第2話 みんなの人気者
スピノサウルス。
スピノサウルス科スピノサウルス亜科スピノサウルス族スピノサウルス属。
それは全ての男の子の心に宿る浪漫の面影である。
最も有名な肉食恐竜であるティラノサウルスを超えうる、成体の推定全長およそ14mという巨体。ディメトロドンのような巨大なヒレを背中に持つ特徴的な外見。化石のサンプルが少なく、謎に包まれた生態。いくつもの魅力的な特徴を備えた、押しも押されぬ人気恐竜である。
その人気ぶりゆえ、科学的根拠が少ないという事は好き勝手にやっていいという事だと、ある意味ではティラノサウルス以上に創作世界ではしばしばもりもりに能力を盛られる傾向がある。
そのため大体アニメやマンガ、ゲームでは強豪扱いとして子供たちのハートをがっつりキャッチしてきた、名実共にティラノサウルス永遠のライバルと言えよう(当社比調べ)。
例えばある作品ではメカ恐竜として背中から電撃を放ち、ある作品ではティラノサウルスを噛ませにして最強恐竜として君臨し、ある作品ではマッドサイエンティストの意識を宿して悪のラスボスとして君臨したりした。他にも背中にヒレのある怪獣は大体スピノサウルスの影響を受けていると言っても過言ではない。いや過言だった。
そんな浪漫の権化たるスピノサウルスではあるが、近年残りの化石が発見された事で水棲恐竜の一種である事の科学的考証が進み、実は魚食で体躯はでかいけど実はそんなに強くなかったのではないか、という説が持ち上がってきてはいる。
が……永遠のライバルことティラノサウルスも、定期的にディス論が持ち上がっている事を考えると人気者を貶す事で注目を浴びたいだけのイキった科学者の妄言である可能性も考慮に入れる必要があるだろう。
だいたい魚食ってると弱いとか偏見である。海中最強生物であるモササウルスだって魚とかアンモナイトが主食だ。
話が逸れた。
再び、まじまじと水面に映る己の肉体を観察する。
見まがう事なきスピノサウルスだった。一応、首を捻って直接肉体を観察するが、やはり間違いなくスピノサウルスだった。正確には、スピノサウルスのパブリックイメージに近いというべきなのだろうが。
化石というのはあくまで骨だ、というか正確には骨の形を写し取った石に過ぎない、文字通り。長い年月の間に、最後に残った骨に石の成分が蓄積、沈着し、骨がついには朽ちた後も置換された成分が残っている、それだけだ。一説には化石をかち割れば内部にまだ骨髄のタンパク質の痕跡が残っているかもしれない、と言われているが、それを試した奴はほとんどいない。それを期待できるほど保存状態のよい化石は非常に貴重だからだ。なので、いくら現代科学といっても、化石から生前を推察するには限界がある。
毛とか鱗とか、化石になって残らない部分は想像で補うしかない。なので定期的に、ティラノサウルスは全身を羽毛で覆われていただとか、けばけばしい極採色をしていたとか、自己顕示欲を抑えきれなくなったイキり科学者が訳の分からない主張をしてティラノdisに走るのである。
ちなみにこれは真面目な話として、スピノサウルスも背びれが背びれではなく、ムキムキに発達した筋肉を支える為の骨格だったという説もある。ソースはバッファローの骨格。
……まあ、背びれを齧られて損傷した化石が存在するので、流石にその可能性は低いとは思われるが……大真面目にそういう可能性を考慮できるぐらい、生前の恐竜の姿というのは想像にすぎないのだ。鎧竜の一部のようにミイラが残っていればよかったのだが。
まあそんな訳で、一目でスピノサウルスだ! とわかる姿をしている事が、逆にこの姿が真のスピノサウルスではなく、イメージ上のスピノサウルスであろう事が判別できるのである。
いうなればスピノサウルス(偽)という訳だ。
「アギャギャ……(いやスピノサウルスは好きだけどさ)」
意識では人語をしゃべっているが、口から出てくるのは恐竜っぽい叫び声。人間のように複雑な言葉を使い分ける声帯は備わっていないようだ。あるいは、私の意識がそれを使いこなせてないか。
しかし、何故スピノサウルスになってしまったのか。
