第4話 そんな焚火に釣られクマー


「ギギギギ……」


 踏み入った森は、スピノサウルスの巨体が移動に困らない程度には木々の間に空間が保たれていた。ヤブがない訳ではないが、そんなに密度が高い訳ではなく移動には困らない程度。見上げれば黒々とした大木の葉が隙間なく頭上を覆っており、そのせいで地上の植物はあまり育たないのだろう。それを踏まえても、下草の密度が低い。草食動物が食べているのか、あるいは木々の間を行き来する大型動物がいるのか。


 植生に関してだが、残念ながら見たことが無い植物ばかりという事しかわからない。一番多く生えているのは黒に近い緑色の葉を生い茂らせる木だが、こんな色合いと形の葉を私は少なくとも見た事も聞いたこともない。針葉樹の葉をすこし平たく潰したような形状の葉は、見た目に反して柔らかく、強い緑の匂いがする。広葉樹の一種ではあるようだ。


 足元にはえている下草は種類が雑多すぎてなおさら不明だ。


 ただ、湿度はそう高くなく、気温は低くはないが熱い、というほどでもない。熱帯ではなく亜熱帯、それも比較的北より。春先、梅雨に入る直前の日本の気候で、かつ乾燥していたらこんな感じだろうか。


 おかげで、目的のものは容易く発見する事ができた。


「ゲッゲゲー」


 私が探していたのは、よく乾燥した木の枝だ。少し歩き回るだけで発見できたそれを拾い集め、前足で保持する。一抱えほど集めた所で、私は上陸地点に戻った。


 バラバラと木の枝を転がし、その中からよさそうなのを吟味する。元は立ち枯れした幹だったのだろう、特に太くて大きい木材に爪をかけ、半分に割る。それとは別に、できるだけまっすぐな枝を選別し、余計な凹凸を爪で削り落とし、先端を尖らせた。


 これで準備が完了だ。


 目の前には床に安定して設置できる平べったい板らしきものと、先端の尖ったまっすぐな棒。そしてそれを加工する過程で発生した木屑。これだけあれば、火を熾せる。


 かつて猿だった生物が霊長を名乗るまでに発展した理由、それは火を扱えたからに他ならない。火によって暖を取り、食料を調理し味と消化しやすさを向上させる事で、人類は大きく発展した。私も今やスピノサウルスではあっても頭の中身は人類である、それにあやかろうというのはごく自然な発想だ。川魚も火を通せば安全に食せる。


 もちろん、この体に人類のような器用な五本の指はない。だが、生まれたての赤ん坊ではあるまいし、このスピノサウルスの指も上手く使って見せよう。


 そもそもスピノサウルスであったのが幸いだ。ナックルウォークを行っていた説がある程度には、スピノサウルスは前足が発達しており指も大きい。もし転生したのがティラノサウルスだったら細かい作業なんて何もできないで詰んでいた。


 それに手の大きさと力は人間とは比較にならないほど強い。それをうまく使えば、この在り合わせの道具でも火を熾せるはずだ。多分。


 やってみなければわからんさ、と私はすぐに火おこしにかかった。


 両手で棒を挟み込み、平たく割いた木材に押し当ててすり合わせるようにして回転させる。最初は多少手間取ったが、すぐにコツが掴めて回転が安定するようになった。私は生前から手先が器用な方ではあるものの得意不得意の差が極端だったのだが、幸い火おこしは不得意ではなかったようだ。


 スピノサウルスのパワーで棒を強く押し付けながら回転させれば、加わる摩擦熱によって木材が危険な領域まで加熱していく。やがて黒い煙が立ち上り、ぼぅ、と火種が灯った。


 ここから木屑で火種を大きくしていくのが手順なのだが、木材がよく乾燥していたのか、木屑を追加するまでもなく火はどんどん大きくなり、木の棒と木材を糧にして燃やし始めた。熱が伝わってきてあっちっちと手を放す私の目の前で、どんどん火が大きくなっていく。


 えらいこっちゃと慌てて枝を追加。


 瞬く間に火は燃え上がり、あっというまにいっぱいの焚火が完成していた。


 想像よりも遥かに簡単にうまくいってしまってちょっとびっくりする。普通に考えて、こんなにうまくいくはずがない。もしかしてこの世界は物理法則が多少異なるのだろうか?


