1955年・紫雲丸事故~瀬戸内海に飲み込まれた100名の幼き命~

44年の童貞地獄

第1話 瀬戸内銀座

岡山県玉野市の宇野港、香川県高松市の高松港と小豆島に囲まれた海面一

帯は1955年(昭和30年)当時、「瀬戸内銀座」と呼ばれていた。

船の往来が激しく、銀座のようにごったがえしていたからだ。

まだ瀬戸大橋がSFの世界だった時代の話である。


航路が網の目のように張られており、定期の客船や貨物船が一日何隻も複数回往復し、さらには戦争中に設置された障害物が除去されたことで外国船も通るようになっていた。

他にも無数の漁船が操業し、そこに拍車をかけたのがこの時代に始まっていた瀬戸内への修学旅行ラッシュである。

修学旅行生たちの目的地は「瀬戸内銀座」を形成する一角の小豆島。

前年の1954年(昭和29年)に公開された映画『二十四の瞳』のロケ地となったために一般観光客ばかりか中国、四国、関西の小中学校、遠いところでは東海や関東甲信越の高校から修学旅行生たちが押し寄せるようになっていた。


彼らを乗せた船が加わったことで「瀬戸内銀座」は事故が多発する船舶乗組員にとっての魔の水域と化す。

当時の高松海上保安部の海難報告書によると前年の1954年に同水域で起きた事故はなんと128件。

うち座礁が45件で衝突が22件であった。

この海面一帯では3月から6月にかけて濃霧が発生し、ひどい場合にはその視界が10メートルにまでなることもあり、その時期に事故が集中していたようだ。


そしてそんな濃霧が発生しやすい時期の真っただ中だった1955年5月11日、あまりにも悲惨な大事故が起こった。




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