第10話 現地住民の視点2
関門都市セルヴェ。
聖なるサハラの湖から西に山を一つ越えた所にある、最も湖に近い町である。この近隣の街道の収束地点であり、商人や旅人の流通を管理し税金を徴収し、近隣の治安維持にも努めているこの町は、その勤めに相応の規模を誇っていた。
セルヴェは円形の巨大な壁に覆われている城塞都市だ。厚さ6メリル、高さ20メリルの石造りの強靭な外壁は、乱れ毛皮のような強力な魔物の襲撃をものともせず、その内部に広がる市街も、一定の法則に従って理路整然とした街並みが広がっている。必要に応じて発展したのではなく、最初から綿密な計画と必要な予算を携えた上で設立した計画都市であるのが造りから伺え、それは同時にこの為政者の有能さをも物語っている。
そんなセルヴェの街は、今ある話題で賑わっている。
突如としてサハラの湖に出現した、巨大な棘トカゲの話である。
ことの始まりは昨晩の事。突然血相を変えて閉じた門戸を叩いてきた、旅商人の男である。
ウォンと名乗るその黒羊の旅商人は、対応にでた衛兵にサハラの湖で巨大な怪物が乱れ毛皮を叩き殺すところを見たと興奮気味に伝えてきた。最初は酔っ払いの戯言かと思った衛兵だが、ウォンからは酒精の匂いが一切せず、表情も演技にしては切羽詰まっていた。
不審に思った衛兵は、業務を終える直前だった街の冒険者ギルドに話を繋いだ。外部の脅威の排除には事実上の対モンスター傭兵業である冒険者に対応を任せるのが通例だったからだ。
話を聞いたギルドマスターは、事態を重く判断した。話を持ってきたウォンという商人はこの街では無名であり、誰が発言したか、という事に価値はなかったが、竜を見た、という話はそれだけ無視できないものであったのだ。
勿論、何かを見間違えただけ、大した事ではない、という意見もあったが、ギルドマスターは彼らを冷静に説き伏せ、夜が明けてから万全の準備を整えて腕利きを調査に出す結論を通した。街には戒厳令がしかれ、許可なく外に出る事は禁止される事になる。そうなれば、娯楽の少ない片田舎の街だ、瞬く間に竜の噂は街にあふれかえり、早朝には街の皆が知る事になっていた。
そして太陽が山陰から顔を出し、街に白い日差しが差し込む頃合いに。
重々しく、街の鉄門が引き上げられた。その向こうに佇むのは、三人の若い冒険者。ギルドマスターが選抜した、調査部隊である。
リーダー格は、白い綿毛のような毛が特徴の白羊の青年、レギン。使い古したマントで体を覆い、その背中には身の丈ほどもある大剣が背負われている。年若いながらもその実力はこの街の冒険者の頂点に立ち、巨大な大剣を小枝のように巧みに振り回し、自分よりも遥かに大きな乱れ毛皮すら倒してしまう戦闘技巧者であるだけでなく、優れた調査能力も持っている。何より人格的に優れており、誠実で謙虚。真偽も定かではない今回の事件、ギルドの目となり鼻となり調査する上でもってこいの人材だ。
その彼に付き従うのは三毛猫の少年ケルと白猫の少年チカ。二人は別に実績ある冒険者という訳ではないが、白羊の青年に師事しておりギルドからも期待をかけられている。臆病だが堅実で確実な仕事をこなす白猫と、考えが浅いが大胆不敵な三毛猫の二人は互いにかけている要素を補い合った凸凹コンビであり、何より二人とも素直で善良だ。生き延びれば大成する、と白羊が見込んだ通り、ここ最近メキメキと実力を伸ばしている。今回の竜調査が、彼らの試金石になるだろう。
「出発するぞ!」
「おー! ドラゴン探すぞー!」
「お、おー!」
鬨の声を上げ、出発する三人。一行の後ろ姿を見送り、街の鉄門は再び固く閉ざされた。
まず調査隊が向かったのは、聖なるサハラの湖のふもと、商人からの報告があった焚火跡である。まず、ここの調査をして商人の証言の元を取らなければ何もできない。
だが、付近には黒い森がある。ここは乱れ毛皮をはじめとする凶暴な獣が多数生息しており、単純に実力が無い者が近づけば命はない。
勿論、レギンはその実力者だ。お荷物二人を抱えても乱れ毛皮二匹までなら問題なく対処できる実績の持ち主である彼は堂々と森に踏み入り、しかししばらくもしないうちに足を止めた。
「師匠、どうしました?」
「妙だ」
「みょう?」
「静かすぎる」
言って、周囲に視線を巡らせるレギン。そんな師匠を見て、弟子の二人も辺りに視線を巡らせる。