最初は大分戸惑ったが、しかし考えてみれば割と納得する点もある。実際の恐竜がどうだったかは知らないが、この肉体、ちょっと動いてみた感じでは明らかに人間のそれよりも遥かにパワーがあって、頑丈だ。それこそ下手なチートパワーよりも単純に強力である。
それでいて、人間としての意識は損なわれていない。野獣の肉体に人間の知能、まさに鬼に金棒である。
それに、いっそ完全に人間ではなくなったほうが、私自身生きやすいかもしれない。
欺瞞に満ちた人間社会、一人では生きていけない以上誰かと関わらなくてはいけないのに、世の中は悪人ばかりがのさばっている。欲望だけが異常に肥大化した人非人が、社会ルールを維持する大多数の良識ある隣人を食い散らかすこの世の地獄。
それならばいっそ獣になって、社会から距離を置いた方が生きやすいというものだ。
かつて詩人を志した男が虎になってしまった事を嘆く古文があったが、さりとて虎として生きるのが生き難かった訳ではあるまい。彼は虎になっても人間社会で大成するという野望を思い出してしまったから苦しんだのだ、というのが私の解釈だ。
そう考えると、なるほど。
顧客が本当に欲しかったもの、という訳か。
そうだな。
存外に、悪くはない。
もちろん、この状況が夢の続きであり、実際には私は職場の机の上で鼾をかいている可能性もあるが、というかその可能性の方が高いが、だとしてもこの状況を受け入れない理由にはならない。
夢であろうが現実であろうが、こんな変な事になってるのなら楽しまなければ。
それに万が一、夢でなかったらどうする。本気でやらねば後悔するのは自分だ。そして後悔するのはもうたくさんだった。
「ギャギャギャ」
青空の下、太陽の光に目を細める。
ところで先ほどからずっと私が立っているこの場所。湖の真ん中だが別に私が特撮怪獣のように水中に直立するスキルに目覚めたという訳ではなく、ちょうど下に大きな岩があってよい感じの足場になっているようだ。
前足でちゃぱちゃぱと水をかき混ぜて、水面に立つ波と見比べる。
こんな話がある。特撮においてスケールはミニチュアの大小で表現できるが、水と炎はどうにもならない、と。現実の広大な海の荒々しい波を、お盆に溜めた水で再現する事はできない、という話だ。その話にのっとってみるなら、比較対象がないとはいえ、今の私の体がそれなりに巨大である事が判別できる。それと比較してもこの湖はとても広大で、水底も深いようだ。
……一応、スピノサウルスは水棲だったという説を参照するなら、泳ぐ事は問題ないはず。問題は、この広がる湖に何が生息しているか、という一点だ。
そもそもここはどこなのか。太陽が二つあるので異世界なのはもう疑う余地はないのだが、もしかして現実のスピノサウルスの生息域に近い環境であったならば、天敵ともいえる生物が多数存在しているはずだ。代表的なのがワニの仲間。
あくまで地球での話だが、恐竜時代は同時に大ワニ時代でもあり、それこそ肉食恐竜であれど迂闊に水辺に近づけば命はない過酷な世界だったという。そうでなくても、いわゆる海竜と呼ばれる水棲爬虫類の類も多数存在した、モササウルスとかいくらなんでも勝てる気がしない。見た所この肉体が潜れるだけの深さがある湖だ、そういうヤバイ生物がいる可能性は非常に高い。そうなったら、スピノサウルス生一時間の私はあえなく本日の晩御飯だ。
いっそ、ずっとこの岩の上で暮らすというのもありかなと一瞬考えたが、あまり現実的ではないだろう。どの道食料の確保は必要だし、それにこの湖、やたらと広い。こうして首を巡らせてみても、対岸らしきものが見当たらない。人間が琵琶湖の真ん中に放り出されたらこんな感じなのではなかろうか? 右も左もわからないままスタート地点に固執するのは、あまり良い事にはならないだろう。
ちなみにそれならなぜ湖だと判断したのか、海ではないのか、という話には、先ほどから波が非常に弱い事と満ち引きらしきものが無い事、水がしょっぱくない事で確認済みだ。いやまあ、異世界の海はしょっぱくない、という可能性も勿論完全に排除できないのだが、そのあたり言い出したらきりがないので。
「……ギギッ」
いつまでもここでうじうじしてもしょうがない。
私は覚悟を決めて、湖面に飛び込んだ。
