第2話 運命の出航

1955年(昭和30年)5月11日午前6時過ぎ、香川県高松市の高松港で同港と本州の岡山県玉野市の宇野港を結ぶ宇高連絡船の紫雲丸が間もなく出港しようとしていた。

この日の紫雲丸の船上と桟橋はこの早朝の時間にもかかわらず賑やかである。

それもそのはず、修学旅行生や見送りに来た家族が来ていたからだ。

それも一校だけではない。


愛媛県三芳町立庄内小学校(現:西条市立庄内小学校)の児童77人はこの日から一泊二日の修学旅行で、これから本州の玉野市の宇野港へ渡ろうとしていた。

これから帰ろうとしている学校もある。

島根県松江市立川津小学校の児童58人は二泊三日の琴平行の修学旅行の最終日、生徒たちは家族に買ったお土産と一生残る思い出とともに本州へ向かおうとしていた。

広島県木江町立南小学校(現:大崎上島町立木江小学校)の97名の児童も同様に高松見学を終えての帰路。

中学生もいる。

関西方面の見学に向かう高知県南海中学校の生徒たちで117人の生徒が引率の教員らとともに乗船していた。


この日、瀬戸内海沿岸の海上では、例年どおり季節柄濃霧警報が発表され、場合によっては視界50メートル 以下の見込みとされていたが、紫雲丸船長・中村正雄はブリッジ前方から視界を確認した時点で400メートルから500メートル先の漁船が目視できたため、出航を決定。


午前6時40分、紫雲丸は乗客781人乗員60人を乗せて宇高連絡船上り8便として高松港を出航した。


いよいよ出航とはしゃぎまわる少年少女たち。

桟橋では出発の銅鑼が鳴り、これから行く修学旅行生たちも帰る修学旅行背たちも桟橋で見送る宿の人達や父兄たちとテープを引き合う。

船上ではその紙テープの紙辺で子供たちが遊んでいた。


紫雲丸は高松港を大きく旋回し、港外に出る。

数十羽のカモメが船を追ってくる。


紫雲丸のような大きな船に乗るのはどの学校の生徒もほとんどははじめてのはずだ。

高松港出航後、これから旅行が始まる庄内小学校少年たちは甲板に出ずっぱりで海を眺めたり、船を追うカモメを見たり甲板を走り回っている。

女子生徒も甲板に出ていたが、ほとんどの者が客室に戻ったようだ。

甲板が少し肌寒かったらしい。

また売店に外国人が2人いて外国語をしゃべっていたのを見て「外人がいて英語をしゃべっている」との噂が女子生徒の間に伝わって、見に行ったりもした。


一方、修学旅行から帰るの学校先生たちはホッとしていた。


「これでやっと帰れるねえ」などと同校校長の井戸原文重(54歳)は引率の教諭新川宏子(30歳)らと話しているし、その反対側では木江町立南小学校の教諭井上信行(30歳)が生徒の見回りをしながら、「脇田先生、やっと終わりましたね」と同教諭の脇田きん子(25歳)に話しかけている。

若い脇田は女子児童に慕われていたらしく、周りを囲まれていた。


この頃、海の霧はより濃くなって視界は100メートルほどになる。

それは宵闇のように暗く、遠くの風景が見えないくらいであった。

断続的に霧笛が鳴らされるようになったのもこの頃だ。


乗客たちは知らなかったが、紫雲丸の船長以下乗員は視界の悪い中でマリンレーダー観測で安全を確保するのに悪戦苦闘していた。


だが、出航からわずか16分後、惨劇が始まる。

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