第4話 波間に飲み込まれるおかっぱ頭たち
高松港を出港して16分後それは起こった。
紫雲丸の船室で木江町立南小学校の教諭井上信行が同教諭の脇田きん子に話しかけていた時である。
急に船のスピードが落ちて、ドシンという衝撃を感じたかと思ったら鋭い汽笛、そしてもう一度船が大きく揺れる。
紫雲丸に第3宇高丸が衝突したのだ。
「キャー」と女子生徒たちが騒ぎ出し、停電して水密扉が作動しない船は急激に浸水し、船体が左舷側へ一気に傾く。
「荷物を網棚から降ろすんだ!」
この緊急事態に井上は生徒たちに大声で指図した。
「これは訓練ではありません!」、船員たちは乗客たちに救命胴衣を配って歩いていたが間に合わない。
受け取っても着用する間がないほどのスピードで船が沈んでゆくのだ。
船体が大きく傾いてゆき、もう立って甲板を歩けなくなる。
右舷側甲板にいた庄内小学校の川上紀男はじめ、甲板にいた生徒たちの多くは衝突直後から行動を起こし、沈みゆく紫雲丸から同船体に食い込んだ第3宇高丸の甲板に乗り移り助かった。
木江町立南小学校の教諭井上は甲板に上がり生徒を一人一人第3宇高丸に乗り移らせ、自分も飛び乗った。
だが、まだ船内には大勢の生徒が残っているのだ。
出航後にどこにいたかでこの時点で明暗が分かれていた。
男子は物珍しそうに甲板にいたために、いち早く紫雲丸の船体に食い込んだ第3宇高丸に乗り移り、助かった者が多かったのだ。
しかし、女子は船内の客室にいた者が多く、比較的多数の生徒が船内に取り残されていた。
しかもこの時、甲板近くにいて助かるはずだった女子生徒たちがこの世で最も悲しい過ちを犯す。
「お土産が流されるう!!」
何と修学旅行先で家へ買ったお土産を心配して急速に沈みゆく船の船室に続々戻って行ったのだ。
そしてその多くが二度と戻ってこなかった。
「助けてー!」「おかあさーん」
第3宇高丸に乗り移っていた井上は沈みゆく船からの女子生徒たちの断末魔の悲鳴を耳にする。
もう彼らは助からないだろう、もう完全に傾いてパラパラと人を海面に落としながら一気に沈んでゆく船に戻るのは自殺行為だ。
しかし井上信行は違った。
彼は聖職者である教師、しかもその鑑だった。
「今助けに行くからな!!」
彼は教え子たちを救出に波間に飲み込まれつつある紫雲丸に戻ったのだ。
そして、その聖職に殉じた。
紫雲丸の船体が沈んだ後も地獄絵図は続く。
その巨体が沈没したことにより渦巻きが発生し、海上に漂う修学旅行生をはじめとした乗客たちを吞み込んで行ったのだ。
生き残った生徒たちは腹を見せた救命ボートにつかまり泣き声を瀬戸内の海に響かせる。
川津小学校の井戸原校長は子供たちの手をつかみボートにしがみつかせる。
しかしすべての命を救うことはできなかった。
「あっあっ」「先生」と苦しそうな声を上げて今まで海面に浮かんでいたいがぐり頭やおかっぱ頭が次々沈み、二度と浮かんでこなかった。
そして同小学教師の中にも職に殉じた者たちがいた。
新川宏子(30歳)は子供たち十数名にしがみつかれ海中に没し、高橋景子(29歳)も波間に消えた。
第3宇高丸も手をこまねいていたわけではない。
ロープやボート、浮遊物を下ろして海中に投げ出された乗客たちを救出。
近くを通りかかったイカ釣りの船も救援に奮闘する。
漁師の島谷国太郎(73歳)は遠くの海上から蚊の鳴くような悲鳴を聞きつけるや海難事故の発生を確信して手漕ぎの船で急行し、合計で50名の生徒たちの命を救った。
だが、この事故は乗客乗員168名が死亡するという大惨事になり、この中には紫雲丸の船長・中村正雄も含まれていた。
そしてより悲惨だったのは児童生徒の犠牲者が100名にのぼったことである。
そのうち81名が女子だった。
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