「静か……?」
黒い森は彼らからすると異様な巨木が林立し、ところどころ背よりも高い藪が生えている薄気味の悪い場所だ。歩き回るのに不便はないが、いつその巨木や藪の影から獣が襲い掛かってくるともしれない。生えている植物も武器にネジくれた葉や、ぐるぐるとツタが渦をまいており不気味さに拍車をかけている。
つまりはいつもの通りにしか見えないという事だ。首を傾げる弟子達だが、師匠がそういうのであれば、と納得するしかない。ただ、ここで沈黙で終わらせず、疑問を呈するのが彼らのよい所である、師であるレギンが彼らを可愛がっている所以である。
「師匠、僕たちにはいつも通りにしか見えません。何が静かなのですか?」
「そう、だな……。言葉にするなら、生き物たちの生活の気配が無い」
「生活の……?」
「そうだ。まるで皆、何かを恐れるようにひっそりとしている。鳥の求愛の声、獣がエサを探す唸り、大地を獣が走る振動……そういったものを感じない」
「言われてみれば……」
説明されて弟子たちも納得する。獣の森とはいえ、普通の動物がいない訳ではない。鳥達がチチチと鳴きながら木々を飛び交い、藪の奥から何者かの唸り声が聞こえてくるものだ。それが確かにまるで聞こえない。夜の街のように、シンと静まり返っている。
ケルが質問を重ねる。
「でもそれはどういう事なのでしょう?」
「ん。この森に居る生き物は、まあ乱れ毛皮が有名だがコイツは実際の所例外中の例外だ。自家中毒を起こしてる乱れ毛皮は相手が強い弱いにかかわらず襲ってくるが、普通の生き物は恐ろしい相手に出くわしたら大人しくしているものなのさ。もし俺達ベテランがいない時に街に凶暴な獣が押し入ってきたら、お前はどうする?」
「家の中で大人しくしています! ……あっ」
「そういう事だ。竜かどうかはわからないが、何かがいたのは間違いないようだな」
「ん……? ……はわあああ!!?」
不意に悲鳴のような声があがった。ケルとレギンの会話中も、周囲を探索していたチカだ。彼は全身の毛を逆立ててぼわぼわになりながら尻もちをつき、言葉もろくにしゃべれないほど動揺していた。弟子の異常に気が浮いたレギンが一瞬で駆け付ける。
「どうした!?」
「は、はわ……!」
動転しているのか要領を得ないチカの指さす方を、レギンは目で追う。直後、彼の全身の毛もぶわっとなった。
「こいつは……」
そこにあったのは、足跡だった。
少し湿り気のある地面に残された、獣の足跡。それだけなら別段特筆すべき事でもないが、そのサイズが異様だった。
「…………」
無言で近づき、足跡のすぐ近くにかがみこむレギン。その彼の身長と、足跡のサイズはほぼ一緒だった。野生の獣は得てして彼ら”群れなす人”よりも遥かに大きな体躯を持っているが、それにしたってこれは大きすぎる。一体どんな獣なのかしれないが、足跡一つでこのサイズなら、その全長ないし全高は20メリルを越えるのではないか? いったいどんな化け物だ、とレギンは警戒を新たにした。
「形は、トカゲどもに似ているな。だが尾を引きずった形跡がない……?」
「師匠、こっち! こっちにも足跡、あるよー!」
「でかした、弟子よ」
少し離れた藪の向こうで、ケルが手を振っている。能天気な彼は足跡のサイズに戦慄する事なく、周辺を散策していたようだ。無鉄砲とも取れるが、びびり倒して動けなくなってしまったチカを補っているともいえる。素直に誉め言葉を送り、レギンは弟子の元に向かった。
「ふむ。やはり同じか」
発見した足跡を確認し、レギンはふと、さきほど見つけた足跡との距離を見る。
足跡が途切れている事そのものは別に珍しくはない。他の動物の足跡で上書きされる、水で流されて消える、乾燥して崩れてわからなくなる、等々。だが、見た所足跡は比較的新しく、体重が重いのかかなり深く刻まれている。そう簡単に消えるようには見えない。
「いや、消えたのではなく、歩幅が広いのか……?」
レギンは弟子を呼びつけると、二人に二つの足跡の間の長さを図らせた。その辺の枝を拾ってきて、地面に計算式を書き始める。恐るべきことに、根無し草の冒険者でありながら彼は数学も修めていた。知っていると何かと便利だから、というのがレギンの弁だが、こういった勤勉さが彼を若くして最上級冒険者の位に押し上げたといっても過言ではない。
