第4話 真意of黒騎士
こいつは王になりたいなんて思ってない。
それが明日弥の得た直感だった。
人の上に立ちたいとか。誰かを支配したいとか。そういう野心が、微塵も感じられない。
強者になりたい、と思っているのは確実だろう。でなければ剣も魔法も究めようなどとは思わない。貪欲なまでに強さを求め、力を求めている。そのために、無駄なもの、不要なものはすべて削ぎ落としてきたからこその重みと深みが、確かにある。
だが、その欲求が〝王になりたい〟という野心に結びつくとは限らない。
むしろ、そういう野心こそ、彼が〝自らには不要〟と断じるものではないのか?
そう感じるのは、〝主人公の兄であり、自国を裏切って敵国についた最強の黒騎士〟の目的が〝世界を統べる王になること〟というだけでは魅力に欠ける、と明日弥が思っているからでもあるし、直にこの黒騎士と対面して、〝そんな奴ではなさそうだ〟と直感したからでもある。
彼には、もっと別の理由があってほしい。彼ならではの、彼だからこその理由が。
彼がいる舞台は、決して彼が主役の世界ではなく、あくまでも『若き騎士シャイク』が主役の世界だが。
だからこそ、『シャイク』の物語をより面白くするためにも、この男には魅力的な存在であってほしい。
「古代魔法騎士王の座に最も近いのは、間違いなくあんただ。あんたの腕に惚れ、あんたを王に戴きたいと思う者もいるだろう」
騎士王国と魔法王国に分かたれた世界を再び統合する王として、彼以上にふさわしい人間がいるとは思えない。
騎士王国の人間は彼を蛇蝎のごとく憎むだろうが、魔法王国の中には、彼をこそ新たな王に戴くべきだと考える者も多いのではないか。
何より、両国の民衆にとってはどうか。騎士王国、魔法王国に分かたれて争い続ける世界に安寧を与える者、古代魔法騎士王の資格を継ぐ者として、黒騎士は希代の英雄のごとく映るのではないか。
「だが、あんたに王たらんとする意志はない。あんたはむしろ、騎士でありたいと思っている――そうじゃないか?」
騎士王国を出奔し、魔法王国に与していながら、なおも騎士の鎧を身にまとい続けているのはなぜか。
思想として相容れぬがゆえに騎士王国を離反したとはいえ、彼自身は、〝騎士〟であることに最も強くアイデンティティを感じ続けているからではないか。
騎士であることになんの思い入れもないなら、もっと魔法王国らしい出で立ちをしそうなものだ。
そうではないどころか、いまだに騎士の甲冑に身を包んでいるのなら、そこには大きな意味がある。
ディレクターである細谷は「その方がかっこいいから」くらいに思ってそうしたのかもしれないが、この黒騎士の身になって考えれば――彼を〝クリエイターが生み出した被造物〟ではなく〝どこかの世界に生きて自分の意思で物事を決定している一人の人間〟として捉えるなら、〝あえて〟騎士の格好をしていることは、なんらかの信念、あるいは意思表示に基づくものでなければ説明がつかない。
では、それは何か。
「騎士として、真なる王に仕えたい。それだけの価値がある者、そこに喜びさえ感じられる者を見出し、王として戴き、その王のために、磨いてきた剣と魔法の技を振るい尽くしたい。武人であり、忠義の徒であり、誇り高き騎士であることこそ、あんたの願い。目的だ。
騎士王国ではそれは叶わなかった。そこにあんたが仕えるに足る王はいなかった。だから魔法王国に活路を求めた。いや――」
だとしたら、先ほど明日弥が口にした〝新設定〟が足かせになる。
彼は、弟シャイクに負けた翌日、王国を出奔したのだ。
そこにもまた、〝その方がドラマチックだから〟というだけでなく、何か彼にとって大事な意味がなければならない。あってしかるべきなのだ。
「シャイクに王の器を見たのか?」
明日弥自身、半ば驚きながらそれを告げていた。
「剣の実力以上に、何か――シャイクなら王として戴くに足るかもしれない、そう思わせる何かがあったのか? それも、ただ騎士王国の王としてではなく……騎士王国の魔法王国も含めて、世界そのものを統治できるのではないかと思えるほどの可能性を、あんたは、自分の弟に見たのか? だからあえて出奔し、魔法王国側に回って、弟と戦っているのか? 騎士王国と魔法王国の熾烈な戦いの中で、彼がその素質を目覚めさせ、真なる王になることを期待して?」
