閑話:あるメイドの記録
閑話:あるメイドの記録
ある農村で生まれ育った女性。
人口も少なく、必然的に子供の数がもっと少なくなる環境は彼女に退屈をもたらした。
一人っ子であることも拍車をかけていたのかもしれない。
男手一つで育てられ、農作業に出ていかれると家で一人寂しく過ごすことになる。
成長して手伝えるようになると、仕事に没頭することで紛らわせることができたが、退屈である事実は何も変えられない。
相変わらず彼女は孤独を抱えていた。
当然だが友達と遊ぶこともあるにはあった。
しかし遊ぶ内容なんてたかが知れている、かけっこ、木登り、チャンバラごっこ、どれも面白くなく、もっと女の子らしい遊びがしたかった。
だから自然と遊ぶ頻度が減っていき、気が付けば疎遠となっていく。
この点については自業自得と言えなくもないが、性格によっては仕方がないことなのかもしれない。
そして彼女はこう思う、こんな寂れた農村を捨てて都会に出て働きたい。
もっとキラキラとした世界で、楽しく買い物をして、美味しいものを食べて、気の合う友人とくだらない話で笑い合う。
そんなささやかな願いを抱くのは必然だった。
彼女なりに頑張った、父のことは世界で一番尊敬しているし、育ててくれた恩を返していきたい。
なればこそ、たくさん稼いで農作業をせずとも楽をできるようにした方がいいのでは?
なればこそ、老後を楽にさせてあげるのが親孝行なのでは?
なればこそ、都会で稼いで稼いで遊んで暮らせるほど稼いで帰ってくればいいのでは?
気が付けば都会に出て働きたい願望の方が強くなっていたが、父への思いは正真正銘、嘘偽りなく本物であった。
父にお願いした、お願いし倒した、時間をかけて話して、説得して、半ば強引に承諾を得るに至る。
ずっと彼女を見てきた父は知っていたのだろう、それでも離れる寂しさから反対していた。
都会なんて苦労するだけだ、環境が変われば辛い思いだってする、上手いこと仕事を見つけられなければ野垂れ死ぬことになるぞ、様々な言葉で諦めさせようとしたが結果的に折れることになった。
正直、だんだんと目が恐ろしくなってきたのだ。
思いが強すぎた、それを押さえつけて爆発して、勝手に出ていかれるより何倍もマシだと諦めた。
出立の日、もしかしたら今生の別れになるかもしれないと思い、娘を強く抱きしめて送り出したのだった。
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父の言う通りだった。
長く働ける仕事が見つからない。
だんだんと所持金が減っていく。
日銭を稼ぐのにも限界が出てきた。
でも体を売るようなことは絶対にしたくない。
崖っぷちに立たされた彼女は、ある運命の出会いを果たす。
ある日、晩飯代を稼ぐために買い物手伝いをしていた。
こき使われることはないが楽しい買い物ではない、なんせ自分のための買い物ではないのだから。
もっとキラキラした生活を想像してたのにな、とボンヤリ考えながら歩いていたら屈強な男にぶつかって尻餅をついてしまった。
急速に我に返り必死に謝ったが、相手が悪かったのか金をせびられる。
飯代もないのに治療費を請求されても渡せるわけがない、というか治療費ならこっちが請求したいくらいだ、お尻痛いし。
頭の中で悪態をついていると、誰かが男に声をかけてきた。
それは女性の声だった。
チラリとそちらを見ると、とてもじゃないがガラの悪い男に勝てるような外見には見えないではないか。
咄嗟に、巻き込んでしまった! と思ったが男の反応は予想とは正反対ではないか。
「ご、御婦人! どどどうしてこのような通りに……」
「えぇ、お買い物帰りですの。 それよりも……そちらの女性に何をしていらっしゃるのですか?」
「え、いや、あの……あ、そうです転んでしまったようなので起こしてあげようかと……」
「そうなんですか? では早く起こしてさしあげてくださいな、優しい紳士さん?」
「へ、へぇ!」
ポカーンと成り行きを見守っていたが、ガラの悪い男が手を差し伸べてきたので恐る恐る引き起こされることにした。
いったい何が起こっているのかわけが分からないまま、ペコペコと頭を下げながら男が遠ざかっていく。
本当に何が起こっているのか? この女性は何者なのか? これからどうなってしまうのだろうか?
