閑話:ある孤児院の記録

 閑話:ある孤児院の記録


「お……おぎゃ……ぁぁ……」


 ある少女が夢の世界へ溶け落ちる寸前、微かに声が聞こえた気がした。

 この声は赤ちゃんの泣き声なのではないかと気付き、慌てて声の主を探そうと布団を飛び出した。


「……ぁぁ……おぎゃ……お……」


「どこにいるの? なんでこえがちいさいの?」


 住処の中をくまなく探すが、声は聞こえるのに何処にも見当たらない。

 ハッと気付いて窓から顔を出すと、外から声が聞こえていることが分かった。

 この間、少女以外の動く気配がないことから、よほど小さな声なのだとうかがえる。

 少女は必死に耳をそばだてて、声の主に向かって走っていく。

 必死に足音を消した甲斐あって声を聞き逃すことはなかった。

 そして辿り着いたのは裏口の扉の前、ゴクリと喉を鳴らしてゆっくりと扉を開けると……。


「シスター! マザー! 赤ちゃん! 赤ちゃんが居るよ!」


 子供特有の高い声が住処の中に響いていく。

 まるで火を投げ込まれた巣穴の如く、バタバタと慌ただしく足音が、声が近付いて来る。

 現れたのは女性が二人、教会所属の聖職者らしい服装をしている。

 マザーと呼ばれた女性が真っ先に赤子を抱きかかえ、シスターが少女に付き添う。


「また子供が捨てられてしまったのですね……しかもまだ乳が必要な赤子だなんて」


 悲しげにマザーが言うと、後から集まった子供たちが赤子に群がる。

 驚く者、悲しげな顔をする者、小さな怒りを覚える者、喜ぶ者はこの場には居なかった。

 皆きちんと分かっているのだ、ここが【孤児院】であることを、ここが【子の捨て場】にされているということを。

 殆どが捨てられた子、正規の手続きで預けられた子供など、片手で足りる場所である。


 子供たちを落ち着かせるとマザーは孤児院の中に移動するよう促す。

 先に入らせて、後から付いて行くマザーから何かが落ちた。

 気付いた少女が手を伸ばす、ソレは折りたたまれた小さな紙、何かから千切ったような小さな紙。


「あれ? 紙が落ちた……シェリアリア……?」


 少女の動きに気付いたのはシスターだけ、小さな呟きを拾ったのもシスターだけ。

 即座に赤子の名前だと理解したシスターは、首を傾げる少女の背中をそっと押して孤児院へと入っていく。

 この日、小さな小さな命が家族の一員として受け入れられたのだった。



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 マザー・ルフニエはため息を吐いた。

 孤児が増えたことにではない、が捨てられた事実に対してため息を吐かずには居られなかったのだ。

 まだマザーでなかった時に一度だけ赤子が捨てられていたことはあった、それでも生後三ヶ月くらいの赤子。

 しかし今回は見るからにもっと小さい、もっともっと小さく産まれてすぐ捨てられたであろうか弱い命。

 何故こんなことができるのか、発見が遅ければ死んでいたかもしれないというのに……。

 助けられたのは少女のおかげ、真面目で優しいアニェスのおかげだ、後でたくさん褒めてあげようと心に誓った。


「マザー・ルフニエ、この紙が落ちてました。 きっと赤ちゃんの物です」


 そう言って差し出された紙を見ると、たった六文字が走り書きされていた。


「シェリアリア……あの子の名前でしょう。 赤子を捨てるなど許されざることではありますが、名付けが行われていたことだけは幸福だったと思いましょう」


「はい、マザー・ルフニエ」


 二人は目を閉じて手を組む。

 シェリアリアに祝福あれ、せめて健康に育ちますように……。


「シスター・マカエラ、明日の朝アニェスを呼んでください。 赤子の命を救ったことを目一杯褒めてあげなければいけません」


「わかりました。 普段からよく色々なことに気が付く子ですが、今回は本当によく気が付いてくれたと思います」


「その通りですね、とても素晴らしい子に育ってくれて喜ばしいことです」


 その後も軽く会話を重ね、さすがに夜も更けすぎたと寝床に向かった。