黒騎士が、笑った。
わずかに。ほんのわずかにだが、一文字に結んでいた口元を歪め、笑った。
「近い。が、違うな」
相変わらず鋼の重さを保った声色に、どこか面白がるような響きがにじんだ。
「騎士でありたい。そう願っているのは間違っていない。だが、王を戴こうとしているわけではないし、あいつにそれを求めているわけでもない」
「違うのか?」
明日弥は眉をひそめた。
「じゃあ、なぜだ? あんたは何を求めている?」
「王以外の答えを」
ぼそりと吐かれた言葉に、明日弥は言葉を失った。
「新たな王を戴くのなら、古代王国と同じだ。俺はそれ以上の答えを求めている。
王以外の答え。
王がなくとも騎士があり、魔法がある。そんな、新たな時代、新たな世界を。そうでなければ――二国に別れて争い、結果として一つにまとまって王を戴くというのでは、我々は古代に逆戻りしているに過ぎないではないか?」
確かにそうだ。という思いと、おいおい、という思いが、同時に明日弥の脳を叩く。
なんで俺は、俺が考えた以上の答えを、キャラに与えられてるんだよ。
「シャイクには可能性がある。王の器ではない。だが、何か……王以外の答えを出してくれる。そんな希望を感じさせてくれる」
がちゃり、と鋼の擦れる音がした。
黒騎士が立ち上がり、カウンターにグラスを置く。
その口元に、もう笑みはない。幻のように消えてしまった。
「だが、まだ可能性に過ぎない。花開くことなく消え去るかもしれないし、それを消し去るのは、この俺かもしれない」
黒騎士は外套をひるがえし、明日弥に背を向けた。
「そこで終わるか、俺の想像すら上回るかは、あいつ次第だ」
それだけ言って、黒騎士は去った。
もはや長居は不要とばかり、悠然としていながらも迷いのない足取りで酒場の入口へと向かい、扉がどんな軋みを立てようがお構いなしに力ずくで開いて、光の中へ消えていった。
明日弥は頭をかいて、黒騎士が置いたグラスに視線を向ける。
一杯の酒の代金としては破格に過ぎる大きな金貨が、グラスの中に置かれていた。
明日弥は大きく息を吐いた。
黒騎士が見せた笑みを思い出す。
明日弥が彼の中の答えに迫ったことへの褒美というより、「なかなかやるが、まだまだだ」と告げるような笑みだった。
あの笑みこそ、彼という男の本質なのかもしれない、と明日弥は思った。
生半可な言葉は鎧に弾き返される。考えに考え、〝近い〟ところまで辿り着いて初めて、彼の興味を引くことができる。
が、それでも「まだまだ」と突き放される。
冷たく拒絶されるのではなく、「もっとうまくやってみせろ」と厳しい期待を込めた笑みと共に。
「難敵だぞ」
明日弥はぼやいた。
あれほどの男が、なお、自分を超える者を求めている。実力でも、精神においても、導き出す答えにおいてもだ。〝正義感が強く真面目で心優しい若い騎士〟であるシャイクが、あの黒騎士をして「完敗だ」と言わしめる域に達するのは、果たしていつになることか。
だが、いつかは至らなければならないのだ。これはシャイクの物語であり、黒騎士はシャイクにとって超えるべき壁なのだから。
シャイクは、あのそうそう簡単には誰かを認めそうにない黒騎士に認められるほどの騎士にならねばならないのだ。
「まあ、がんばってもらうしかないよな」
シャイクに。そして。
シャイクの物語を引き継ぐライターに。
†
『いいんじゃないすか。いいと思いますよ。うん』
立ち上げたPCのモニターの中で、細谷がハイハイと軽くうなずいている。
『シャイクに期待して、シャイクを鍛えるためってことですよね。いいと思いますよ。弟思いのいいお兄ちゃんじゃないですか』
「はあ」
ちょっと違うんだけどな、と思いながら、明日弥はうなずく。
シャイクに期待しているのも、シャイクを鍛えるためであるのも確かだが、弟思いかというと、それはまた違う気がする。