いろいろな疑問が頭を支配する、正直この女性も恐ろしく思えてきた。
「大丈夫ですか? 痛いところはありませんか?」
「え、はい……大丈夫……です」
「そう、それは良かったわ」
それから何がどうしてそうなったのか分からないが、二人並んで歩いている。
正確には他にも鎧姿の人が二人ほど後ろを付いてきているのだが、二人きりというテイで女性が話しかけるもので、気にしたら負けなのかもしれない。
何気ない会話から始まって、気が付けば身の上話をしてしまっていて、隣でうんうんと相槌を打ってくれる人が居て、最後には涙を流して座り込んでしまった。
こうして話をする相手なんか居なかった、吐き出したい思いはたくさんあった、今それが叶い思いが溢れてしまったのだ。
「もしよろしければ、私の家でメイドをやらない?」
「え?」
「貴女が思うようなキラキラがあるかは分からないけれど、十分な給金は保証するし、お休みの日にはお買い物にも行けるわ? まあ最初の内は覚えることも多いし大変だとは思うけど、どうかしら?」
甘い囁き。
魅力的な誘惑。
それでも良かった、嬉しかった、必要とされたわけでもなければ、同情十割なのは分かりきっていた。
無意識に手を伸ばし、女性の手を取っていた。
「うふふ、たまに私の話し相手になってね?」
チリンチリンと静かに鳴る鈴のような笑い声に、また涙を流し、何度も何度も頷いた。
後ろで事の成り行きを見守っていた鎧の人たちは苦笑いしていたが、口を挟める立場ではないため、諦めて護衛に集中することにした。
現実逃避で何が悪い、奥様は言い出したら止まらないのだ、旦那様でもソレだけはどうにもできないほどに、止まらないのだ……。
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それから五年の月日が経った。
もちろん走り始めは順風満帆とはいかなかったが、教えてもらったことが着実に身に付いていくが嬉しかったし、先輩たちに褒めてもらえるのも嬉しかった。
たまにこっそりと奥様とお喋るできるのも、ここまで折れずにやってこられた理由の一つなのは間違いない。
コロコロと笑うその笑顔が、ちょっとした仕草に気品を感じるところが、旦那様との惚気を喋る時の少女らしいところが、全てが心を穏やかに、そして強くしてくれた気がする。
正直、思い描いていたようなキラキラとした生活は送れていない。
それでも自分の時間を満喫できるし、先輩と買い物をしたり、美味しいものを食べたり、充実した日々を送れている。
そこに不満なんかあるわけがない。
この生活をもたらしてくれた奥様に、最大限の感謝を……はい、お茶のおかわりですね。
…………
……
そんなある日、長く子供が出来なかった奥様が懐妊された。
屋敷中が沸いたし、普段難しい顔ばかりしている旦那様も破顔されていて、それはもう大変な騒ぎになった。
彼女も嬉しさのあまり、先輩と抱きしめあい喜びを全身で表現したほどだ。
もう毎日が幸せで溢れていた。
いつ産まれるのだろう? どんな名前をつけるのだろう? 男の子かな? 女の子かな?
先輩にウザいと怒られるほどにウキウキと奥様のお世話に取り組んだ。
月日の流れは早いもので、ついに出産の日が訪れた。
もうどれくらい時間が経っただろうか。
どうも難産らしく、産婆さんも額に汗が浮かんでいる。
奥様もとても苦しそうな声を漏らし、彼女まで息を止めてしまうこともしばしばあった。
ようやく、ようやく元気な産声が部屋を埋め尽くす。
やった! やった! 奥様やりました! 頑張りましたね! すごいです!
しかし、喜びはすぐに消え失せてしまった。
本来ならすぐに奥様が抱きしめるはずの赤子。
何故かそうはならず、赤子を見る産婆さんの動きが止まっている。
飛び込んできた旦那様も様子がおかしいことにすぐに気付き、赤子を見やる。
その顔からは急速に喜びの色が消え失せ、ひったくるように赤子を抱くと部屋を出ていってしまった。
何が起こっているのか? どうして連れて行ってしまうのか?