 拾われた赤子はルフニエが抱いて、夜泣きに付き合いますかと気合を入れて。



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 翌朝、朝日が登ってすぐにマカエラは教会を出ている。

 シェリアリアには乳が必要なのだ、乳がなければ飢えて死んでしまうのだから当然だ。

 教会の信徒に未亡人が数人居り、離乳食になるまで授乳をお願いできないか聞くために。


 シェリアリアを助けた少女、アニェスは眠い目を擦って起き上がる。

 周りにはまだ眠っている子達が居るため、静かに動いて静かに部屋を出ていく。

 顔を洗うために裏庭に出ると、一人の男の子が比較的真っ直ぐな木の棒を上から下に振っていた。


「おはようロスマン、きょうもボウきれふってるの?」


「おう、おはよう。 棒切って言うな、これは未来の剣なんだ」


「ふーん」


 剣はおろか戦うことに興味がないアニェスは、適当に返事をして井戸に向かう。

 その反応はもはやお決まりなのだろう、どうとも思わずロスマンは素振りに戻った。


「あ、居た居た、アニェス! 後で一緒にマザーのお部屋に行きますからね」


 授乳の約束を取り付けて戻ってきたマカエラは、アニェスに用事を伝える。

 この孤児院ではザックリとしたスケジュールが決められている。

 朝ご飯の後は自由時間、昼ご飯を食べたら働きに出て、戻ってきたら晩ご飯。

 きちんと分かっているアニェスは、朝ご飯の後でマザーの部屋に行くのだと理解した。


 …………


 ……


 いっぱい褒められた。

 それはもう今までにないくらいいっぱいだ、孤児院に来て初めてここまで褒められた。

 嬉しくて、誇らしくて、るんるん気分でマザーの部屋を後にした。

 マザーは鞭、シスターは飴、マザーも褒める時は褒めるが、基本は鞭。

 だから尚更、マザーからめいっぱい褒められたのが嬉しかったのだろう。

 この後デレデレとしつこく絡まれたロスマンは大層嫌そうな顔をしていたとか。



----


 アニェスとの会話が終わった後、母乳を飲んでウトウトしているシェリアリアを受け取って教会の外を散歩する。

 散歩をするには調度いい暑すぎず寒すぎない陽気、穏やかな気持になれる日和。

 心なしか眠っているシェリアリアも笑顔になっているような気がする、いや気のせいか。


 普段よりもゆっくりな歩調で、陽の光や風、草花の匂いを感じられるよう歩いていく。

 孤児院の裏庭の方から子供たちの元気な声が聞こえ、心穏やかになっていくのを感じる。

 シェリアリアを優しくゆっくり上下に動かしていると、弱々しく泣き声を上げた。


「あら、おしっこかうんちかしら? すぐに孤児院に戻りますからねー? よしよーし」


 臭いからうんちだと判断したルフニエは、足早に孤児院に戻っていく。

 時折声をかけながら、優しい笑顔を絶えず向け続ける。

 か細い泣き声に一気に心が締め付けられるが、それを表に、シェリアリアに見せるわけにはいかない。

 安心して元気になりなさい、安心して大きくなりなさい、そう強く強く思いながら一歩ずつ【家】に戻っていく。


 …………


 ……


 道すがらすれ違ったマカエラに新しい布をお願いして、自室に戻った。

 机にシェリアリアを寝かせ、まずは綺麗にしましょうねとオシメを解いていく。

 べつに複雑に結われてるわけではないのでスルスルと取れ、汚れが露わになる。

 丁度その時マカエラが布を持ってきたので受け取り、両足を持って上に上げる。


「あ、あら……? え……?」


 目の錯覚かと思った。

 一度視線を外し、目をパチパチとする。

 心の整理がつかないまま、もう一度見やる。


「おち○ちん……男の子? いやでも女性の象徴もある……ん? んー??」


 五秒ほど凝視した後、目を擦って顔を近づけてよく見る、うんち臭い。

 持ち上げた足の間からポロリとこぼれるように、小さな可愛らしいおちん○んがある。

 間違いなくそうだ、見間違うわけがない、子供のしか知らないが確かにこれはソレそのモノに違いない。