目を閉じて水の中に身を投げ出す。急に冷たい水に躰を沈めた事で一瞬背筋がぴりっとなるが、思っていた以上にすぐ躰が慣れた。溺れないように息を整えながら力を抜き、手足を少しずつ動かす。背びれの大半はまだ水面に出ている感覚があって、なるほど、サメが背びれを水面に出して泳ぐのはこういう気持ちか、と案外余裕のある感想が浮かんだ。
そこで、こわごわと目を見開く。海水じゃないとはいえ、水中で目を開くのはちょっと怖い。が、いざ開いてみると、思った以上にクリアな視界が広がっていて驚く。まるで水中眼鏡を装備しているみたいだ。
もしかして、保護膜か何かが展開されているのだろうか。水棲爬虫類のみならず水鳥の類にも標準装備されてる装備だ、考えてみれば別におかしくもないか。
目を傷つける恐れから解放されると、現金な物だ。私は周囲の様子を楽しみはじめた。もちろん天敵の存在は意識していたが、好奇心には勝てなかったのだ。
湖はそこそこの水深があったが、海のように底なしという訳でもない。今の私の体を縦に三つ重ねたぐらいの深さで、水は非常に透き通っており、湖底まで見通せるほどだ。これほどの広さの湖の水がこれほど透き通っているのは俄かには理解しがたいが、そういうものだと納得するほかはないだろう。
水中にいるのは私だけではなく、大小様々な魚の姿も見て取れる。彼らは私の存在など気にした風もなく泳いでいるが、時折近づきすぎた個体が慌てて逃げていく。色も緑、赤、黒、様々だ。しかし、そこそこ距離のある状態でチラ見しただけだが、どうにも魚と一目でわかる一方で、姿かたちが記憶と一致する個体はとんと見ない。背びれ胸鰭や体形のバランスが珍しい形のものばかりだ。……古生代の魚類についてはちょっとわからない。知識外だ。
泳ぐのをやめて、湖底にむかって潜水する。この体は人間のそれと違い、水中でも息苦しさを感じない。常人であれば数分とたたず耐えられなくなるだろうが、この体は体感でもその数分をとっくに過ぎている。流石に永遠にいる事は不可能だろうし僅かな息苦しさも覚えているが、問題には感じない。そう、例えば映画をこれから一本見るとき、トイレにいっておくべきかそれとも別にいらないか、そう悩む程度の尿意ほど、とでもいえばいいだろうか? つまりは全く問題が無い。
ゆっくりと湖底に着地。
近くに一匹、20cmぐらいのザリガニみたいな生き物がいた。私に気が付くとエビジャンプで逃げていく。
瞬く間に遠くへ消えていった小さな影を見送り、私は改めて周辺を観察する。
湖底には白い砂が延々と降り積もっており、水中に差し込む日光で燦燦と煌めていた。後ろ脚で踏みしめてみると、ふわふわとした感触が返ってくる。キメが細かく、また分厚く積もっているのが分かる。
顔を上げると、かなり広範囲まで周囲が見渡せた。
その視界の中には私が一口できるサイズの魚以上の大きさの生命体は存在しない。仮に水中を超高速で移動できるワニのような生物がいたとしても、この水質でこの距離にいないのならすぐさま私が危険にさらされる事はないだろう。安全を確認し、私は湖底の観察を続行した。
少しだけ前足ですくってみると、水中にキラキラと夜空の星のように白い粒子がまった。一方で、汚泥が水を汚す様子は見られない。まるで沖縄のサンゴが砕けてできた砂浜のように、この砂はよく砕け洗浄されているようだ。だがあれは波の運動によって破砕、洗浄されたものだったはずだ。波のほとんどないこの湖底で、何故これほどの量の綺麗な砂が積もっているのだろうか?
それに、水中が透き通っている、というのは、有機物がほとんどないという事にもなる。事実、海底には砂が広がるばかりで、藻や水草の類がほとんど見当たらない。
だが、魚はそれなりの大きさと数が揃っているようだ。もしかするとどこかに湧き水の湧出点みたいな、生態系を支えるホットスポットがあるのだろうか? だが、魚達を食べさせていくので限界のはずだ、でなければこうも水が透き通っていない。
塩味がしない以上ここは湖であり、湖は閉鎖空間だ。生物が生きる限り汚れは生まれ、それは水を濁らせていく。いやまあ、異世界はその限りではないとかいう可能性はあるのだが、それを言い出すときりがないのでそれは考えないでおく。
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