 まあ、考えても仕方ない。今はそれよりも、この火をうまく利用しよう。


 転がしておいた魚を手に取る。腹を爪で割いて内臓をかきだし、適当に湖に投げ捨てる。そしたら軽く水洗いし、木の枝を口から刺して貫通させる。


 あとは焚火を使って焼いていくのだ。サイズがちょとでっかいが、魚の串焼きである。


 焚火の近くに立てかけるように魚をセット。あとは時間をかけて焼くだけだ。周囲を少し観察して、私はその場に座り込むとのんびり魚が焼き上がるのを待つことにした。


「ギュッ?」


 湖からぱちゃぱちゃと波の音がして振り返る。確認の為にのぞき込むと、水面下ではピラニアシーラカンスが、水の中で何かを貪っているのが見えた。ちらりと見えたのは、さっき捨てた内臓のようだ。なるほど、食べ終わったら湖に放り込んでおけば残飯を処理してくれそうだ。


 とにかく脅威でないなら、今は気にする必要もないだろう。焚火の前に戻り、じゅうじゅうと音を立てて皮が焼け始めた魚をひっくり返した。


 魚が焼き上がり、それを私が綺麗に平らげる頃には、太陽の日はすっかり落ちていた。


 夜空には、とんでもなく巨大な満月。昼間の二つの太陽といい、異世界に来たんだなあ、と実感を抱かざるを得ない。


 流石にそろそろ、最初に抱いた夢かもしれない、という認識は飛んでいる。夢にしては精巧で、時間の流れも正常で、かつ長すぎる。


 そうなると、自然と自分の生前について思いを馳せる事になる。


 神を名乗った存在は、私が死んだといった。最後の記憶は昼寝のために机に突っ伏した所だが、あの後心臓麻痺か何か起きたのだろうか。死後、私の周りの人たちはどう思ったのだろう。友人……は残念ながらとんといなかったが、両親は存命中だ。結局、私は人生の選択肢に失敗してばかりで、その挙句、親よりも先に死んだ親不孝者だった。両親は決してその事で私を責めるような人たちではないが、本当に申し訳ない事をした。


 逆に言うと、未練はそのぐらいだ。


 人間社会は、聊か、無情すぎる。


「…………ギィ」


 そうやって月の光を前に思いをはせていると、小さな物音を聴覚が捕らえた。それに、なにかが背後の森の中に潜んでいる感覚。匂いとか、熱源とか、そういったものを総合しての判断だ。


 獣臭い、それなりに大きい何かが、森の中から私を狙っている。


 のっそりと身を起こし、焚火の横に立つ。ぱちぱちと燃える焚火の炎が、森の中に深い影を落とした。




 その中に、一匹の大きな獣が佇んでいた。




「ギョエ?(え、なにこれ怖い)」


 最初は熊かと思った。3mを越える背丈に、黒く毛深い体。二足歩行で直立し、だらんと両手を脇にたらしている様子がグリズリーやヒグマを思い起こさせたからだ。


 だが、よく見ると違う。血走った目は顔の正面に一つだけあり、耳がない。両手は異様に長く、肘から手首あたりにかけて、毛皮の中から棘のようなものが無数に突き出している。涎を垂らしてふらふらとわずかに佇む姿は薬物中毒者のようで、体表からはこの距離でも嗅ぎ分けられる程の凄まじい異臭と、ツンと鼻につく薬品臭さのようなものが漂っている。


 なんだこれ、というのが正直な感想だった。


 見た目はクマっぽいが、本質的にはもっとろくでもないものだ。


 敢えて言うなら、昔都心で絡んできたヤク中の浮浪者に近い。


 血走って虚空を見ていた一つ目が、私を捉える。目尻に血涙を浮かべ、焦点が一点に絞られた。


 ……いくら大きいとはいえ、そのケダモノと私の体格さは大人と子供といっていい。直立してようやく3m前後のそれと、全高5mかつ全長でいうなら10mをこえる私では質量があまりにも違う。普通はケンカにすらならないだろうが、どうもこの相手はまともではなかったらしい。


「HU…………HUUUUUu!!」


 奇妙な雄たけびをあげ、ケダモノが走って向かってくる。火を恐れる様子がまるでない。というか、周りを正常に認識できているのか。短足でドタドタ足音を立てながら一心不乱に迫ってくるのは、気の触れた通り魔か何かに見える。


 普通にめっちゃ怖いんですけど!?


 だがしかし、私の心には変な余裕もあった。


 わかってます? お前が相手しているのはスピノサウルスだぞ?