 しかし、その可愛らしい物の後ろに女性の象徴、綺麗な一本筋が通っている。

 ルフニエも誰もが認める立派な女性だ、そこにある筋が何かなど間違える方が難しい。


「男の子で女の子……女の子で男の子……」


 混乱で叫びそうになったが、そこはなんとか我慢した。

 それはもう必死で我慢した、今人が来たら大変なことになるのは火を見るよりも明らか。

 理性でギュッギュと抑え込み、驚きを静かな心で包みこんでいく。

 すーはーと深呼吸をして、大丈夫、何もなかった、少なくとも今は何もなかったことにしよう、大丈夫、大丈夫、と言い聞かせる。


「さ、さぁオシメを替えますよー、気持ち悪いうんちなんてバイバイしましょうねー?」


 諸々の処理をし、新しい布を丁寧に優しく巻いていく。

 過度な締付けは不快感になって泣き声で返ってくる、そんな可哀想なことなどしない。

 そして、気持ち悪さがなくなったシェリアリアはスースーと寝息を立て始める。


「ふぅーーーーーーーー……」


 淡々とオシメを替えている間に、あることを思い出していた。

 この事はマカエラにも共有しないと大変なことになりそうだと判断し、眠るシェリアリアを抱き上げて、足早に自室を出ていくのであった。

 思い出したことは一旦置いておいて、まずは情報共有に徹しマカエラに伝える。

 マカエラから授乳を担当している者に、とも思ったが止めておいた。

 無用な混乱を避けるため、オシメ交換は二人だけが担当することに決定しておいた。


 しかし、そうそう隠していられるはずもなく、発覚したその日の内に孤児院全体に広まっていた。

 そもそも孤児院という狭い空間なのだ、知られるタイミングなどいくらでもあるし、情報伝達の速度など一瞬だ。

 子供の好奇心を抑えることなどできようはずもなく、マカエラがオシメ替えをしている所に子供数人が突撃、シェリアリアを構いたかったらしい。

 そこでバッチリ股間を見られ、またしても好奇心のままに伝播していく。

 誰が悪いわけでもない、きっとそういう運命だったのだ、諦めよう。


 だが、ルフニエとマカエラが悩む時間も必要がないほどに、一瞬で子供たちに受け入れられていた。

 子供とは純粋なもので、案外素直に受け入れてしまうのだ。

 分からない、知らない、そういうもの、難しいことはノーセンキュー、子供とはそういうもの。

 大人が気にするのは大事だが過剰な干渉は時として毒になる、今回は特にそういうものだったということらしい。


 …………


 ……


 翌日、一息吐ける時間ができたのでマカエラとお茶をすることに。


「おそらく、捨てられたのはこのことが理由なんでしょうね」


 マザーの悲しそうな声が空気に溶ける、心の底から悲しみが溢れ出してしまう。

 お茶が入ったカップを手渡したシスターは対面の椅子に座り、静かに頷いた。


「吃驚はしましたが、捨ててしまうほどのことなのでしょうか?」


「昔……というほど古い話ではないのですが、両方の性を有する子供が存在するという話しを聞いたことがあります。 聞いた話の両性を有する子供は悪魔の子として無惨にも殺されてしまったと……」


「そんな……命をいったい何だと思ってるのでしょうか……」


「小さな村での出来事だったと聞いています。 分からないものは恐ろしい、理解できないものは排除したい、そんな心理からきた結末だったのでしょう。 村とは封鎖的になりやすいものですから、一度思想に染まれば盲目的にソレが正しいことと思い込んでしまう……真に正しきことを知らなければ尚の事……」


 言葉を切るとお茶を一口含み息をつく。

 『悪魔だなどと下らない』と一蹴できれば簡単なのだが、近くに居る者ならいざ知らず、思い込みを止めるのは非常に難しいものなのだ。

 経験上それをよく知っているルフニエは、悲しいことだと心を痛める。

 シスターを見ると目に涙を溜めて鼻を啜っているが、見て見ぬふりをして再びお茶を口にした。


「幸いなことに、子供たちは自然と受け入れて接してくれています。 時に子供の柔軟さが羨ましくも思いますが、私も嫌悪感もなければ守るべき子供の一人であると思っています」


