第7話 火熊

食事をすませた二人は、再び森の中を歩き出す。


予定通りに看板から北に進み、一時間くらい歩いたら開けた場所に到着した。


そして、その視線の先には薬草らしきものが生い茂っていた。


「あ、ありました! あれです!」


「ブルルッ!」


「待てっ……!」


ヘクトルはゼストの声に反応し、走り出しそうになったカルロを手で制した。

同時に、ヘクトル自身にもゼストが鳴いた意味がわかった。


「ど、どうしたんです?」


「俺達を見ているものがいる……言葉が通じるかはわからないが、隠れても無駄だ」


そのヘクトルの言葉が通じたのか、左上方向の森から全身が真っ赤な大きな熊が出てくる。

それは火熊と呼ばれる魔物で、大食漢でどう猛なことで有名だった。

ただし頭は悪くなく、勝てない戦いには挑まないとされる。


「ゴァァァァ!」


「ひ、火熊……! この辺りの主です! こいつらは人の味を覚えてしまってます!」


「なるほど、それでは倒さないという選択肢はないな」


こういう肉食系の魔物は、場合によっては生かすこともある。

何故なら、こちらから手を出さなければ襲われることもなくはない。

何より、人類の敵であるゴブリンやオークといった魔物を食べてくれるからだ。

しかし、人の味を覚えた場合は別である。


「倒す? ……無理ですよっ! 大人達が討伐隊を結成したんですけど、ほとんどやられてしまったとか」


「だが、相手は逃がしてくれまい。何より、目の前にあるのが目当ての薬草だろう?」


「そ、それはそうですけど……」


「大丈夫だ、そこから動かずに待っていろ」


ヘクトルは相手から視線を逸らさずに、剣を構えて前に出る。

カルロの薬草を取るという目的もあるが、ヘクトルにも引けない理由がある。

自分一人、もしくはカルロを担いで逃げることは可能だった。

しかし……老いたゼストは火熊から逃げる事は出来ない。

ヘクトルは大事な相棒をこんな奴に食わせるわけにはいかなかった。


「ゴァァァァ……!」


「人の味を覚えた獣よ……悪いが、お前を生かしておくわけにはいかない」


「ゴァァ!」


三メートル近い火熊が立ち上がり、その太い腕をヘクトルに向けて振り下ろした。


「くっ!? ……なんて威力だ、これは食らったらただじゃすまんな」


咄嗟に避けたヘクトルだが、その避けた位置が陥没していることに驚く。


「ゴァァァァ!」


「ちっ!」


ヘクトルが臆したと見たのか、火熊は次々と腕を振り下ろして攻めていく。

ヘクトルは右に左、時に下がって避けていく。

しかし、もうこれ以上は下がれそうにない。

何故なら、後ろには守るべきゼストとカルロがいるからだ。


「……妹が待っている兄を無事に返さなくてはいけない」


「ゴァァァァ!」


「調子にのるなっ!」


ヘクトルはミストルティンを上段から振るい、火熊の爪とぶつかる。

火花が散り、なんとヘクトルの剣が火熊の爪をへし折った。


「ゴキァァァァ!?」


「俺として弾き返すつもりだったが……なんて威力だ。やはり、これは普通の剣ではないな」


ヘクトルが驚くのも無理はない。

火熊の爪は固く丈夫で、武器や鎧などの材料にも使われる。

普通の武器であったら、ヘクトルの腕をもってしても折れはしなかったに違いない。


「ゴァァァァ……」


「悪いが攻めさせてもらおう!」


好機と見て、ヘクトルが火熊に斬りかかる。

火熊も爪で応戦するが、次々と自慢の爪を折られていく。

ヘクトルは焦らずに、1本1本確実に折っていった。


「ふんっ!」


「ゴァァァァ!?」


当然、火熊とて馬鹿ではない。

時に口などで嚙みつこうとしたり、腕がもう1本あるので、両腕で攻撃したり。

しかし歴戦の戦士であるヘクトルには効かない。

攻撃のタイミングを気配で感じ、それらを華麗に躱していた。

そして、ついに……火熊の怒りが頂点に刺す。

このような人間に、火熊も負けるわけにはいかなかった。


「ゴァァァァ!」


「むっ、なんだ?」


ヘクトルは火熊の変化を敏感に感じ取り、一度距離を取る。

これは歴戦の戦士としては当然の判断だったが、この場合においては悪手だった。

火熊は口に力を溜め……なんと、火の玉を吐き出した。


「うおっ!?」


「ゴァァァァ……」


ヘクトルは咄嗟に危険を察知し、どうにか紙一重に避けることに成功した。

