ウッズホールで花に出会う

楢原由紀子

プロローグ:若木は海を渡る

 「風が強くなってきた。そろそろ船室に戻るか」

「はい、若殿様」

「その呼び方、上陸までに変えてくれぬか。廿にじゅう年下のお前が私に『若』と言う理由を異国で説明できるとは思えん」

船の甲板で二人の男が言葉を交わす。二人とも黒髪黒目の東洋人だが、洋装に断髪という出で立ちだった。

「若殿様」と呼ばれた方は通った鼻筋の三十路の男性。もう一方ははるかに若く、十四、五歳ほどか、年に似合わぬ落ち着いた眼差しが印象的な少年だった。


 年長の男は反対側の甲板に視線を向ける。

三人の少女がそこにいた。風に翻弄される和服の袖や裾を押さえながら、賑やかに喋っている。

「ああしてみると振袖は蝶の羽か鳥の翼のようだな。今にも空へ飛んでいきそうだ。だが、政府は果たして……」

「いかがなさいました?お顔を曇らせて……」

「黒田卿や岩倉卿は彼女たちの将来の処遇について、ちゃんと考えておられるのだろうか。お前もそうだが、男たちはいずれ政府や学校に職を得、新しい国に尽くすことを求められるだろう。だが、彼女たちにも同様の途を用意する算段はついているのだろうか?」

「話したこともあるが、あの女子おなごたちはとても聡い。あの若さで自分の置かれた状況や義務を理解しようと懸命だ。それだけに心配でならん。お偉方の思いつきだけ、後先考えずの留学では、宝の持ち腐れとなり、後々成長した彼女たちが苦労するのは目に見えている」

眉を寄せ、深いため息をつく。


 「若殿様は心配症ですね」

「そうだな。だか、我が子のような年齢の少女たちが親元を離れ、言葉も違う異国で暮らすのだ。心配してもばちは当たらないだろう?」

男は少年の肩に優しく手を置く。


 彼らの名は黒田長知くろだながとも団琢磨だんたくま。十二代福岡藩藩主と藩費海外留学生。

1872年1月。岩倉使節団が乗った船はその月の内にサンフランシスコに到着した。



 ウッズホール。

それは渚の唄。風の調べ。生命の声。


 合衆国マサチューセッツ州ケープコッド、巡礼父祖(ピルグリム・ファーザーズ)の地。

1888年、ウッズホール臨海生物学実験所がその場所で産声を上げた。

生命について人はまだ何も知らない。

海と生命に魅せられた者たちが世界中から集い、学び、闘い、憩う。

世界に扉を開き、また衝突も始めた東洋の島国、日本も例外ではない。


 ーー多かれ少かれ、持って生れた天分を伸して見たい。女なるが故に学問をしてはならずというはずはあるまいーー

母より枕元の花から名を与えられた少女は成長し、女子教育の夢を胸に再び海を渡った。

出会うであろう年下の師、自分に寄せられる秘めた想いについてなど、夢想だにせず。




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