「二つの足跡の距離から推測するに……腰の位置は7メリル前後? でかいな……乱れ毛皮でさえ全高6メリル前後だぞ?」
数学の心得が無い弟子二人には理解できない事をブツブツつぶやきながら長考するレギン。師匠がこうやって熟考モードに入るのはいつもの事なので、弟子二人も正座して待機する。
が、不意にケルの耳がぴくぴくと動いた。異常を彼が感じ取った直後、背後の藪をつっきって黒い巨体が姿を顕した。
この森で最も恐ろしい怪物、乱れ毛皮だ。血走った瞳で一向を睥睨した乱れ毛皮、目を白黒させながらもへっぴり腰で武器を構える弟子コンビを一瞥した後に、この状況でも顎に手をあてて考え込んでいるレギンに目を向けた。
隙だらけだと見たのだろう。レギンめがけて涎を垂らしながら突撃する。
「し、師匠ーーーーっ!」
「HUUUUUU!!」
「甘い!」
その絶技を、弟子達がどこまで理解できたのか。
背後から突撃されたはずのレギンは、ひらりと身をかわし乱れ毛皮の突進をあっさりとかわしていた。その手には、一体いつ引き抜かれたのか、巨大な剣が握られている。
突進を回避され、3メリルほど通り過ぎた乱れ毛皮がのっそりと振り返る。
その首が、ぽろりと落ちた。
さらに続けて思い出したように、両腕も肩から落ちる。
数秒置いて、自分が今になって直立する肉塊である事を理解したように、その巨体がズズン、と地面に倒れこんんだ。
乱れ毛皮には、果たして見えていたのだろうか。交差の瞬間、大剣を引き抜いたレギンが一瞬で自分の首を落とし、さらにつづけて脇の下から刃をいれ両腕を深く切り裂いていった事を。
「し、師匠、ご無事ですかっ!?」
「わわわわ……」
「問題ない。全く、これだから魔獣は嫌いだ。品が無い、頭が無い、おまけに肉まで臭いときた」
慌てて駆け寄る弟子達に、レギンは問題ない、と落ち着いた態度を見せた。事実、彼の認識では無駄に刃を汚してしまった、程度のトラブルでしかない。
「しかし、ここでの調査はここまでだな。血の匂いを嗅ぎつけて他の魔獣どもがよってくる前に、商人の言っていた焚火の痕跡を探そう」
焚火の痕跡は、思ったより簡単に見つかった。
それ以上にはっきりとした異常が、あまりにも目立っていたからである。
「こいつは……」
レギンが湖岸にかがみこんで地面を観察する。
地面には、無数の足跡が残されている。一つは、見慣れた乱れ毛皮のもの。もう一つは、森の中で発見した謎の足跡だ。数で言えば謎の足跡が圧倒的に多く、それをみれば足跡の主は頻繁に森に出入りしてはここに戻ってきていたのが伺える。
「…………」
首を見上げて、足跡の主が出入りしていた辺りの森の木々を見上げる。先ほどは気が付かなかったが、高い位置の枝が折れたり曲がったりしている。足跡の主の背か頭がぶつかったのだろう。首が痛いほど見上げなければ気が付かなかったその様子を観察しながら、途方に暮れたようにレギンはつぶやいた。
「……10メリル以上はあるな。二足歩行か? 竜という話だったが……これではタイタンだ」
「こっちはこっちで、グラットンがいっぱい浮いてる……」
ケルが困ったように見つめているのは湖畔の水面だ。そこに、大小問わず無数の魚がぷかぷかとひっくり返って漂っている。
見た所、ほとんど同じ種類の魚だ。湖に迂闊に踏み入るものを骨まで食らいつくす肉食魚、グラットン。それがたくさん、水面に浮いている。
「死んでるのかな……」
チカが、ひっくりかえっているグラットンに小石を投げた。石をぶつけられたグラットンは、一瞬じたばたと暴れて水の中に潜った。が、しばらくすると再び浮いてくる。
「死んではない……けど動きがおかしいね」
「何か変なものを食べた……か?」
二つの無視できない異常。とりあえずそれはひとまず置いておいて、レギンは焚火の痕跡を調査する事にした。
「変だな」
「師匠?」
「見た所森の木々を集めて作った焚火だ。だが、作った人の足跡が無い」
レギンの言葉通り、焚火の周辺に人の足跡らしきものはない。レギンは歩いてきた自分の足跡を振り返る。彼ら”群れ成す人”は体が小さく軽いとはいえ、ここは湖畔の土だ。森の中よりも水分を含んでいる土は、十分に彼らの足跡を刻みつけている。多少時間がたったとはいえ、ここまで全く足跡が無いのは妙だ。
「それに焚火の造りも下手だ。経験のある奴が作った感じがしない」
「乱れ毛皮の危険も知らなかったみたいですし、本当に素人だったんじゃないですか?」
「素人が、黒い森をわざわざ越えてこの湖の近くまで焚火を興すか?」
「……あっ」
確かにそうだ、と納得してケルが自分の頬を両手で押さえた。先ほど、ちょっと散策した程度で乱れ毛皮が襲い掛かってくるのだ。他にもこの森には危険な動物がごまんといる。そんな中で、わざわざ枝を拾い集めて焚火を興したのに、それが素人? チグハグだ。
情報不足が原因で、ベテラン冒険者が初めて来た土地でうっかりやらかす事は別に珍しい話ではない。だが今回はどうやら違うようだ。
「も、もしかして……あ、いや、何でもないです」
「チカ。私は君の自由な発想を評価している、といったはずだ。思った事があるならいいなさい」
「あっ、え。あ。すいません……」
「それで、何かね?」
「そのぅ。突拍子もない話で、自分でもおかしな事を言っていると思うんですけど……」
「うん」
「もしかして、この大きな足跡の持ち主が、火を起こしたんじゃないかって……」
「…………」
「…………チ、チカ! 凄いよ! 僕、ぜんっぜん思いつかなかった! 師匠、どう
でしょう!?」
「ふむぅ……」
レギンは思っていなかった可能性を指摘されて、その整合性の高さに思わず唸った。
「……アリだな」
森の中に残された足跡、散々出入りした痕跡、森の動物が怯えて大人しくしている、全てそれで説明が付く。足跡の持ち主……竜かどうかは分からないが巨大な生物が、森の枝を集めて焚火を興した。それが何の為かは分からないが、焚火に反応した乱れ毛皮と戦闘になり、それを撃退した後に湖に消えた。
ウォンの証言とも一致する。
「……一旦、街に戻って現状を報告しよう。見た所、足跡の主は姿を晦ましているようだ。これ以上やみくもに探しても姿を確認できるとは限らん……否、足跡から推測されるサイズが本当なら、現状の装備で対抗できるかは怪しい。そうだな、足跡の石膏型でも取って帰還しよう」
「ハーイ!」
「わ、わかりました」
小道具を持ち歩くのは弟子の仕事だ。石膏の粉を詰めた袋を取り出すケルに、チカは水をくむためにバケツを持って湖に近づく。こういう時が一番危ない、とレギンがそれとなく注意する視線に気が付く事なく、チカは慎重に水面を覗き込み、安全を確認した。と、その時。
「う、うわぁあああ!?」
「どうしたチカ!?」
悲鳴を上げてすっころんだチカの横に、瞬間移動したように見える速度でレギンが駆け付ける。彼は素早く大剣を引き抜き、水面に向けて構えた。
「む……?!」
そこで、彼もようやくそれに気が付く。
水中に、何か白い物が沈んでいる。
「骸骨……? いや、獣骨か……。おちつけ、チカ。あれは多分、乱れ毛皮の骨だ。恐れる必要は……」
「ち、ちがっ! み、湖、奥の方……っ!」
「奥の方?」
言われて、レギンは顔を上げた。晴れ渡った空の下、あまりにも広いサハラの湖に目を向ける。
その、湖の真ん中に。
何かが、いた。
「…………」
比較する物がないのでサイズは分からないが、少なくとも尋常の大きさではない。日光で輝くエメラルドグリーンの体表、帆船の帆にも見える大きな翼に、大きく裂けた口。この距離ではレギンの目でも辛うじて見えたのはその程度だったが、その程度でも十分すぎた。
レギンの知識に、あんな姿の獣はいない。そして、ウォンという旅商人が口にした特徴と、それは瓜二つだった。
「な、なになに?! 何がいたの?!」
そこでドタドタと遅れてカルがやってくる。警戒心というより好奇心で水面を覗き込む様子の彼の騒がしい様子に、はっとレギンも我に返り、カルの勘違いを訂正した。
「い、いや。違うぞカル。湖の奥に……いない?」
「何も見えないー」
「ぶるぶるぶる」
ほんの僅か、目を逸らした間に水面から竜は姿を消していた。ずっと見ていたはずのチカに目を向けると、彼も首をぶるぶると横に振った。
「きゅ、急に消えた……」
「湖に潜ったか……? やれやれ。なんだか冒険らしい事になってきたじゃないか」
レギンは自慢のモコモコ毛にブラシを通して精神を落ち着かせると、弟子二人に改めて指示を出した。
「やる事は変わらん。物的証拠として足跡の型を持ち帰り、ギルドに報告する。さあ、手早く終わらせるぞ」
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