ヘクトルは知らないが、それこそが火熊と呼ばれる所以だった。

火熊の肺は特殊で、体の中で火をつけることができる。

それを吐き出すことから、火熊という名前がついた。

もう一つの由来は、この後知ることになる。


「ヘクトルさん!」


「ブルルッ!」


「平気だ! なるほど、だから火熊か。やれやれ、人との戦いばかりをしていたからな」


ヘクトルは額の汗を拭い、そっと息を吐く。

彼は戦争に出ていたので、対人戦が多かった。

魔物との戦いは未経験ではないが、専門家である冒険者達のようにはいかなかった。


「ゴァァァァ……!」


「ちっ! 山火事になったらどうしてくれる!」


火熊から吐き出される炎を、右に左と躱す。

火熊自身も、それを吐けばどうなるかはわかっていた。

故に奥の手であり、それだけヘクトルに脅威を感じたということだった。


「ゴァァ!」


「なめるな!」


剣を袈裟斬りに放ち、火の玉を真っ二つにする。

それ自体は成功したが、それは火を広範囲に広げるという行為だった。

何より、斬り終わりを火の玉で狙われてしまう。


「お、お兄さん! このままだと薬草が!」


「……そうだな。わかった、覚悟を決めるとしよう」


確かに山火事になったら大変である。

ここは広さがあるからまだいいが、森の中に入りでもしたら一大事であった。

ヘクトルは覚悟を決め——火の玉の中をすすむ!


「ゴァ!」


「くっ!?」


火の玉の速さは並ではなく、当然近ければ近いほど避けるのは難しい。

かといって剣で斬っては、その斬り終わりを狙われる。

ヘクトルは最小限の動きで、ぎりぎりのところで火の玉を交し接近する。

そしていよいよ避けるのも難しい距離になった時、いきなり火熊の火の玉が止む。


「なに? 火の玉が止んだ? ……何かの罠か?」


「ゴァァァァ!?」


「どうやら、そういうわけではなさそうだな」


当然の話で、火熊とて無限に火を吐けるわけではない。

火熊はヘクトルを恐れるあまり、ほとんどの火を使い切ってしまったのだ。

そして、その好機を逃すヘクトルではなかった。

ここが勝負所だと感じ、彼は一気に距離を詰める!

それを見た火熊は、もう一度火を吐こうと大きく息を吸うが……一足遅かった。


「させるか——ウォォォォォォ! 」


「ゴガァァァァ!?」


一足早く、ヘクトルの剣が火熊の口に吸い込まれ……爆発を起こした。

口の中で火の玉が爆発し、火熊の顔が無くなる。

こうなっては、どんな生物だろうと生きてはいない。

だがヘクトルは油断せずに、慎重に火熊に近づく。

戦場において、死に損ないの兵士こそが一番怖いことを知っているからだ。


「……よし、死んでいるな」


「へ、ヘクトルさん! すごいや! あの火熊を倒しちゃうなんて!」


カルロに賞賛され、ヘクトルは頬をかく。

そんなに真っ直ぐに言われる事は、最近では滅多にないからだ。

英雄であるヘクトルは勝つことが当たり前で、今では誰も褒めたりしなかった。

そしてそれは、妹のルナに良く言われていたことを思い出した。


「なに、たまたまだ。それより、火事にはなってないか?」


「はい! 何個か木に当たりましたけど、へし折っただけで済んだみたいです!」


「そうか、運が良かったな。それでは、薬草を採取するといい」


「そ、そうでした! ありがとうございます!」


そうしてカルロは薬草を採取している間、ヘクトルは火熊を担ぐ。


「こいつは村への土産にするか」


すると、ゼストがヘクトルを鼻でつつく。


「ん? どうした?」


「ブルルッ」


「載せろって言っているのか? いやいや、この大きさは無理だろうに。そもそも、お前はもう若くない」


「ブルッ!」


ゼストは「自分がやる!」とでも言いたげに嘶く。

ゼストは分かっていた。

自分がいなければ、火熊との戦いを回避できたことを。

自分が足手纏いなのが嫌だった。


「……わかったよ。それじゃあ、少しだけ軽くするから待ってろ」


「ブルルッ!」


ヘクトルはゼストの思いを汲み、急いで解体作業を始める。


幸いにしてカルロも剥ぎ取りの経験があり、二人で迅速に作業をこなす。


そして日が暮れる前に作業を終え、二人と一頭は再び森の中を歩いていくのだった。








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