そこには執事長とメイド長が居り、旦那様が待機していた部屋だとすぐに理解した。
ワナワナと震える旦那様は、あろうことか赤子を床に叩きつけようとするではないか。
執事長とメイド長が慌てて止めに入ることで事なきを得たが、何故そんなことをするのか判るはずもなく……。
「メイド、その汚らわしいモノを処分せよ、この世に存在しているなど許されぬ……行け」
その顔は憎悪に満ち、声は勝手に体が震え上がってしまうほど冷え切ったものだった。
何か言わなければ、奥様が待ちに待った赤子だ、どうにか撤回してもらわないと。
頭では行動しとろ警鐘が鳴り響くが、旦那様の顔を見ると何も言えなかった。
それは彼女だけではなく、メイド長は恐ろしさのあまり腰を抜かして座り込んでしまうほどであった。
震える手で布に包まれた赤子を受け取る。
何故こんなことになってしまったのか、何故旦那様がお怒りなのか、何も分からない。
どうしよう、どうしたらいいの、奥様、奥様……。
しかし旦那様の一睨みで限界が来た彼女は、メイド服のまま屋敷を飛び出していた。
外は既に暗く、街灯の明かりが辺りを照らす。
飲み屋から聞こえる声がどこか遠く感じ、今何処に居るのかも分からなくなった。
頭の中は吹雪の如く真っ白だった。
街中を隠れるように走り抜け、人の気配がすると物陰に隠れる。
何を思ったのか、ふと気が付いたように赤子の布を開いていた。
目に飛び込んできたのは、男性の性器と女性の性器、両方を持った赤子の姿だった。
たしかに異様だ、こんな赤子は見たことも聞いたこともない。
それでも嫌悪感は抱かなかった。
何故か、それは奥様の大事な大事な赤子だから、それ以外に理由は無かった。
そして気が付けばボロボロと涙が溢れ出し、大事に大事に赤子を抱きしめていた。
こんなことで、こんな程度のことで、何故、旦那様が理解できない。
涙を拭うことなく、出てくるままに任せて泣き続けた。
泣きながら走り、声を殺して隠れながら泣き、また泣きながら走る。
もう自分が何をさせられているのかなんかどうでもよくなっていた。
とにかく助けなければ、奥様の大事な赤子には生きてもらわなければ、それだけが頭の中を支配する。
むしろそれが使命であると確信さえしていた。
命じられたのが私で良かった、これは神様が与えてくれたチャンスなのだと、そう思った。
走って、走って、走って、隠れて、走って。
辿り着いたのは孤児院の裏口。
はぁはぁと荒く息を吐きながらも、思考はしっかりとしている。
そして、常日頃持ち歩いているメモ帳とペンを取り出し、文字を書いていく。
『男の子なら【シェリル】で、女の子なら【アリア】ってつけるのよ。 うふふ、とても良い名前でしょ? ユーリシアちゃん』
奥様の嬉しそうな声を思い出しながらペンを走らせる。
この赤子は、男の子であり女の子。
奥様の思いを込めて……。
--シェリアリア
メモ帳を破って折りたたみ、布の中に紛らせる。
そっと赤子を置き、天に祈りを。
どうか健康に育ちますように。
どうか元気に過ごせますように。
どうか奥様と再会を果たせますように。
どうか、どうか……。
彼女は立ち上がると、後ろ髪を引かれる思いで歩き出した。
自分が育てれば良かったのではないか?
そんな思いも浮かんだが、母乳が出ない彼女は隠れて子育てはできないと判断した。
もし死なせてしまったら……そんなことになるくらいなら、ちゃんと育ててくれて、隠れ蓑になる場所に預けた方がいい、これで良かったんだ、これしかなかったんだ。
そう言い聞かせ、足早に孤児院から離れるのであった……。
その顔には、悔しさと憎悪が入り混じった顔が張り付き、熱い涙が流れていた。
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あれからどう歩いたのだろうか。
気が付けば小さな部屋の角に蹲っていた。
ボーッとする頭で必死に状況を理解しようとし、そこが
記憶がハッキリしてくると、次の行動を思い出す。
市場で服を仕入れないと。
そして馬車に乗らなければ。
この街から、旦那様から、コーリング家から逃げないと。
奥様に会えなくなるのは、胸が張り裂けそうなほど辛い。
それでも、もうお側には居られない。
命令を破った彼女は、旦那様の居るあの家には帰れないのだから。
必死に隠れ、必死に逃げ、ようやく辿り着いたのは懐かしい景色。
遠慮がちに扉を叩くと、中から少し痩せ気味の男性が出てきた。
「おかえり、ユーリシア」
一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに柔らかい笑顔に変わり彼女を抱きしめる。
もはや、涙の止め方も忘れてしまった。
…………
……
父に全てを話した。
どうやって生きてきたのか。
どんな出会いがあったのか。
どれだけ幸せな日々だったのか。
そして、どんな悲しいことがあったのか。
静かに聞いてくれた。
たまにウンウンと頷いてくれた。
最後は拳を強く握りしめ、涙を流しながら、顔を真赤にして怒ってくれた。
お前は間違ってない、やるべき事を成したんだ、きっと奥様も許してくださる、そう言ってくれた。
それから死んだように日々を過ごす。
いつか遣いが来るかもしれない。
捕まって殺されるかもしれない。
父も巻き込んでしまうかもしれない。
そんな不安感が心を支配して、恐怖に震えることしかできなかった。
父は何も言わず、毎日頭を撫でてくれた。
一年、何も来ない。
二年、何も来ない。
三年、何も来ない……もう、何もない?
