第6話 悠々自適を貫け!
スピノサウルスに転生してから数日がたった。
私の朝は、まず穏やかな波に揺られながら目を覚ますところから始まる。
起床のきっかけは、二連太陽による日差しの熱。冷たい湖の水で冷えてた体が、背中の帆で受けた日光によって温められ、そのぬくもりと冷たさのギャップで目が覚める。
起き抜けでいきなり体を動かしては怪我をしそうなので、そのままの姿勢でしばしゆっくりしていると、徐々に水面近くの水温も上昇してくる。
それぐらいになれば、私も活動開始だ。少しずつ手足をほぐして、遊泳を開始する。
「グルル……」
まずは朝ごはんだ。私は徐々に速度を上げながら、岸部に向かう。
とはいえ岸まで少し距離がある。湖面をかき分けながら進む間、私はしばし、ここ数日の出来事を頭の中でまとめる事にした。
あれから数日の間を、私は探索と食料確保に勤しんだが、その過程でいくつか分かった事がある。初日、焚火をしていた私が襲撃を受けたのは偶然ではない。その後も、ピラニアシーラカンスを捕まえては焚火で焼いていると、必ずあのラリった熊みたいな化け物の襲撃を受けたのだ。
前世においては、焚火を焚くのは獣除けの意味合いが大きかったという。獣たちも馬鹿ではない、火の近くには人間がおり、人間と絡むとろくな事にならないという事を学んでの事だ。ある意味では隣人同士、不要な諍いを避けるべく言葉が通じないなりに棲み分けをしていたともいえる。
だがあのケダモノは、おそらく逆だ。あれは、焚火の近くに人間がいるとわかった上で襲撃をしかけているようだ。成程、ヒグマ並みの体格に、彼我の戦力差や己の負傷すら顧みない凶暴性、奴らにとって人間はただのエサに過ぎないという事だ。
……普通に考えれば、近づいた時点で火の近くにいるのが人間ではなくスピノサウルスだという事に気が付くと思うんだが、なんで自分より遥かにでっかい獣に襲い掛かるのかね? ちょっと理解できない。おかげで何匹ものケダモノが、湖の魚の腹を満たす事になった。
まあそんな訳で、火を使った文明的な食生活は早々に断念せざるを得なかった。かといって、川魚を生でいくのは抵抗がある。なので他に食料になるものが無いか探して回ったところ、よい感じのものを見つけたのだ。
遊泳する事20分。目的地が見えてきた。まだ岸は遠いにもかかわらず、一本の大きな木が天高く聳え立っているのが見える。良い目印であり、あそこが目的地だ。
周囲を確認しつつ、岸に上陸する。このあたりの岸部は緩やかな傾斜になっており、この巨体でも上陸するのに苦労しない。陸は森ではなく草原が広がっており、遥か向こうには高原らしきものも見える。聳え立つ大木のほかに、周囲に木は見られない。
おそらくこの巨木が原因だろう。近辺の栄養を根こそぎ吸いつくしてしまったので他の木が生えないか、あるいはセイダカアワダチソウのように根から毒素を出して周辺の植物の生育を阻害しているのかもしれない。
そんなあたり一辺を支配する巨木だが、それだけの栄養を独占しているおかげだろうか。ただ大きく成長しただけでなく、豊かな実りをも備えていた。地上5m程の高さからぶら下がる、無数のオレンジ色の果実。形状はパパイヤに似ているが、香りの豊潤さは柑橘類を思わせる。何よりめちゃくちゃ大きい。スピノサウルスの肉体でも両手で抱えるようなサイズ、人間からすればこれ一つで10人ぐらい食べられるのではないか?