「もちろん私もです! そんなの、当たり前じゃないですか……!」


 力強い視線が頼もしく、ズビッとすする鼻音が頼りなく、それがなんだか可笑しくて小さく笑みを零してしまう。

 マカエラもとても心が綺麗で強い子、小さな頃から知っている子なだけに、他者のことで心を傷められる優しい子なのをよく知っている。

 上の兄姉弟妹きょうだいも利発な子が多いが、きっと両親の教育方針が素晴らしいのだろう。


「共にあの子を、シェリアリアを愛しましょう」


「はい、マザー・ルフニエ」


 本当にたまたまだった。

 外で遊んでいる時に、開け放たれた窓からマザーとシスターの話し声が聞こえてしまった。

 シェリアリアに関わる話をしているのは雰囲気からすぐに分かった。

 聞いてはいけない、これは悪いことだ、そう思っても足は動かない。


 …………


 ……


 結局最後まで聞いてしまった。

 シェリアリアはまだまだ小さく儚い命の持ち主だ、殺すだなんて酷いことは許せない。

 あんなにも可愛らしい子が悪魔? むしろ天使だ、誰がなんと言おうと間違いない。

 きっと翼を隠してる、もしくは人間には見えないものなのだ、絶対そうだ。

 助けたあの日、絶対に守ってあげようと誓ったが、その誓いが更に強固となる。

 私はあの子の【お姉ちゃん】になる、孤児院のではなく名実共に、だ。

 そう決意したアニェスは、こっそりその場から離れていくのであった。



----


 シェリアリアが来てからの日々は、部屋の中に雷を含んだ暴風雨が起こったみたいに慌ただしかった。

 大きな悪いことはなかったが、良いことも悪いこともあった。

 でもそんなのは当たり前のことで、良いことだけがある生活なんて有り得ない、そういうものだと小さな子供でも知っている常識。

 だからこそ、そのなんでもない日々に幸せを感じることができるのであった。


 しかし、徐々に年月を重ねる毎に慌ただしさは日常になり、シェリアリアが来る前程の喧騒に戻っていく。

 シェリアリアも言葉を喋れるようになり、歩けるようになり、今では元気に走り回っているのだ、特にマザーとシスターは感慨深いものを感じている。

 拾われた日があまりにも衝撃的だっただけに、尚更なのだ。

 気が付けば、あっという間に五年が経っていた……。


 大きな悪いことは虎視眈々と狙いを定め、ある日突然牙を剥く。

 それは本当に誰も予想だにしておらず、平和の隙を突いて襲ってきた。

 シェリアリアが忽然と姿を消した。

 誰の目にとまることなく、まるで元からそこに何も無かったかのように……。


 朝の自由時間、シェリアリアとアニェス、ロスマンの三人で遊んでいた。

 なんてことない家族模倣おままごと、ロスマンは顔には出さないが、幸せな時間だった。

 お昼ご飯の時間が来たことでごっこ遊びは終わりを迎え、片付けをしている最中の出来事。

 敷布を一生懸命畳んでいたシェリアリアの姿がどこにも見えない。

 敷布が無いことから、先に食堂に向かったのだと思った。


「なぁ、シェリアリア見なかったか? 食堂にも居ないみたいなんだけど……」


「シェル? 見てないよ?」


「僕も見てないな、一緒に遊んでたんじゃなかったの?」


「シェルちゃん……どこに行ったの……」


 困り果てた二人を見かけたマカエラが声をかけると、事の次第を聞いた。

 シェリアリアの姿が見えない、背中に冷たいものが走る。

 険しい顔になったマカエラは早足でマザーの元へ行き、捜索が始まった。


「シェルちゃーん! シェルちゃんどこー!」


「シェリアリア! どこだー!」


 お昼のことなど忘れて、孤児院総出で探し回った。

 教会の中、孤児院の中、隠れられそうな場所全部、屋根裏部屋までくまなく全て。

 中に居ないなら外かと思い、アニェスは飛び出す。

 茂みの中、木の上、無人の家の中、放置された樽や木箱の中、考えられる場所全て。

 どこにも居なかった、三日三晩探したが見つからなかった。

 周囲に聞き込みに行った大人たちも、何も情報を得られなかったようだった……。


「シェルちゃん……私が、私が目を離したから……うぅ……」