安心はできないが、心に余裕はできた。
そして決意した。
孤児院を見に行こう、赤子が無事か確認しに行こう、そう決めてからは早かった。
フードを目深に被って忍び込むように街へと入り、孤児院の近くまで来ていた。
父も付いてきてくれたのが良かったのかもしれない。
父が、養子を探していると言って自然に中に入れば問題ない、と言うのでその通りにすることにした。
マザーと呼ばれる聖職者の女性は、あっさりと信じてくれて中に入れてくれた。
ちょっと呆気に取られたが、父の笑顔を見たら安心できた。
裏庭に出ると、ふと一人の少女が目に入った。
奥様にとても似た女の子。
奥様譲りの青みがかった銀髪、コーリング家特有の夕日のような黄色い瞳、あの子だ、間違いない、あの子以外に有り得ない。
父も彼女の様子を見て察したのか、優しく背中を撫でた。
「今回は申し訳ない、来年も来てもよろしいでしょうか?」
父の言葉にマザーは優しく微笑み「大丈夫ですよ」と言ってくれる。
その場で引き取れば良かったのだが、きっと孤児院より良い暮らしはさせてあげられない。
毎日農作業をしていても稼ぎは少なく、村には相変わらず子供が少ない。
めいっぱいの愛を注ぐ自信があっても、辛い生活を強いてしまう。
悔しい思いと、申し訳なさで項垂れるが、マザーに任せることを選んだ。
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コーリング家を出てから四年目、今年も孤児院に行く。
元気いっぱいに駆け回る姿を見て安心感を覚える。
この頃には引き取れるように稼ぎを増やそうと努力していた。
父も協力的で、農業以外にも木彫りの置物を売りにいくようになった。
彼女もメイド時代に覚えた裁縫で売り物を沢山作って隣村に売りまくった。
全てが順調とは言えないが、着実に、確実にお金が溜まっていく。
希望。
まさにその一言に尽きる。
二人で引き取れる日を夢見て、疲れなんて忘れて商売に精を出す。
彼女の過去に後ろ指を指す者も居るだろう、それも覚悟の上だ、上等だ、そんな思いで今日も針を通していく。
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コーリング家を出てから五年とちょっと、今年も孤児院に行く予定だ。
目標金額まで貯まったのだ。
何故お金が必要なのか? それはもちろん引き取る子供の生活を保証するため。
貧しい家に引き渡すことはできない、そんなのは当然のことだ。
人並みの生活を保証できなければ、引き渡す方も安心できるわけがないのだから。
きちんとお金があるという証明と、寄付金を合わせたお金が必要だったのだ。
時間はかかったが、もうすぐだ、もうすぐあの日の赤子を抱きしめられる。
フードを目深に被り、父と二人で孤児院へと向かった。
どこか暗い雰囲気が漂っているのが気がかりだったが、迷わず孤児院へと入る。
キョロキョロとあの子を探しながら、明るい声でマザーに話しかける。
「シェリアリアという子を引き取りたいのですが」
「ユーリシアさんとお父様……その……」
マザーの顔が曇っていく。
嫌な予感が胸の中を支配する。
思わず父の服の裾を掴んだ。
「シェリアリアは……行方不明に……なりました……」
目の前が真っ暗になり、膝から崩れ落ちた。
それはシェリアリアが行方不明になってから一月後の、よく晴れた日だった。
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