それほどのサイズになれば重量も大きく、それを支えるツタも頑丈だ。おまけに実っている位置がかなり高い。流石に多少注意しながらツタを爪で割き、実をむしり取る。
両手で抱えるようなサイズのそれの皮を剥く。皮は分厚いが柔らかく、鋭くとがった爪でも剥くのに難儀する事はない。ある程度皮を剥いたら、剥き出しになったオレンジ色の果実にかぶりつく。触感はマンゴーににたねっちょりと密度の高い感じだが、味はオレンジとレモンを濃縮したような強烈な酸味と甘み。下手なお菓子よりも濃厚なそれを、ムシャムシャと貪って食べる。
この果実を見つけたのは、この世界に来てから三日目の事だ。流石に連続でケダモノの襲撃を受けて焚火は危険と学習した私は、岸を泳いで回りながら食べられる物を探していた。そこで目にはいったのが、巨木に実るこのオレンジ色の果実だ。
一目した瞬間に分かったね、これ絶対美味い奴だ、と。
肉体が求めていたというか。そのまま上陸し食して以降、朝ごはんとして毎朝食べに来ている。
勿論、冷静に考えれば色々おかしい。スピノサウルスの食性ははっきりしていないが、少なくとも果実食ではなかったはずだ。さらに言えば恐竜時代はまだ植物も進化途上であり、こういう分かりやすい果物が実るような植物が登場したのはもっと後の時代のはずである。普通に考えてこの体が受け入れるはずがない。
だが、この果実を目にしたときの衝動は、理性ではなくこの肉体が訴えかけるものであった。事実、この果実を食べ始めてからしばらくたつが、体調に異常を感じた事はない。おつうじも快適だ。
その事を考えるに、少なくともこの肉体は果実食に適応している、と認めるべきだろう。そもそも肉食動物とて、完全に肉だけで生きている訳ではない。草食動物を捕食した際、その内臓に残っている未消化の植物質を摂取する事で栄養のバランスをとっている、という学説も存在する。あくまで直接食して消化する能力がないだけで、肉食動物も植物質が必要ない訳ではないはずなのだ。
そして植物の進化とは、より食べられやすくなる、という方向性も多い。よりおいしく、より消化しやすく進化する事で、あえて食べられて種を運搬してもらう、あるいは保護してもらう事で生息域を拡大する訳だ。そうやって進化した果実が、スピノサウルスの肉体でも消化が容易い、という事も考えられる。
とまあ、色々考えてはいるが、結局、自分を納得させるためでしかない。
現実に、私の今の食生活はこの果物に支えられているというのは否定できないのである。
果実うまー。
「ゲエップ」
完食し、果汁やらなにやらで汚れた口元を腕で拭う。こういうの食べるのに向いた口の造りじゃないから、多少汚い食べ方なのは大目に見てほしい。
あとに残されたのは、ラグビーボールほどの大きさの種だけ。可食部が非常に多い果実だが、サイズがサイズなので種もそれなりの大きさになる。
なんとなく、地面によく刺さりそうな形状のそれを、木から少し離れた場所に埋める。自然の恵みに対する、ほんの気持ち程度のお返しである。
朝食の後は、ちょっと汚い話になるがトイレだ。食べたらその分出さなければならないのは生物の性。それに今の私はスピノサウルスだ、健康状態の確認の為にも便の状態はよくみておかなければならない。
地面に穴を掘り、周辺に誰もいない事を確認して事をすませ、せっせと穴を埋める。
ふぅ。異世界転生しても生理現象というのはままならないものである。
しかしながら、いつまでもここで用を足すわけにもいかない。一応埋め立てているとはいえ、そこら中がエンガチョ落とし穴みたいな事になってしまう前に、何か良い方法を考えなければならない。水辺で致す、というのも考えたが、流石に舐めすぎというか、最悪ピラニアシーラカンスがケツに食らいついてくる危険性を除外できない。やはりトイレっぽい安全な立地を確保する必要がある。
本物のスピノサウルスならそんなの気にせず、水中でぷりぷりしてしまうのだろうが……流石に、人間の意識を保っている以上、そんな事はしたくない。
とにかく、今後の事も含め思考を止めない事だ。
この果物だって、いつまで食べられるかわからない。ビニールハウス栽培じゃないのだから、年中食べられるとは思わない方が良い。
