第11話 現地住民の視点3
街一番の冒険者、レギンが持ち帰った巨大な獣の足跡の痕跡。
それに加えて、彼の口述記録は、街の上層部に衝撃をもって迎え入れられた。
なにせ、実績のない旅商人と違い、レギンは白羊の勇者として幾度となく大きな冒険を達成してきた最上級冒険者だ。さらに足跡という明確な証拠もある。ギルドは直ちに、竜の調査を最上位優先任務として制定した。
ただちに、竜の詳細を把握するための様々なクエストが発行された。その内容は、上級冒険者向けから子供の小遣い稼ぎまで多岐にわかる。危険を冒すだけが調査ではない。”そこにはいない”という事の裏どりを取るのも重要な情報であり、草むしりついでに竜の姿を見かけなかったかどうか、そういった程度のクエストも大量に出回った。
普段から行っている小遣い稼ぎにボーナスが入るという事で、むしろそういった小市民達の方が竜探しに熱を上げる事になったのだが、一方で虚偽報告も多かった。そういった情報を発信した為に報酬は無し、さらにブラックリスト入りで以降の依頼受注に制限がつくというしょんぼりな目にあった者も多く出たのは人の業という奴であろう。情報の真贋を見極める必要のあるギルドの人間からしたら殺しても殺したりないほど憎々しいだろうが、まあ仕方ない。立場の違いという奴である。
それでいて、やはり重要な情報もぽろっと市民から転がってくるのがまた、厄介なところであった。
「冒険者ギルドの代表、ウォルターだ。今回の進行を任せられている。まずは情報を整理しよう」
ギルド役員や街の上層部を集めた会議の場。司会と進行を務める白犬のギルドマスターが、白内障の進んだ目で一同を見渡しながら語りを始めた。
「初めて竜が目撃されたのは十日前の夜の事。発見者は旅商人のウォン氏。湖のほとりで乱れ毛皮と争っていたのが最初の目撃談だ」
テーブルの上には、サハラの湖の地図が広げられている。その一か所に、ギルドマスターは×を刻んだ。
「次に目撃されたのは、翌日。冒険者ギルドの出した調査隊が、証言に従って付近を探索。竜の存在の証拠を集めていたところ、湖の沖合でそれらしき姿を目撃したそうだ。目撃者はレギン上級冒険者。証言としては、最初のウォン氏より信頼度が高い」
続けて、湖の真ん中にも×。そこからさらに、あちこちの岸部にバツをいれていく。
「あとは三日ほど、湖岸で目撃証言。乱れ毛皮と争っていた話もある。傍らには必ず、誰が設置したかわからない焚火の跡。状況から考えて、竜自身が設置した者と思われる。が、そこで一旦、目撃証言は途絶える。再び竜が目撃されたのは、五日後の朝。世界樹の根元で、世界樹の果実を食べているのが確認された。以降、竜は必ずのように毎朝世界樹の元を訪れ、実を食べ、排せつをすませて湖に帰っていく、という事を繰り返している。これが現状把握している、純粋なる事実の全てだ。ここで質問は? ……どうぞ」
「商店街を取りまとめている紫梟のビバンと申します。湖内の調査は行っていないのですが?」
「あいにく船がありませんでしてね。それにサハラの湖に出るのは自殺行為だ。あそこの湖底には20メリルを越える怪物がゴロゴロしている、調査しようと思ったら軍艦でも出さないと無理だ。他には? ……どうぞ」
「領主代理で来ている青犬のマクガと申します。世界樹の実を食べていたというのは本当なのですか?」
世界樹は、聖なるサハラの湖の畔に生えている巨大な木だ。世界中のあちこちにも同種の大木が生えており、伝説によれば世界創造の折、神が自ら生み出したものだと言われている。
枝には非常に巨大な実を実らせるのだが、無味無臭な上に石鹸のような味がするというとても食べられたものではない。食用にはならないし、伝承で神の生み出したものと言われているご神木を切り倒す訳にもいかない。どこでも現状、手を出す意味も価値もないと放置されているものだ。
