あなたが欲しい

 「カツマが来たわ!!ジーンも一緒よ!」

「なんちゅうオンボロのT型フォードに乗ってるんだ!歩いたほうが早いんじゃないか?」

「ジーン、結婚式はもう挙げたのかい?」

「ええ!!」


 七月の花嫁、ウィルソン・カレッジの卒業生、ジーン・クラークに女性たちが口々に尋ねる。

「日本で英語が話せる人は少ないんでしょう?カツマは大丈夫だけど。周りの人に言葉が通じなかったら不安じゃない?」

「私が日本語覚えればいいだけよ!」

「カツマって良いとこのお坊ちゃんなんでしょ?彼の家族に受け容れられなかったらどうするの?」

「彼が説得してくれた筈よ、そのために博士論文書きながら2年待ったんですもの!日本でもここみたいな実験所の近くに住める予定なの。世界のどこでも海は海よ!」

ジーンは青い目を輝かせて元気に答える。その笑顔から、彼女にとって不安より新しい生活に対する希望と好奇心がまさっていることが手に取るように分かった。


 一方、花婿は花婿で男性陣から質問攻めに遭っていた。

「カツマも思い切ったな!お前がアメリカに住むんじゃなくて、ジーンを日本へ連れていくのか!」

「迷いましたよ、色々と。僕の家族は国際結婚に目を剥いていましたし。『認めてくれないなら二人で南米に移住する』って脅してどうにか了承してもらいました」

カツマは苦笑する。

「まあ、一番の後押しはジーン自身ですね。『日本へ行ったら、ここにいる人たちのできないことをやれるかもしれない』と言うので、『日本とアメリカが戦争になったら?』と尋ねると『牢屋へ行けばいいんでしょう?』とあっさりと。さすがに牢屋には行かせないよう、何としても守るつもりですが」

「ジーンは最初から、日本人の僕に分け隔てなく接してくれました。明るく朗らかに、ひまわりのように。僕は女性に縋られ、甘えられるのは好きじゃなくて。彼女は何よりタフです。そこがいいんです」

「おお、一風変わった女性の趣味だな。いや、ジーンは美人で人柄も申し分ないけどさ。お前にとって一番の魅力はタフさか!」


 ウッズホールに軽やかなピアノの調べが流れる。余興とは思えない流麗な演奏だった。弾いているのは誰だろうか。

「あの曲は?」

「エリック・サティの“Je te veux”ですね。素晴らしい腕前だ!二人の門出の祝いにぴったりじゃないですか!」

「そうだな。ジュ・トゥ・ブーあなたがほしいか……。母国を離れ、異国で新しい人生に身を投ずる。ジーンの勇気と決断にさいわいあれ」

「ブリッジス博士?」

「何でもない」


 ヴィクターは夏の間借りている近くの別荘に夜遅く戻った。家人は寝静まっている。

タイを外し、襟元を緩め、深いため息をつく。ブランデーを少量グラスに注いで、テラスの椅子に腰を下ろし、星空を見上げる。

「私は愚かなだけでなく、臆病者だったんだな。日本へ行くことなど考えもしなかった。世界のどこでも海は海、か……」

「ジーンのような度量は持たなかった。慣れ親しんだ全てを捨て、故郷を離れ、君を追い求める勇気は。ウメ、そしてジーン。君たちは不意に私の限界を教えてくれる」

ヴィクターは馥郁と香る酒をゆっくり飲み下し、波の音に耳を澄ませ、夜風に囁く。


 「君はもう世に居ない、それは分かってる。最後に会ったのは四十年以上前で、私も老いたというのに。折にふれ思い浮かぶのはどうしてなのだろう。Je te veuxか……」

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