第3話 初遭遇!
話を戻そう。
閉鎖環境である湖の水が澄んでいる、それは逆説的に、この湖は激しい食物連鎖を支えるような食料の安定供給は難しいという事をしめす。つまり、大型の肉食生物がいる可能性はさらに低下した。
「ゴボゴボボ」
いや、安全を確信するにはまだ浅慮にすぎる。ワニなどの水棲爬虫類であれば、陸上の動物を獲物としてただの水たまりなどでも生息できる。この湖のバイオマス量に不安があったとしても問題はない。
やはりまだ情報が足りない。
私は湖底を蹴って浮上し、水面に向かった。
体の大半を沈めたまま、背びれと顔だけを水上に出す。太陽の光を浴びた一瞬、視界が白くそまるが、すぐにそれは解除された。恐らく眼膜は陸上では逆に視界に異常をきたすのだろう。少しだけ困惑したが、それ以上の異常を感じなかったので、そのまま水面で体を伸ばす。
水上に出した背びれが、太陽の熱を浴びて急激に温まっていくのがわかる。活発に熱交換が行われ、温まった血潮が手足や尾の末端にまで行き届いていくのがわかる。まるで冷たい冬空の下、かじかんだ手を暖かいぬるま湯につけた時のような、じんわりと芯から熱が染み渡るあの感触。心地よさに目を細める。
なるほど。これは便利だ。
近年では恐竜は現在の変温動物のような冷血ではなく、暖かい血を持った哺乳類型爬虫類だったのではないか、という説がある。あの巨体であるからにはある程度自前で高いエネルギーをもっているだろうし持っていなくては動けない、という事からだが、その場合、体温を上昇するための背びれは不要だろうと言われていた。
だが、スピノサウルスが水棲であったなら、当然冷たい水中で体温は下がる。低下した体温を再度活動域までもっていくためには背びれは非常に便利な特性のようだ。現実のウミイグアナも装備していればよかったのに……と思ったが、背びれ、というか皮膜は繊細で損傷すれば取り返しのつかない器官だ。頂点捕食者であるスピノサウルスだから装備できたと考えるべきか。いや、数に物を言わせる下位個体ではなく頂点捕食者が皮膜をもってるのがそもそもおかしいのか? ううむ?
まあいいや、考えても仕方ない。それにしても、人間の意識でスピノサウルスの体を動かすとなかなか面白い感覚がする。
頭寒足熱というべきか、背びれのおかげで体が温まりつつも冷たい水中との落差で感覚が冴えわたる。ついでにあらためて吸う空気がおいしい。いくら長時間無呼吸で潜れるといってもやはり新鮮な酸素はやはり大事だ。
方針を転換し、背びれと頭だけを水面にだしたまま、移動を開始する。ワニのように尾をくねらせ、その一方で水面下でダチョウのように足をかく。ざぶざぶと水をかきわけ、巨体がそこそこの速度で押し出されていく。
この速度ならそう遠からず目的地につくだろう。
もちろん、目的もなく出鱈目に泳いでいる訳ではない。スタート地点である岩場から離れたおかげか、先ほど水面に顔を出した時、遠方の空にちらりと黒い陰が見えたのだ。島か山かわからないが、どちらにしろこの方向に何かがある。そしてどっちにしろ、そこには丘があるはずだ。
少なくとも水中よりは陸上の方が、得られる情報は多いはずだ。
そのまま速度を上げていけば、予想通り、水平線の向こうから黒黒とした山が顔を見せた。周辺に警戒しつつ、まっすぐにそちらに向かう。
ここまでくると、湖底の様子も少しずつ変わってきた。白い砂に、大きめの灰色の岩が混じるようになり、棲んでいた水質はわずかに緑色に濁りつつある。水草や藻が岩に張り付いているのが散見されるようになり、こころなしか生息する魚も大きくなってきた。
まだまだ水深はあり、腹を岩で打つような事にはならないだろうが、死角が増えてきたのはいただけない。奇襲を受けないよう、一度水中に潜行する。
岸が近づいてきたせいか、私の体が泳ぐのに十分な深さはあるが、やはり底が浅くなってきている。湖底も泥交じりで藻が生い茂る環境になってきており、何より巨大な岩が柱のように転がっているのが非常に嫌だ。死角から巨大ワニが襲ってくる想定で距離を置きつつ、岩の間をクリアリングしながら進む。真面目に命がかかっているので、感じた事のないプレッシャーに心拍があがる。誰だって、頭の中で学校をテロリストが襲撃してきた時の対応策を考えた事があるだろう、それをリアルでやってる感じだ。
その時、不意に岩の陰で何かが動いた。大きい。
「!」
俄かに緊張の度合いが上がる。足を止め、いつでも逃げ出せるようにしながら状況の変化を見守る。
来るなら来い。こっちはスピノサウルスだぞ。だからできれば逃げてください。
