第三十二話 失われた天使

「はあっ……! ぐっ……おい、起きるんだ!!」


 歩くたびに血を落としながら、ピャーナはある男の肩を揺さぶった。堕天したという天使の拘束を無理やり解いたため、体の傷が深く、ピャーナ自体は盾にもなれない。その手には一輪の造花が握られていた。

 この花は、リアの傍になければならない気がしていたからだ。


「…………」


「恩師なんだろう? だから身を挺して一緒に攻撃を受けたんだろう!! だったらもう一踏ん張りだ。戦えるのは貴方しかいない!!!」


「……っ」

「っ、気がついたか」


 ゆっくりと目をあけたのは天使ルウベスだ。彼は一瞬痛みに顔を歪めて立ち上がる。

「悪魔……? ああなるほど、事情はわかりました。ご協力感謝します」


 ルウベスはピャーナから造花を受け取って大きく羽を広げた。ピャーナは一瞬戸惑ったが、今はいち早く向かってもらった方がいいので口を挟むのをやめた。

 ルウベスは手のひらを一度ピャーナにかざして優しく微笑んだ。


「しばらく休めば回復します。どうか、安静に」

「あ、ありがとう……」


 そのまま勢いをつけて飛び去っていく。ルウベスが使った天使の力で、ピャーナの出血は既に止まっていた。




「デフェル。これはどういうことです?」

「ああ、ルウベス様。ご無事だったのですね、残念です」


 ルウベスは静かにデフェルの前に着地した。デフェルの黒く染まった羽根に顔色を変えずに、床に倒れ込んだリアの体を抱き起こす。


「リア」


 冷え切った体。そこにかつての弟子はいない。静かすぎる。鼓動も、呼吸も何もない。


「遅かったですね。もう、彼女は失われてしまいました」

「デフェル!!!」


 ルウベスが大きな力を発して攻撃の準備をする。ゴウ、と大きな音が鳴って、ルウベスとリアの体を光が包み込んだ。


「おっと。でももう迂闊に手出しはできませんね。あちらにいる者たちは既に我が手中ですよ。攻撃すれば、全て殺します」


 悪魔や魔族などの消滅など心底どうでも良かった。このままありったけの力で奴ごと叩き潰していい。……でも、ある記憶が邪魔する。


 ”天使も悪魔も、あまり大きい差じゃないよ。これまで過ごしてきた毎日の方がボクには大事!”

 ”そう。話したことがない同胞(?)よりも、ずっと一緒にいたリアの方がオレは好きだよ”


「(仕方がないか)」

 ルウベスはリアの体を抱いたまま、高く舞い上がった。このまま天界に戻ろう。大切な弟子をいち早く安らかな場所へ。


「ふっ。そうだ。そのまま惨めに逃げればいい」

 リアの名を叫ぶ声を無視して、天界へ戻ろうとさらに高く上がる。しかしーー。


「……んん」


 声が聞こえる。すぐ傍だ。そんなの一人しかいない。


「リア……!」


 腕の中の少女が、目を覚ましていた。先ほどは確かに命の燈が消え失せていたというのに。


「ルウベス様……おはようございます……?」


 腕の中で首を傾げる彼女に一瞬目が点になり、次の瞬間には喜びの表情を浮かべていた。


「おはよう。君に朝が来て本当に良かったです。……気分はいかがですか、リア」


「だいじょ……あれれ、体がうまく動きません……」


「そうでしょうね。目が覚めたとはいえ、かなり危ない状況です」


 そう伝えるが、リアはあまり聞いていないようだった。


「ルウベス様、一つ、お願いがあるのです」

「何でしょう?」


 リアはルウベスの服を弱々しく引っ張り、すがるように見上げていた。

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