「俺だってそうだ……側に居なきゃいけなかったのに! ちくしょう! シェリアリア……どこに行っちまったんだよ……くそぅ……くそっ!!」


 痛々しい。

 苦々しい。

 悲しみが、苦しみが、形になってのしかかる。

 見ていられなかったフルニエが声を上げた。


「アニェス、ロスマン、二人は何も悪くありません。 悪いのは私です……もっと気に掛けるべきでした、目の届く所で皆を見ていれば良かった、本当に申し訳ありません」


 フルニエが頭を下げると、マカエラも頭を下げる。

 驚いた子供たちは、目を見開いて言葉が出なかった。

 もちろん全員、マザーとシスターが悪いなんて欠片も思っていない。

 探すのを手伝ってくれた授乳役の未亡人達も同様だ。


「シェリアリアが自分の意思で出ていったのか、何かがあって孤児院を飛び出したのか、それは分かりません。 ですが、皆も分かっているでしょう? シェリアリアにとっての家は此処であり、シェリアリアの家族はこの場に居る全員です。 それは私やシスター・マカエラ以上に一緒にいた皆が一番分かっていることと思います。 シェリアリアが自分の意思で出ていったのではないと、私は確信しています。 ……それならば、誰かが連れ去ったと考えるのが自然でしょう……卑劣で悪辣な行いです! 許しがたい!」


 マザー・フルニエの言葉に子供たちの顔が、視線が前を向く。

 悲しみは怒りに変わり、勇気に変わり、確信に変わっていく。

 そうだ、あのシェリアリアが自分から出ていくなんて有り得ない、家族がそんなことをするはずが無い。

 規定年齢が来て出ていかざるおえない兄や姉でさえ名残惜しく出ていくんだ、有り得ない。


「私達は捜索を続けますが、あなた達はいつも通りの生活に戻ってください。 個人的に探すことは許しません。 これ以上、危険だと分かっていることに飛び込み、誰一人欠けることを許しません。 どうか、分かってください……」


 アニェスとロスマンは、とてもじゃないが言うことを聞ける気がしない。

 大事な大事な妹が、可愛い可愛い天使ちゃんが、この手からスルリと零れ落ちていった。

 何処かの誰かに、悪の権化に、家族を引き裂く悪魔に攫われたのだ。

 許せるはずがない、取り戻さないといけない、家族を奪わせはしない。


「アニェス、ロスマン、二人とも分かりましたね? もし何か動いているのが分かったら容赦しません。 これ以上、家族を悲しませるようなことはしないでください」


 見抜かれていた。

 釘を刺されてしまった。

 アニェスは大きな声で泣き崩れた、ただただ悲しくて、シェリアリアの身を案じて……。



----


 あれから一月が経った。

 釘を刺された二人は、気付かれないように聞き込みを続けていた。

 実際のところ、マザーもシスターも気が付いていたが、あえて見て見ぬフリをしている。

 押さえつけてしまったら、どんな行動に出るかわからないからだ。

 聞き込み程度なら、そう思って見守ることにした。


「マザー・ルフニエ、お久しぶりです」


「お久しぶりです、ユーリシアさん、お父様」


 一年振りに訪れた養子引取希望の二人組。

 三年前に来て以降、毎年シェリアリアを気にかけて来る二人組。

 貴族には見えないことから、子宝に恵まれなかった娘のために養子を考えている平民なのだろうと思う。

 来る度に慈愛の籠もった、決意に満ちた瞳をしていたことから、この二人にならシェリアリアを任せられると思い、他のシェリアリア引取希望は全て断ってきた。


「長い間かかって申し訳ありませんでした、受け入れ体制が整ったので、シェリアリアという子を引き取りたいのですが……」


 ユーリシアが頭を下げると、父親も間髪入れずに深く深く頭を下げた。

 マザーは心が痛かった。

 二人の思いを知っているだけに、ジクジクと痛みが広がっていく。

 伝えなければ……伝えなければいけない……。


「ユーリシアさんとお父様……その……」


 頭を上げたユーリシアは、マザーの様子を見て嫌な予感がよぎる。

 もう誰かに引き取られてしまったのか? 一歩遅かったのか?