「ああ、間違いない。監視の連中が全員、さも美味そうに貪り食ってた、と言ってる。それにあてられて一人、手を出した奴がいたが、やはりとても食べられたもんじゃなかったそうだ。奴の食性が特殊、とみていいだろう。他には? ……無いなら、次に進もう。以上の情報から、竜の存在は確定。ただ、ギルドとしては国軍への出動依頼や厳戒態勢は見送るべきだと考えている。……まあ、気持ちは分かる。だが、危険性は今の所低い、というのがギルドマスターとしての見解だ。意見があるなら、代表でマクガさん、どうぞ」
「ご指名預かります。では言わせてもらいますが……本当に危険はないのですね? 見た所、竜は凶暴な魔獣と争い、一方的に打ち倒すだけの戦闘力があるようです。他にも、危険な怪物犇めくサハラの湖を生活拠点とするなら、少なくともそれより強い生物であるのは間違いない。万が一にも、それが街を襲撃してきたら大変な事になるのでは?」
「その懸念はもっともだ。だが、竜は今の所、我々人と争う姿勢を見せていない。世界樹につけている監視にも気が付いているようだが、常に一定の距離を保ち関わろうとはしないそうだ。明らかにこちらの事を認識した上で、トラブルを避けようとしている、というのがうちの意見だ。……何かいいたそうだな、ビバンさん」
「ありがとうございます。いえ、竜が高い知性を持ち、我々の事を避けている……というならそれでよいのですが。それはつまり、過去に我々”群れ成す人”と争い、痛い目を見たから……という事ではないでしょうか? 逆説的に言えば、我々の力を見定め次第、牙を剥くという可能性もあるのではないかと思うのですが、いかがか?」
「可能性はないとは言えないが、正直、過去に痛い目を見た……というのは疑わしい所だ。他の支部とも連絡を取り合って資料を集めているが、今回目撃された竜が人と争った、という記録はない」
それに、とギルドマスターは心の中でつぶやいた。
不確定情報故議題に挙げていないが、二日前、岸部に巨大な怪物の甲殻が打ち上げられている、という報告が来ていた。それだけなら別によくある事だが、問題は死骸の甲殻に竜のものと思わしき爪痕が残されていた点だ。つまり、奴は20メリルを越える湖の怪物を捕食対象にしている事になる。ギルド最強の冒険者であるレギンでも匙を投げる怪物を食するような存在が、人を恐れるとは考えにくい。単純に、興味が無いと見るべきだろう。
と、いうか。そんな存在を敵に回せば詰みである。
「なるほど。つまり、ギルドとしては、迂闊に刺激さえしなければ脅威とはならない……そういう御考えですか」
「そうだ。これに関してはむしろ積極的に存在と情報を喧伝し、手を出す馬鹿を牽制すべきだと思っている。いつの世の中にも名誉欲に駆られた考えなしは出るからな」
ギルドに限らず、防衛の基本は敵を倒す事ではない、敵を作らない事である。
竜がこちらに興味が無いなら放っておけばいい。ただ、こちらから敵対するような要因は作らない、というのが前提だ。その為には秘匿するのではなく、大々的に喧伝すればいい。
勿論、それでも考えなしに事を起こす馬鹿はいる。だが事前に話を周知しておけば、それは民を憂いた勇者の行いではなく、人の話を聞かない馬鹿が勝手をやって民に迷惑をかけた、そういう話にする事が出来る。事後処理の容易さでいえば、言うまでもなく後者だ。
そして厄介な事に、そういう手合いほど悪意を持たない。むしろ、人々の為に、という善意から来るものが多い。考えなしのやる事とはいえ、善意をもって動いた結果が報われないのはよろしくない。そんな喜劇じみた悲劇は、起きる前に芽をつぶしておくに限る。
ギルドマスター本人としては、そういう向こう見ずな馬鹿は嫌いではないのだ。
