第8話 私……あの人嫌いです

 催眠を見せられたことにより、音ノ葉は完全に戦闘モードへと切り替わる……それでも少女は余裕そうに、落とされたスマホを拾いながら。


「まぁ……急に催眠かけようとしたことは謝るよ。本当に効くかどうか試したかったんだ」


「今すぐお前で試してやろうか……?」


「ちょ、音ノ葉、落ち着けって! きっと、好奇心で試しただけだだろ?」


「…………」


 音ノ葉は何も言わなかったが、訝しげな目を俺に向けてきた。でも本気で俺らを催眠にかけようと思うなら、音ノ葉から無力化する方が圧倒的に成功率は高いし……そもそも俺らからここに来たんだから、彼女が本気で俺らを催眠にかけようと企てていたとは考えにくいだろう。


 だから本当に思いつきでやったんだろうけど……それでも一度催眠を見せてきた以上、警戒はするに越したことはなさそうだ。


 そして彼女は俺らに話しかけてきて。


「それで……この時期に入部なんて、訳ありって感じだね?」


「はい、俺ら学校内で安全な場所が欲しくて」


「隆太様、ここはダメです。こんなのがいる部室じゃ、安全もクソもありませんわ」


 音ノ葉はもう完全に心を閉じてしまったのだろう……いち早くここから去ろうとすることだけを考えていた。そんな音ノ葉に彼女は微笑を見せて。


「ははっ、嫌われちゃったかな。一応自己紹介するけど、私は三年の滝宮栞たきみやしおり。文芸部の部長で、このアプリは……一昨日、急に入ってたんだ」


「一昨日……音ノ葉、お前も一昨日からだよな?」


「……」


 音ノ葉は無言で頷く。もう喋る気も無いのだろう……ここは俺から自己紹介をするしかなさそうだ。


「えっと、俺らも自己紹介した方がいいよな……俺は一年の江野隆太で、こっちが音ノ葉みのり。俺らは催眠アプリを根絶させようと、活動している最中なんだ」


「……隆太様、そんなことコイツに説明する義理ありませんわ」


「いや、そうは言っても……まぁ最悪、記憶消して催眠のことは忘れてもらうことだって出来るし」


 そこで彼女……滝宮さんは話に入り込んできて。


「フフ、それは困るね。このアプリはとんでもないものだと、私は気付いてしまったからね?」


「だからこそですよ。こんなものが存在していたら、世界が壊れかねない……だから俺らは、催眠アプリを根絶させようと頑張ってるんですよ」


「へぇ……」


 言いながら顎に手を当て、俺ら二人を見つめる。その彼女の瞳は大きく、吸い込まれそうで……俺らの考えていることなど、全てお見通しのように思えた。


 でも次に彼女が口にしたのは、俺らが全く予想していなかった言葉で。


「……じゃあ分かった。私のアプリを消すのは、最後にしてくれないかい?」


「えっ?」


「取引だよ。その代わり、この部室の出入りは自由にしてもらっていいし、ここにある職員用のパソコンも使っていい。そして私も催眠アプリ撲滅活動を全面的に協力しよう。私以外の者が催眠を使えなくなるのは、実に愉悦だからね」


 なるほど……そう来たか。滝宮さんは音ノ葉には敵わないことを理解している。実質見逃してくれ、とお願いしているようなものだ。でもその条件として、部室とパソコン、そして仲間になると言ってくれている。


 この短時間だけのやり取りでも、相当彼女は賢いと直感しているし、実際彼女が仲間になってくれたらとても心強いが……正直、完全に信頼が出来ていない自分がいるのも確かだ。でもここで敵対はしたくないよな……どうしようか。


「……隆太様。こんなバカ言ってる人なんか相手にせず、記憶消してとっとと他の部活行きましょう」


 音ノ葉は完全に敵対しているが……この先、似たようなことが起こり得ないとは言えないしな。安全な部活を探すのもきっと大変だろうから……決めた。


「でも……仲間になってくれるのは心強いし、部室や情報は俺らに必要なものだ。俺らの内情を分かってくれて、かつ少人数で活動できる部活は多分ここしかない……だからここに入部しよう」


「……本気で言ってるんですか?」


「ああ。そもそも催眠アプリを消すってことは、常に危険と隣り合わせのことだ。だから多少リスクを取る必要があるんだよ」


 俺は本心を音ノ葉に伝えた。多分これが最善の答えだろう……と思ってるところで、滝宮さんが口を挟んできて。


「そんな真剣に悩んでるところ悪いんだけど……もう君らに催眠かける気は無いから安心してくれたまえよ。私は催眠の仕組み……そして人間の欲望に興味があるんだ。この催眠を使った人間が、どこまで落ちぶれるのか見てみたいからね?」


「ふーーーん、どうだか。不意をついて、隆太様にかけるつもりじゃないですか?」


「フフ。もしやるなら、君から消すから安心してよ」


「上等ですわ……次変な動き見せたら、命無いと思いましてよ?」


「いやちょっと、そんな喧嘩しないでくれって! 今日から二人とも仲間になるんだから、仲良くしてくれないと困るよ!」


 俺の言葉に音ノ葉は不満げな表情を。滝宮さんは意味ありげな微笑を顔に浮かべた。そしてそのまま滝宮さんは、引き出しからA4サイズの紙を取り出して……。


「はい、ホントの入部届」


 俺ら二人に手渡してくれた。俺はそれを受け取って、名前を記入していった。


「ありがとうございます。ほら、音ノ葉も」


「…………」


 音ノ葉はせめてもの反抗か……読めるかどうか怪しい、ミミズの這ったような字で、入部届に名前を記入するのだった。


 それを滝宮さんに渡すと、彼女は快く受け取ってくれて。


「確かに受け取ったよ。じゃあ先生に提出してくるから、もう帰っても構わないよ。じゃあまた明日、部活動で会えるのを楽しみにしてるよ……催眠撲滅軍さん」


 そう言って、彼女は部室から出ていくのだった。数十秒の沈黙の後……音ノ葉は静かに口を開いて。


「…………隆太様」


「なに?」


「私……あの人嫌いです」


「うん、知ってる」

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