第7話 サーシアと幽霊騒動

 

 サーシアが"庭園"に訪れ、既に1ヶ月程が過ぎていた。

 彼女としては上々と言える、充実した学生生活を過ごせている。


 そんな今日は、いつもの教室では無く実習室に集まり、ニルはいくつかの書類を皆の前にふわりと飛ばしていた。


「今日は皆には授業…もとい、仕事をこなしてもらおうかな」

「先生、また魔法陣の作成依頼溜めてたんですか?」

「グレイグ…そういう言い方は良くないよ。僕はこのところ多忙だった。良いね?」

「はーい、すいません」

「僕、魔法陣作るの好きです。楽しいし、勉強になります」

「ハイネ…君は勤勉な生徒だね、ありがとう。エルマには悪いけど、今回はアレスト商会からの依頼が多いから、一般向けの日用魔法陣かな」


 褒められたハイネは照れ笑いを零す。

 無意識に期待の眼差しを向けていたエルマは、コホンと咳払いをしてから、問題ありません、と返事をした。


 サーシアもあれから魔法陣の勉強を進め、ある程度の魔法陣は一人でも組み上げることが出来るようになっていた。

 本人は謙遜するも、エルマやハイネからアカデミーでも優秀な方に入るだろう、とお墨付きを貰っている。


「では、僕は少し席を外すね。悪いね、最近立て込んでいて…」

「先生、聞きたい事があるんですが」

「ユースティス、君からの質問はとても嬉しいんだが…昼食の後で時間を貰っても良いかな?」

「構いません」

「ありがとう、ではまたね」


 そう言って、ニルは消えるように姿を消した。

 それを見て、サーシアは思わず声を上げる。


「ずっと気になってたんですけど、あれ転移魔法ですよね?一体どういう事なんですか?人間に転移魔法使ったら死ぬって!聞きました!」


サーシアの疑問に、他の面々はお手上げといった態度を見せた。


「あれは…僕達も分からない…」

「転移魔法自体、とても高度な魔法だから…物体を魔素に分解して、魔法陣で移動させて再構築する…原理を口にするだけなら出来るけどね…ユースティス、分かる?」

「出来るか出来ないで言えば…出来る、のかな。ただ、再構築するということは、その対象の構造を理解していないといけないから。人間をバラバラに分解してまた作り上げるって事が本当に出来るのか、僕には分からない。果物でさえなるのに」


 資材などを『転移』させる事は、研究が進み、既に行われている。

 だが、次は食材などを試そうと行われた実験で、グズグズにほどけて転移先に現れた果物は、魔法使いの中では有名な"怖い話"である。

 いくつかの実験を経て、それ以来『魔素を有する生命力を伴うもの』の転移は出来ないと定義され、以後禁止されている。


「ひぃ…想像しただけで怖くなって来ました…」

「それを先生はやってるって事ですよね…?」

「人体の構成、なんてものは錬金術の方面になるだろうけど…えーっと、前読んだ本には…原質の結合で物質が生成されるってのが基本の考えだから、人間の原質とやらを先生は全部理解してるって事か?」

「グレイグ…あなた、本当に記憶力だけは凄いのね…」

「だけ、ってなんだよ」

「人間図書館と名乗っていいと思うぞ」

「なんか褒められてる感じしないなあ!」


 賑やかな先輩達にもだいぶ慣れたサーシアは、自分には知識や理論…色々なものが足りないと感じ、溜息をついた。


「ここに来たら"悠久の魔法使い"の秘密が分かるかなって思ってたけど、先生の謎ばっかり増えていく…」


 自分の眼はニルの正体を掴む手がかりとなると言われたものの、その意味はさっぱり理解出来ていない。


「まあ、とにかく今は勉強あるのみだね!ハイネ、これなんだけどさ…」


 エルマの話を聞き、サーシアの中でも自分がどんな魔法使いになりたいか、という事を考えるようになってきた。

 とにかく、いつも疲れた顔の母の負担を減らせればという思いばかりだったが、自分の未来というものに、少しだけ期待を感じているサーシアなのであった。


 ####


「はあい、サーシアちゃん。どうぞ〜、今日はお魚よお」

「わあー!ありがとうございます!」


 食堂…というには些かこじんまりとしているものの、炊事場といくつかの机が並び、生徒たちの食事用兼談話室となっている部屋で、サーシアはそこの主であるナイアから食事を受け取っていた。


「今日も美味しそうだなあ!…はあ…うーん、…ナイアさん、ちょっと聞きたいことがあって…」


 いつも嬉しそうに食事を取りに来るサーシアに、いつもの元気が無いことに気付いたナイアは、優しそうな笑顔を見せながら返事をする。


「なあに?何か困ったことでもあるかしら?ニルちゃんに言う?」

「いえいえ!そこまでの事では無いのですが!…ナイアさんは夜もお仕事してたりするんですよね?…その…えっと…」

 言葉を濁すサーシアだが、意を決したように恐る恐る口を開く。


「ここって…幽霊とか、出るんですか…?」

「幽霊…?」

 きょとんとした顔でサーシアを見つめるナイアであったが、彼女の不安そうに下がった眉を見ても、からかっている訳ではないと判断する。

 洗い物を済ませるから、先にご飯を食べて待っててね、と告げると、足早に洗い場へと向かった。


「それで、幽霊って…どういうこと?」

「その…この前、夜中にお手洗いに行った時なんですけど…」


 椅子に腰掛けたナイアが切り出すと、サーシアは口を開いた。


「その日は月も隠れてて、廊下が暗くて…手元の灯りしか無かったから、見間違いと言われたらそれまでなんですけど…」

「ふーん、何を見たんだ?」

「わっ!グレイグ先輩?!」

「ああ、いいよ、続けてくれ。僕は怪談も好きなんだ」


 背後で話を聞いていたらしいグレイグが、興味深そうにしながら隣の席についた。

 気を取り直して、サーシアは話を続ける。


「お手洗いから出て、ふと何かの気配を感じたんです。それで、なんとなくその方向に目をやって…そっちは、図書室の方だったんですけど…"何か"立ってたんです…黒い、影みたいのが…」

「誰かが居たわけじゃないの?」

「そ、そうだと思ったんです!だから、もう一度よく目を凝らしたら…それが、ブワーッてなって消えたんです!」

「例えば、誰かの魔法の痕跡とかじゃないのか?先生が直前までいたのかも」

「違います、私、魔素が見えるから…先生でも魔法だとしても、残ってる魔素があれば光って見えるんです」

「あらまあ、それはそれは…すごいわねえ、サーシアちゃん」


 ナイアは驚いたように言うが、サーシアは情けない顔をして首を振った。


「魔素が見えなければ、先生だったかもって思えたのにぃ…」

「でも、もしその影さんが良くないお客様だったとしたら、このお庭にはまず入れない筈なんだけどねえ…?」

「だから、この建物に憑いてる幽霊みたいなものだって事か?…今までここで亡くなった人とかいます…?ナイアさん」

「このお庭では、そんな人はおろか、だあれも傷つくことは無いわあ。ニルちゃんの強い守りがあるから…私もここは長いけど、そんな話は聞いたことも無いわねえ」

あり得ないわよお、と首を振って言うナイア。


「じゃ、じゃあ一体何なんですか!あれ!?魔素の痕跡なんて見えるどころか…」

 青褪めた顔をしたサーシアが、絞り出すように声を漏らす。

「光なんて一筋も通さないみたいな、真っ黒の影でしたよ…っ」


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