そもそも、このあたりの気候もよくわからない。今は暖かいが、突然冬になったりする可能性だってある。もしそうなったら恐竜の体である今はジ・エンドだ。依然変わらず、恐竜の絶滅理由は主に寒冷化だとされているのだから。
そのためにはやはり、この湖についてよく知らなければならない。そして、この世界に住まう生き物についても。
岸部に座り込んで日光浴をしながら、私はちらり、と後方に視線を飛ばした。
私の座っている場所から後方200mほど。少しばかり背の高い草が生い茂っている場所に潜み、こちらを伺っている者がいる。
隠れているのは二匹、いや、二人組。何故そんな風に表現に迷うかというと、彼らの見た目が理由だ。
私としても彼らの存在を把握した当初は、カテゴライズに大分苦難した。
なんせ彼らは全身がくまなく毛皮で覆われ、胴体は樽のように太く、手足はキノコの幹のように短い。恐らく自分の背中で手を組む事もできないだろうその寸胴極まる体系は、前世の銀色家族なお家のそれが現実になったかのようだ。しかも彼ら? は二本足で歩行する。
さらにいえばその姿には前世知識における動物と奇妙な類似性があり、しかしその一方でウサギだろうとタヌキだろうとイヌだろうと、等しくあの短い脚でぽてぽて歩く様は、見ていて癒されるが同時に進化系統樹的な意味合いで大分目を疑う事になった。人種が違うとかそういうレベルではない。
やたらとディフォルメが効いたデザインというか、当初遭遇したあの一つ目のクマモドキとあまりにタッチが違うので正直同じ世界の生き物なのか、というレベルで困惑したが、観察を続けるいくとどうにも、この世界における霊長は彼らであるようだった。
つまり、少なくともこの近隣は、いわば獣人が支配しているのである。
遠巻きではあるが、遠くの路上を馬車を引いていたり、集団で畑の手入れをしたりしているのを何度も目撃した。時には武器らしきものを持って森に入っていくのを見た事もある。それは見た目がメルヘンチックな事を除けば、実に中世ファンタジーそのものの光景であり、彼らがこの世界の霊長である事に疑いはない。
今もこうして観察しているのも、おそらくはこう、ギルド的な組織からの任務の一環なのだろう。突如として湖に現れた巨大生物を警戒し、こうして監視の目をよこしている。ちなみに今日の二人組の見た目はウサギとタヌキといったところだ。彼らは私に対し警戒感と緊張感を剥き出しにしてはいるが逃げ出す事はなく、隠れて観察を続行している。
それはつまり、見た目こそメルヘンでファンタジックであるが、彼らはきちんとした組織運営能力とリスク管理能力を持った、非常に知性的な生物であるという事を示している。
できれば、仲良くなりたい。そんでもって可能なら言葉をかわしたい。
しかし、残念ながらそれは時期尚早と判断すべきだろう。
今もひっそり隠れているつもりの彼らからの視線は恐怖心が色濃く出ている。なるほど、スピノサウルスは間違いなくかっこいいが、それはあくまで絵本の中や映像の中にあるからこそだ。現実にそれが存在し、互いを遮る檻もないのでは、見た目のかっこよさよりも恐怖が先に来るだろう。恐竜復活を描いたかの名作も、分類としてはモンスターパニックホラーだ。子供のころに見て夢に出たのは忘れられない。
それにあまり下手に出るのもよくない。彼らが見た目通りの無垢な善性の存在だと思わない方が良く、あくまで人類と同じ霊長として考えるべきだ。そして人類がその歴史において、下に見た相手にどんな対応をしてきたか、私はよく知っている。
お互いの為にも、今は緊張感のある距離を保つべきだろう。
監視から目を外し、晴天の空を見上げる。今日も二連の太陽が燦々と輝いている、よい天気だ。スピノサウルスの体にとっては、絶好の遠泳日和である。
湖の探索は殆ど進んでいない今日は少し趣向を変えて、中央部の探索を行うとしよう。
私は監視者達をびっくりさせないようゆっくりと身を起こし、湖の水に身を沈める。そのまま背びれを水面に出したまま、中央を目指して湖底を蹴った。
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