第7話 宿敵とのファーストバトル
岸近くは水深も浅く、障害物も多くてこの体ではなかなか速度が出せない。だがある程度中央に出れば、水深は深く障害物も皆無、水質も透明で体格差を気にせずに食らいついてくるようなバカ魚も居ない。
そうなればもう、ひたすら速度を出し放題である。体をくねらせ長い尻尾を推進力にし、水を引き裂くように高速で泳ぐ。最初の頃はバタバタ手足を動かしていたが、高速移動時はぴったり体に張り付けた方が抵抗が減って速度がでると学習した。手足の出番があるのは低速域の話だ。
そして高速移動中は、背びれが制御に非常に役に立つ。オールというか、取り舵としてうまい事機能してくれるのだ。実際のスピノサウルスももしかするとこうやって背びれを使っていたのではないか、というのを自分で試せると、なんか嬉しくなる。
そうやって調子にのってガンガン速度を上げていくと、不意に水の匂いが変わった。
詳細な現在位置は分からないが、少なくとも来たことのないエリアに侵入したらしい。速度を落とし、周辺に注意を払う。
一見すると、変わらず湖底に砂の広がる透明な水中という光景は変わらない。だがある程度慣れてきたとはいえ、この湖に敵がいる可能性は完全には排除されていない。陸にあんなケダモノがいたのだ、まだ見ぬ湖の奥に似たようなのが潜んでいないとは完全には言い切れない。
だが、いたとしても多くないだろう、というのもまた確かな話だ。でなければ今日まで毎晩、水面でぷかぷか浮いて寝ていた私はとっくに何かのエサにされている。
油断は禁物だが、過剰な警戒もまた無用だろう。私は注意を払いながらも、好奇心に押されるがままに水中を進んだ。
と、そんな時だ。
湖底に広がる砂浜。そこで、キラリと何かが煌めいたのが見えた。
思わず視線をそちらに向ける。間違いない、湖の底で、何かが光を反射してキラキラと光っている。なんだろう、ガラス?
すっかり気を取られた私は、確認の為にゆっくりと湖底に近づいた。湖がいくら澄んでいるとはいえ、流石に地上ほど見通しが利く訳ではない。対象が小さいのもあって、もう少し近づかないとよく見えない。もう少しだけ、深度を下げて……。
突如、湖底が爆発した。
白い砂が吹き上がり、視界が一瞬でふさがれる。それでも白い霞の向こうに、巨大な何かが向かってくるのを見て、私はとっさに右に避けた。
赤い何かが、さっきまで私の首があった所を通過していく。安堵も一瞬の事、気が付けば目の前に避けたのとは別の赤い鋏が迫ってくるところだった。首を狙うそれに、咄嗟の事で腕を差し込んで受け止める。
ガキィ! と硬質な鱗と甲殻がぶつかり合う音が水中に響く。
凄まじい力だ。圧力に鱗と骨がギシギシ軋む音がする。腕を挟み込むのが間に合わなかったら首をつぶされていたかもしれない。
「……!」
尾を振って水流を生み出し、視界を塞ぐ砂のヴェールを吹き飛ばす。それによって、襲撃者の姿が露になった。
「ギィイ……(ザリガニ!?)」
それは巨大な甲殻類だった。前方にむかって突き出した円錐状の胸部に、ムチのように長く伸びた触覚、大きく発達した両の鋏。胸から後ろは複数の節で構成された腹部を持ち、体の下部からは多数の細長い節足が広がっている。胸部前方の錐部には二筋の切れ込みとくぼみがあり、そこに収まった黒い複眼がこちらの事をじっと見ていた。そして、両眼の間には何かキラキラひらひらした突起物がある。チョウチンアンコウの疑似餌的なそれが、私の目を惹いたのだ。
全体的な形状としては前世のオマールエビというか、ロブスターに近い。サイズがちょっとでかすぎるが。まあ、そもそもロブスター自体、脱皮の成功率を考えなければ理論上永遠の寿命を持ち無限に大きくなるとか言われていたのだ。それが異世界なら、恐竜を襲えるサイズのザリガニがいたって不思議ではない……いや7m越えのロブスターはやっぱりおかしいかもしれない。
それよりも問題は……。
よりにもよって人間の意識をもった私が。
疑似餌トラップなんていう野生動物レベルの罠に引っかかったという事である!
屈辱!! 気を抜くにもほどがある!
「グルルルウ……!」
そうこうしてる間にも、鋏がぐいぐい締め付けてくる。全力で抵抗するが、圧力が半端ない。拮抗するのが精いっぱいで、とても押し返せそうにない。スピノサウルスの強靭な骨格と鱗だから耐えられているが、これがひ弱な人間の体だったら腕ごと胴体を握りつぶされていただろう。
しかも片手でこれだ。相手はまだ右の鋏が空いている。そしてそれを、ゆっくりと腹に向けて伸ばしてくるのが見えた。
やばい。このままだと、無防備なお腹を生きたままツマツマされてしまう!