こういう、冷徹な実利面と、個人的な情愛を混同せず、それぞれ並列させた上で現実的な折衷案を出せるのが、この男がギルドマスターをやれている所以だった。
「ふむ。……私としては異論はありませんな」
「ありがとうございます。他に何かご意見は?」
声を上げる者はいない。どこか不安そうな顔をしている者はいるが、彼らも「まあギルドマスターがそういう言うのなら……」といった感じで判断を保留しているようだ。
ありがたい、というのが正直な話だ。これまで積み上げてきた信頼が目に見えるようで、心の中でギルドマスターは安堵のため息をついた。資料をまとめてきた部下には特別報酬を出さなければならないだろう。
「……ご意見が無いようでしたら、具体的に話をまとめる事にいたしましょう。ここに、こちらの方で用意していた書類があります。これを皆さまの元に……ん?」
トントン、と会議室のノックをする音。会議に集まった皆が騒めく中、一人の職員が会議室に入ってくる。彼は周囲の視線をものともせず壇上に近づくと、一言、ギルドマスターに声をかけた。
「会議中失礼します。ご報告があります」
「……いいだろう。聞かせなさい」
今、大事な会議をしているのはこの職員も知っていたはずだ。それでも会議の進行の邪魔になるのを承知でこうしているという事は、それなりに重要かつ緊急を有する話だという事だ。
「国軍から通達です。飛竜が警戒線を越えて、近隣に侵入した可能性があるとの事。各地の領主は警戒するようにとの事です」
「飛竜だと……。全く、次から次へと」
厄介な出来事は引き寄せ合うものだな、と白犬のギルドマスターは深くため息をついた。
そのまま会議は、謎の竜への対策から飛竜対策へと移り変わり、夕暮れ近くまで続くのだった。
◆
サハラの湖から遠く西へ。
ある王国の農場地域で、二人の農夫が仕事に励んでいた。
どちらも背の小さな毛むくじゃら。見た目は、リスに近いだろうか。
「今日も良い天気だねぇ」
「水分はしっかり摂れよ」
互いに声を掛け合いながら農作業に精を出す。今日は、畑に生える雑草の処理が主な仕事になるらしい。
「そういえば、地主がなんか言ってたな、朝」
「そうだったな。なんか遠くで飛竜が出たとかなんとか」
「飛竜かぁ。わしは見た事ないんだで」
「わっぱわっぱ。遠くっていっても、どこらへんだべ」
「わかんね。まあ遠くっていったら遠くだろ。俺達には関係ないべ。それよか、近年麦の実りが悪いから、しっかりやれよ」
「…………」
「どした。返事せぇ」
作業を止めて顔を上げる。
「あん?」
見渡す麦畑に、相棒の姿は無かった。
麦はまだ若く背も高くない。これが成長すれば背の低い彼らは麦畑に隠れてしまうために普段から声を掛け合うのだが、今の次期はそんな事はないはずだった。
「どこいったべ? 穴でもあいてたか?」
見渡す限り相棒の姿はない。全速力で走っても、あの一瞬で丘に隠れるなんてできるはずがない。質の悪い悪戯ではなく、何かのトラブルを疑って農夫は首を巡らせた。
その頬を、空から降ってきた何かが濡らした。
暖かい。鳥のしょんべんか? 何気なく手をやった農夫は、それを眼前に翳した。
赤。
「……え」
思わず頭上を見上げる。
天井には、燦々と輝く双子の太陽。その一つ、白く輝く光の中、黒い影が急降下しながら牙を剝いた。
数刻後。
昼食を終えた怪物が、のそりと首をもたげた。その口元は、血で真っ赤に汚れている。
黄色い瞳で遠くを見据えた怪物は、しばし何ごとか考えるように動きを止めたあと、翼を羽ばたかせて空に舞い上がる。
そして怪物はそのまま一気に上昇し、空の彼方へ飛んで行った。
東へ。
◆
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