 そう予想したが……。


「シェリアリアは……一月前に行方不明に……なりました……」


 マザーの言葉が頭に染み込んだ瞬間、ユーリシアが膝から崩れ落ちて倒れてしまった。

 慌てて父親が支えるが、閉じられた瞼から涙が零れ落ちるだけ。

 悔しい思いが溢れ出た父親は、険しい顔でマザーを睨みつける。


「全てお話します……どうかお聞きいただけないでしょうか」


 悲痛に顔を歪めるマザーを見て、父親はハッとした。

 行方不明になったと言われた。

 一年に一度ではあるが、孤児院の様子は見てきたつもりだ。

 とても大切にしていた子供が行方を眩ませて、平常で居られるはずがない。

 マザーもまた、悲しみに暮れた人間の一人なのだと気が付いた。


「その……申し訳ありませんでした……こちらもお話したいことがあります……」


 それからの時間は、お互いにとって衝撃に衝撃が継ぐ時間であった。

 父親は行方不明になった経緯、その後の状況、今どのようなことになっているかを知った。

 マザーはシェリアリアが捨てられた経緯、ユーリシアの思い、必死にお金を貯めてきた月日を知った。

 シェリアリアが捨てられてから約五年半、今ようやく歯車が噛み合い始めた瞬間だった。


「シェリアリアの職業鑑定の儀を行った時から、コールソン家の子であることは知っていました」


「鑑定結果に出ていたのですね……」


「その通りです。 コールソン家の者から完全に捨てられていたならば、鑑定結果からも家名が失せていたことでしょう。 家名が残っていた事実と、コールソン家当主の様子を聞いたところ、当主は五年半前のあの日から既に亡き者と思っているようですが、恐らく母君は違うのでしょう……母の愛とは強く消え難きものですから」


「そうなのですね……マザー・ルフニエが言うのですから、きっと間違いないですな」


 何か思うところがあったのか、父親の顔が曇る。

 シェリアリアを引き取ると決めてから今日こんにちまで頑張ってきたが、生みの親のことなど何も考えていなかった。

 子を持つ身だ、失った時の悲しみを考えれば何も思うことなどできようはずもない。


「実は、コールソン家の子であると分かってすぐに協会本部経由で王家へと問い合わせを行っていました。 コールソン公爵家の出生届について、です」


「出生届……ですか?」


「そうです。 私達平民には縁のないことですが、貴族には後継者や婚姻など色々としがらみがありますので、出生について報告義務があるのです。 大きな問題に発展した時に王家が知りませんでした、とは言えませんので」


「なるほど……」


「シェリアリアが行方不明になった五日後、返答がありました。 コールソン公爵家から正式に出生届はあったが、死亡届も同封されていた……と。 出産直後、体に黒い斑点があり病気であることが発覚、すぐさま医師に診せたが治療は叶わずそのまま死亡を確認。 医師からの診断報告も一緒だったようですね。 今は出生日と死亡日を同日として記録されている、とのことです」


「嘘ばかりじゃないか! ふざけるな!」


 怒りは拳へと形を変え、座っている長椅子に振り落とされる。

 痛いほどに気持ちが分かるマザーの手もまた、血が滲むほどに握られていた。


「元々このような問い合わせがあること自体おかしいのです、何も問題がなければ聞かれることはない……王家も当然考えるでしょう、預かり知らぬ所で何か起こっているのではないか、と。 まだ日取りは決まっていませんが、事情説明のために登城を求められています。 ご一緒していただけますね?」


「……行きます」


「ユーリシア!」


 気絶していたはずのユーリシアが返事をする。


「お互いの状況を説明している所から起きていました……本当に申し訳ありま……」


「大丈夫ですよ、ユーリシアさんのお気持ちも聞いております。 責めるなどするはずがありません。 むしろ、よく私達の元に届けてくださいました、その判断に最大の感謝を」


 土下座しようとするユーリシアを止め、優しく包容する。

 赤子を捨てるなど許されないこと、だがどうにもできない状況もまた存在する。

 雇い主であり公爵家の当主から命令されれば逆らうことはできないだろう。

 だが、そんな中でなんとか赤子を生かすための道を選んだ、殺される可能性も十分にあったにもかかわらず。

 そんな勇気ある行動を取った人間を責めることなどできようものか、否出来ない。

 孤児院に居る者全員、真に心ある者達なのだから。


 すぐではなくとも、ほどなくして登城日の連絡が来ることだろう。

 ユーリシアと父ユースタス、二人は孤児院で待つことを決めるのだった。

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