◈◈◈参 添い寝
とうとう一部の水路が氾濫したらしい。
普段のスフィリなら、研究に影響が及ばない限りは天気に興味など持たないが、脚の痛みは日毎に悪化していた。
最近は夜に寝つけないほどだ。
さすがに翡翠を下宿に連れ込むのは面倒の元になりそうなので、最近は自分が研究室に泊まり込んでいる。
薄着の彼女を腕の中に抱き込んで眠るのは、それでも最初はそれなりに抵抗があった。
石だから匂いはしない。辛うじて柔らかい肌は、しっとりとして冷たい。人のようで人ではない。
その微妙な均衡が、スフィリを情欲から遠ざけていた。だいたい〈
「脚、まだ痛いですか?」
「今は落ち着いている。……それにしてもしつこい雨だな。早く
非常用の
――冷たく、柔らかなものが口に触れた気がして、スフィリはにわかに意識を浮上させる。
朝といっても小鳥の
部屋の中も薄暗いままだ。まどろみに浸っていると、腕の中の女がかすかに身じろぎをした。
「……。せんせ、起きちゃった……?」
寝起きのかすれた声が耳に甘く、くすぐったさを覚えたスフィリもまた、寝惚けた頭で答える。
「ん……、あと五分、寝かせろ……」
「……ふふ。はぁい」
髪を撫でられている。それがなんとも心地よく、また夢に堕ちた。
五分などとうに過ぎ、いつの間にか翡翠は
呻き声に気づいた石娘が慌てて駆け寄ってくる。鉱族だからか、彼女の足音にはパキパキという微かな音が混ざっていた。
「先生、大丈夫ですか」
「勝手に離れるんじゃないッ……。……この匂いは、魚を焼いているのか」
「はい。あとはご飯と卵にお吸い物。お漬物はどうします?」
「典型的なこの国の朝食だな。何でもいい、どうせ珈琲はないんだろうし」
異国暮らしで悩ましいのが嗜好品だ。故郷では、朝は粗挽きにして濃く淹れた珈琲にミルクと砂糖をたっぷり入れたが、ここではそのどれもが欠けている。こと豆が手に入らない。
翡翠は苦笑して「今度市場で探しますね」と言ったが、スフィリは期待できない事柄に首肯する性格ではなかった。まず流通していないし、あっても腹立たしいほどの高値、そもそも翡翠は自由に出歩ける身分ではない。
食事の間、翡翠はうしろからスフィリにくっついていた。
一緒には食べない。鉱族が摂食するのは身体の構成に合わせた専用の
そこへ珍しく学生がやってきた。論文の添削を頼みたいという。
堅物で知られる外国人が若い娘を侍らせている絵面に、青年は仰天した。そしてうっかり「学内で女性とそういうことは……」などと口走ったので、彼はスフィリの逆鱗に触れたのだった。
「馬鹿な、これは鎮痛剤代わりの〈
「失礼しましたッ……!」
その後の添削は案の定、普段以上の辛口になった。
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