黒騎士はシャイクが弟だから目をかけているわけではない。自分が得られない答えを出してくれそうな人間が、たまたま実の弟だっただけだ。兄弟の情も、ないわけではないのだろうが、彼はむしろそれを〝不要なもの〟として削ぎ落とした上で、それでもシャイクに期待を寄せているのだろう。
明日弥はその方が〝彼〟らしくていいと思うが、細谷は、「自国を裏切った黒騎士が実は弟である主人公のことをすごく気にかけていて、すべては弟のために行動である」方が人気が出る、くらいに思っているかもしれない。実際その方がウケがいい可能性は大いにある。
なんにせよ、それは明日弥の干渉すべきことではない。
『じゃあ、これに関してはこういう想定で、いろいろデザインとか進めていきますんで。黒騎士の関係者とか。弟子みたいなのがいてもよさそうですね』
「そうですね、戦場には連れて行ってないとしても、自宅とかにはいるんじゃないでしょうか。
で、担当ライターは見つかりそうですか?」
『今、何人かお声かけしてて、やっていただけそうです』
「あ、ならよかったです。ホントは実際に書く方に考えていただく方が、その人にとってもやりやいんですけどね」
『ですね~。でも先にデザイン動かなきゃいけないんで』
それが今回、明日弥に急な依頼が来た理由だった。
『キャラドリーム』はカラーイラストの挿絵を多用する関係で、早めにデザイン作業に入る必要がある。本文が納品されるより先に挿絵作業が開始する、ということも珍しくない。
今回は、本文執筆担当のライターが見つかるのを待っていると挿絵作業が間に合わない――すでに決定されている担当イラストレーターのスケジュールの都合上、今このタイミングで依頼しないと足並みが揃えられない――ため、デザインにあたって必要な設定やプロットを詰めておく必要があったのだ。
『シャイク』の担当ライターは、世界観やキャラクターが決定済みかつ、すでに何枚か『こういうシーンのイラストです』という挿絵が作業開始している状況で、それに合わせる形で物語を構築する必要がある。
明日弥は、そこまで担当しない。あくまで、前ライターと次ライターの間を埋め、挿絵作業が遅れないよう必要な部分だけ――今回は特に黒騎士というキャラクターの人格的な部分の詰めを――行うのが、求められた仕事だった。
『キャラドリーム』は特に担当ライターの入れ替わりが激しいコンテンツなので、こうした「間を埋める人間」の需要が尽きない。
明日弥自身が担当キャラクターを持っていると、フレキシブルにこういう事態に対処しづらくなるので、明日弥はあくまで「穴埋め要因」としてのみ『キャラドリ』の仕事を請けている。
『じゃ、今回はこちらで納品完了ということで』
「承知いたしました。ありがとうございます」
『いえいえこちらこそ~。では改めてメールさせていただきますので、引き続き手続きなどお願いできればと』
「はい、よろしくお願いします」
『よろしくお願いいたします~ではでは~』
明日弥はビデオ通話を切り、自室の椅子に深く背を預けた。
ひとつ仕事が終わった、という感慨が、静かに心に満ちていく。
何か酒でも飲もうか――と考えて、ふと脳裏に浮かんだのは、
『ジンを』
という、あの短く断ち斬るような重い一言だった。
あれから軽く調べてみたが、現実世界でジンという酒が生み出されたのは17世紀の話らしい。
ファンタジー世界なのだから必ずしも現実の文化観に基づいている必要はないが、ジンにはやはりやや近代寄りの印象があったので、少し悩んだ挙句、黒騎士のキャラクター設定に『ジンを呑む』と表記するのは控えていた。
彼がジンを好むと知っているのは、あのとき、あの場所で彼と出会った自分だけでいい。
ひとつ大きく伸びをして、明日弥は立ち上がり、台所へ向かって歩き出す。
酒に強いわけではないので避けてはきたが、「答え」をくれた黒騎士への敬意を込めて、今度、一口くらい、ジンをストレートで味わってみるのも悪くないかもしれない。
そんなことを考えながら。
空想酒場 習作 @syusaku
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