そんな私の思いが伝わったのか伝わらなかったのか、それは岩陰から悠々とその姿を私の前に曝け出した。
それは巨大な魚だった。
一見するとシーラカンスに似ている。だが、顎は下あごが大きく発達した上でしゃくれ、無数の牙を剥き出しにしている。目つきも魚類である事を差し引いてもひどく人相が悪い。なんていうかピラニアの顔をしたシーラカンスといったところだろうか。どう見たって肉食性である。
大きさもけっこうなものだ。現実のシーラカンスも大型の魚類だが、これはさらに大きい。マグロぐらいはある……人間が水中で対面したら絶望を覚えるようなサイズと面構えだ。
そう。人間ならば。
「ギャーッス」
正直めっちゃ安堵した。うん。いや、最悪10mサイズの巨大ワニを想定していたので、2mチョイ超えのピラニアならまあ、別にとなる。こちとらスピノサウルスやぞ。
いやまあそれはそれとして結構な大物だ。所詮素人の浅知恵だ、何がこの湖には魚達を支える程度のバイオマスしかない、だ。いるじゃん大物。脅威じゃないけど。
勿論、これが群れで襲い掛かったらどうしようもないのだが、見た所こいつは一匹だ。念のため周囲を確認するが伏兵が隠れている様子もない。どこぞのニワトリみたく、一匹に手をだしたら群れ全体が襲ってくる特殊な生態をしていたとしても、索敵範囲に姿が見えない以上、十分逃げ切れる。
正直安心して余裕を取り戻したこちらに対し、ピラニアシーラカンスは逃げる様子もなく、そのガン決まった目をこちらにむけながらゆらゆらと漂っている。どうやらこちらと一戦交えるつもりらしい。
肉食動物のこういう無謀さは、大体己以上の捕食者がいない環境で見られる。草食動物は臆病であると同時に常に覚悟決めて生きてるのでしばしば勝ち目がない戦いでもかっとんでくるが、肉食動物にそれはあまり見られない。食べる側には食べられる側とは違う苦労があり、無駄な出血は避けようとするからだ。にも関わらず無謀な戦いに臨むときは、相手の実力を理解していないケースだ。
つまりは大海を知らぬ川の中のピラニア。突進してくる魚類に、私は憐れみすら覚える余裕があった。
牙を剥いての突進を、ひらり、と水中で回避する。なんだかんだ、ここまで泳いできてこの体の感覚は掴んできた。人間にはなかった太い尾の制御もお手の物だ。
標的が突如消失し、急な方向転換が出来ずに減速して旋回しようとするピラニアシーラカンス。その首を、背後からがぶりと咥える。魚らしくビチビチはねて抵抗してくるが、こんな時の為の乱杭歯だ。鋭い牙は鱗を容易く突き破り、肉を捕らえて離さない。
そのまま力を入れると、ゴキリ、と骨の砕ける感触。くたりと魚体が脱力し、抵抗が止む。口の中に、水で薄まった血の味が広がった。
命を奪った感慨は、特にない。相手が魚だからだろうか、それとも私がスピノサウルスになってしまったからだろうか。……多分前者かな。なんだかんだ魚釣りした経験はあるし。
さて、これをどうしようか。
スピノサウルスは魚食性という学説がある。そして事実、今の私は口の中に広がる血と魚の味を好ましいものと感じている。
が、これは淡水魚だ。そして淡水魚を生で食べるのは、非常に危険な行為である。
主に寄生虫。
野生動物は気にせずにガンガン食べるが、それは彼らが平気なのではなく寄生虫の危険性を知らず、また体調不良を抱えていてもその因果関係を理解できないからである。実際に寄生虫が原因と思われる感染症、合併症で命を落とす動物は多い。問題にならないのはそれが生態系の一部に組み込まれた死であるからだ。
だが私は肉体はスピノサウルスではあるが、意識は人間である。寄生虫の危険性を理解した上で気にせず食するのは、人間の価値観でいうとただのドアホである。
獲物を咥えたまま浮上し、水面から顔を出す。
対岸は思ったよりも近い所まできていた。100mほど先に、緩やかに傾斜した土手がある。しばらく草地が広がった向こうには、黒々とした緑が生い茂る森が広がっている。
最新の注意を払いつつ、口に魚をくわえて岸を目指す。幸いこれ以上のエンカウントは発生せず、私はついに陸地へと上陸した。水でぬかるんだ大地にスピノサウルスの足跡を刻みつけ、水を滴らせながら陸地にあがる。
しっかりした地面がある。そのなんと心強い所よ。肉体はスピノサウルスであっても心は人間、やはり永劫に水中では生きられない事を改めて実感する。
とはいえいつまでも感慨に浸ってはいられない。ぺっと魚を岸に放り投げ、私は目的のブツを求めて森に踏み入った。魚が腐る前に事をすませなければならない。
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