ならば人間の叡智ぃ!
私は体を捻り、下半身と尾を使ってこちらを捕らえる左の鋏に巻き付いた。人間の格闘技でいうところの、腕ひしぎ十字固めとかいう関節技の体勢を取る。
勿論相手は人間ではなく巨大な甲殻類であり、さらに関節技は正確にツボを捕らえなければ効果が無い。そして私は前世で関節技に精通していた訳ではないので、技としてこれは完全に不発だ。だがそれで構わない。
甲殻類の弱点。それは、関節がどうしても構造上脆弱になるという事だ。
両後ろ脚を相手の胸部甲殻に押し当て、背伸びをするような形で関節を捩じりながらひっぱる! 何をしようとしているか察したのか、あるいは単純に反射的な動きか、巨大ザリガニが肘を曲げるようにして抵抗しているが、スピノサウルスのパワーにものを言わせて強引に捩じり上げる。
ぶちぶち、と繊維が千切れて弾ける音が甲殻越しに伝わってくる。
それでも私をとらえる鋏の力は緩まない。結構、我慢比べといこう。
甲殻類の関節は、薄い皮膜と筋、あと筋肉繊維で構成されている。甲殻同士をかみ合わせる事で強度を担保している場合もあるが、根本的に運用外の角度でかけられる負荷に耐えられるようになってはいない。勿論その分のメリットはあるが、強固な外骨格から受ける印象とは裏腹に、守りに入ると、弱い!
筋繊維が次々と断裂していくのが手ごたえで分かる。私はここぞとばかりに一気に力を入れ、全力で体を回転させた。巨大ザリガニの腕を極めたまま、さながらワニのデスロールのように回転する。
ばづん、と皮膜が断裂する手ごたえ。両足を強く蹴ると、途端に抵抗が消えてなくなった。
見れば、こちらの関節攻撃により、巨大ザリガニの左腕は根本から千切れて無くなっていた。ザリガニらしく鋏はこちらの首を捕らえたまま離してくれる様子はないが、体と繋がっていた時ほどのパワーは失われている。べきぃ、と捻じ曲げて、そのあたりに放り捨てた。
これでこちらは万全だ。大して、相手の巨大ザリガニは片腕を失っている。
「ゴボゴボボボゥ!」
まだやるか、と水中で牙をむいて威嚇する。それに対し、巨大ザリガニはひるむ事なく片腕を振り上げてこちらを威嚇した。まだまだやるつもりらしい。
湖底を蹴ってザリガニが突進してくる。懲りずに残った片腕でこちらを鋏むつもりらしい。だが、その動きは水中である事をおいてもすっとろく、ちょっと蹴飛ばしただけで跳ね返せそうだ。
言うまでもないがザリガニというかエビの仲間の躰は後ろに向かって進むようにできていて、前に進むようにはできていない。常に後方にダッシュ、なんなら後ろにダッシュするのも天敵から目を離さず、防衛のために武器である鋏を向ける為だ。いうなれば専守防衛が彼らの生存スタイルなのである。そんな彼らが自分から向かっていくのは、相手があくまでただのエサと認識している時のみ、つまり相手を舐めている時だ。
確かに奇襲によって一時窮地に追い込まれはした。だがアンブッシュが通じるのは一度までと相場が決まっているのを知らないらしい。
典型的な、恐怖を知らない愚者の傲慢。それを、私はスピノサウルスのパワーでもって迎え撃った。
自由になった前足で、相手の鋏を受け止める。ハサミが危険なのは刃の内側だけであって、外側を受け止めれば脅威でもなんでもない。ましてや勢いの乗ってない水中での脚かき突進の勢いなど腕だけで止められる。両腕で鋏をホールドしたまま、私は尾を大きく振り、その反動で横に体を回転させた。
そのままジャイアントスイングの要領で巨大ザリガニをぶん回し、その巨体を湖底にたたきつける。水中とはいえ、このサイズだ。重量だってそれなりにある。普段は浮力でごまかしている自重が、勢いをつけて跳ね返ってくるのに、自慢の甲殻が耐えられるかな?
叩きつけた瞬間、ぐわん、と胸部甲殻が歪むのが見えた。巨大ザリガニがショックで動きを止める。足を開いて無防備な隙を晒す、そのチャンスを逃さずに私は一気に勝負をきめにかかった。
胸部甲殻の後ろ側、尾部とのつなぎ目。脱皮の際にめくられるその部位に手をかけ、全力で引きはがしにかかる。もともとめくれるようにできている場所だ、ここの強度が一番低い!
