているのか、エルフ顔はぴくりとも動かない。


 助けるには助ける。だが、人として丁寧に扱うのではなく、あくまで野生の獣に襲われた、という体でだ。問答無用で水中に引きずり込んだので溺れたかもしれないし、体を冷やした事で病気になるかもしれないが、それはこの人次第だ。なんせこの世界には神がいて、干渉してくるのだ。この人が本当に善良なるもので、被害者であるなら神の思し召しがあるだろう。


 事情を知らない、そもそもこの世界の出身でもない私がお節介を出していいボーダーラインは、そんなところだろう。


 ちらりと岸部に目を向ける。コウモリ顔達はしばし茫然としているようだったが、私が湖の奥へと向かっていく姿を見てか、撤収を始めたようだ。彼らからすれば湖に棲み着いた謎の怪物がターゲットを捕食したようにしか見えないだろうから、当然の判断だろう。


 あとは、天上の神が成る様にするまでだ。


 私はエルフ顔を咥えたまま、拠点の水上神殿に向かった。

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