「グォオオオォオオ!!」


 気圧されたのは一瞬、こちらも負けじと雄たけびを返す。絶大な肺活量で吐き出された怒声が、空気をビリビリと震わせ、局地的に気圧を変化させる。爆音を真正面から浴びたケダモノが、気圧されたように一瞬動きを止めるが、あくまで一瞬の話。何事もなかったように涎を垂れ流しながら向かってくるを見て、こちらも排除を決定する。


 走ってきたケダモノが、右手を大きく振り上げた。ただのクマパンチでも人間の首から上をボールにする破壊力を秘めているのだ、目の前のケダモノはそれにトゲつきだ、破壊力はその上をいくだろう。だが、相手が悪かったと言わざるを得ない。精神はともかく、この肉体は恐竜時代の頂点捕食者、その一角である。


 ステップを踏むようにして、ギリギリの所で鮮やかに回避。短足でドスドスと走ってくるケダモノに比べ、スピノサウルスは肢がすらりと長く、歩幅も大きい。その為一見動きは鈍いように見えて、非常に俊敏かつ切り返しが早い。


 盛大に空ぶってたたらを踏むケダモノの側面に、尻尾の一撃を叩き込む。太く長い尾での殴打をもろに受けて、ケダモノがぽーんと吹っ飛ばされた。そのまま少なくない距離を吹っ飛び、岸部の地面にごろごろと転がってダウンする。


 結構手応えがあったが、命を奪うまでには至らない。これで実力差を理解して立ち去ってくれればいいのだが……。正直あのケダモノ、不味そうだし。


「HU……HU……」


 荒い息を吐きながら立ち上がるケダモノ。その単眼が、ぎょろりとこちらを捉える。残念ながら、あちらさんはまだまだやる気のご様子だ。


 やるせなさにため息をつく。野生の世界も、なかなかに無情だ。


 再び叫び声をあげながら走ってくるケダモノ。申し訳ないが、引く選択肢がないのなら、こちらもギリギリで回避するなんていうパフォーマンスはもうしない。


 こちらもトットッと突進し、体格の差にものを言わせて相手の頭をぱっくんちょ。相手の反撃がくる前に、ぶんぶんと振り回して二度、三度と地面にたたきつける。


 ボキィ、と首の骨が折れる音。


 くたり、と相手の力が抜けるのを確認して地面に放り投げ、その亡骸を右後ろ脚で踏みつけて勝利の咆哮。


 悪いが、先に襲い掛かってきたのはそっちである。浅慮死すべき、がこの世の絶対的な掟なのだ、良くも悪くも。


 しかし、この亡骸、どうするべきか。放置しておくのは道理にもとるが、この鼻が曲がるような悪臭を発する肉を口にしたくはない。見た所、変な薬草でも食べてラリってた疑惑もある。


 処分に困っていた私だったが、湖面が目に入ってふと思い出した事がある。


 そうだ。あの魚達のエサにすればいいのだ。


 思いついたが即実行。焚火に土をかけて火を消し、ケダモノの足を噛んで引きずったまま湖の中へ。


 夜の水中は寒いかと思ったが、日中とそう変わらない。これだけ広いのもあって、海と同じであまり地上の気候に左右されないようだ。そのままある程度沖合まで移動した所で、湖底に死体を置き去りにする。私自身はそのまま泳いで行って距離を取り、しばし様子を観察する。


 真夜中でも巨大な月のおかげで光源には困らない。月の光は太陽光の反射というし、二連太陽の恩恵はもしかすると昼よりも夜にこそ大きいのかもしれない。月の反射する黄金の光が降り注ぐ中、蠢く影が次々と現れる。


 どこにそんなに隠れていたのか、サイズにはばらつきがあるもののピラニアシーラカンスが続々とやってくる。彼らはしばし湖底に沈む死体を物色していたが、やがて遠慮なく肉を貪り始めた。分厚い毛皮も容易く噛みちぎり、大群で平らげていくのはなるほど、現世のピラニアそっくりだ。やはり見立ては間違っていなかったらしい。岸に近づくにつれ緑が増えていったのも、こうやってピラニアシーラカンスが獲物を食い散らかして栄養を供給していたからかもしれない。ついぞワニに出くわす事はなかったが、こいつらがこの湖ではそのポジションなのだろう。


 これであのケダモノも、無事食物連鎖の中に還る事ができただろう。私はひとしきり満足して、そのまま水面近くまで浮上、湖面中央に移動を開始する。


 残念ながら、あんなケダモノが生息しているのが分かった今、陸上で休息するのは危険が伴う。仕方ないが一度中央付近の、生き物が少ないあたりまで移動して、そのまま水上で寝る事にしよう。幸いこの体はちっとやそっとで溺れたりしないのは分かっている。軽く数時間寝て、起きてを繰り返せば休息はとれるはずだ。そもそも野生動物と化した今の体が、人間の頃のように6時間以上の睡眠を必要としない可能性もある。


 とはいえ、せっかく陸地を見つけたのに残念な気持ちはある。しかしまあ、仕方がない。


 夜空に輝く月を見ながら、私は一人、広大な湖をのんびりと泳いだ。



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