致命の気配を悟ったのか、今更ながら巨大ザリガニが狂ったように尾を跳ねさせ、バックステップで逃げ出そうとする。それは私という同格の巨体が組み付いているせいで上手くいかず、その場でジタバタ暴れるだけの結果になるが、それでも暴れ馬なんか目じゃない暴れ具合。気を抜けば振り落とされそうになる。
こっちも命がかかっている、振り落とされないように全力でしがみついた。
メギ、と甲殻が軋み、結合が千切れていくのが伝わってくる。あと一息。
「!」
その瞬間だった。これまでと違い、ザリガニが横に体を回転させた。予想外の動きに体がもっていかれ、うっかり手を放してしまう。
しまった、あと少しだったのに。
水中で体勢を立て直した頃には、相手も既に持ち直していた。砂地に足をつき、鋏を高く振り上げた威嚇のポーズでこちらに向き直っている。
とはいえ無傷ではない。甲殻の隙間から青白い体液が湖に染み出しているのが見える。そう長くはもたないだろう。
それを自覚しているのか、ザリガニはここで引くつもりはないようだった。私の知る限り、野生生物であるならば深手を追えば生存の為に逃走するのが鉄則だが、大型化した事によって知性が高まっているのか、あるいは根本的に本能の仕組みが違うのか。ザリガニは、ここで私と刺し違えるつもりらしい。
結構。私としても、ここで決着をつける事はやぶさかではない。
こちらも砂地に足をつけ、ザリガニと向かい合う。
そしてどちらからともなく、同時に突進した。複数の足で砂地をかくザリガニと、四本脚で砂底を走る私の巨体がぶつかり合う。水中故速度は出なかったが、大質量同士の衝突による衝撃が頭に響いた。
振り下ろされる鋏を腕で押さえにかかる。挟まれさえしなければなんとかなる。が、ザリガニも同じ轍を踏むつもりはないのか、今度は牙を剥いて齧りかかってきた。ザリガニは挟んでくるもの、という先入観があった私は鋏に集中するあまりに反応が遅れた。
肩口に食いつかれ、激痛と共に水中に血が滲む。気のせいか、感情を移さないはずのザリガニの黒い目が嗤っているように見えた。
「ガルルル……ガァッ!」
それに対し、こちらも牙を剥いて齧りついた。相手の口周辺の触肢を引き千切り、突き出たキノコみたいな目を片方食い千切る。いくら硬い甲殻に守られていても、口の周りは貧弱だ。
急所に猛反撃をうけて、ザリガニが牙を離して後退する。
そこを怒りにまかせて追撃する。今度は牙だけでなく爪も使って、ザリガニの顔を滅茶苦茶に破壊する。触覚やら目やらを引き千切られて、さしものザリガニも動きが止まった。
今だ。
私は再び背後に回り込むと、先ほど引きはがそうとした甲殻に爪をかけた。
「グギギギ……」
貴様の敗因は。
スピノサウルスを舐めた事だ……っ!
グチャア、と甲殻が引きはがされる。一緒に内部の内臓も引きちぎられ、青緑がかった臓物が飛び散った。トドメと言わんばりに前足を叩き込み、内臓をわしづかみにしてつかみ出す。引きずり出した神経塊だか腎臓だかわからないそれを、グシャア! と握りつぶした。
ビクビクン、と巨大ザリガニの体が痙攣し、やがてゆっくりと動かなくなる。静かに湖底に崩れ落ちる亡骸を前に、私は勝利の咆哮を上げた。まあ、水中だからポーズだけだけど、気持ち的には天まで届け大咆哮、という感じで。
「グルルウ」
てこずらせやがって、と顎をさする。見れば鋏を受け止めた両腕には白い擦過傷がいくつもできている。
だがそれ以上に、ザリガニに齧りつかれた右肩。見れば無残に鱗がはがれて流血している。幸い鱗がダメージを大きく軽減してくれたらしく大した傷ではないが、かといって軽傷でもない。人間であれば適切に手当てしなければ化膿や炎症を起こす可能性がある。ザリガニめ、やってくれた。
この肉体の治癒能力がどれぐらいかはわからないが、一日二日で消える傷ではあるまい。致命傷を受けなくてほんと助かった。
さて、気持ちを切り替えて眼前に横たわる巨大ザリガニの死体を見やる。
前世では、こういった甲殻類は寄生虫の類の危険性が少ない種類だったはずだ。内臓はともかく肉に危険な寄生虫がいるのは少ないという話だ。
つまり、おそらく、食べても問題はない。
ごくり、と唾をのむ。ザリガニはなんだかんだ、本場では高級食材だったという。味の方は保障されているはずだ。それに加えてこの超巨大サイズ、前世では絶対にありえない。食べ応えがありすぎる。
おっかなびっくり殻を剥きにかかった私は、しかしそこでふと周囲に無数の小さな影がいる事に気が付いた。
ザリガニや魚だ。常識的なサイズのそれらが、巨大ザリガニの死体に目ざとく集まってきている。反応が早いなあ、とぼんやり考えた私だが、次の瞬間連鎖的に閃いた危険性に慌てて巨大ザリガニの死体から距離を取った。
これだけは行きがけの駄賃として千切った腕を回収し、あわてて浮上する。水面まであと少し、という所まで上昇した私は、周囲の様子に目をむけた
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます