第34話
『ばら色の人生』はいつの間にか、長期連載中の人気マンガや、しのはら黎を差し置いて、上位に載るようになった。
SNSでも発売のたびに話題になっている。
しかし、毛受には昼田ユキとの関係がきしむ音が聞こえてくるようだった。その音は、どんどん大きくなっていく。
初夏の、ある日。
事務所に出勤して、いつものようにネームを読ませてもらっていた。
しかし、その内容に毛受は違和感を覚えたのだ。
このキャラは、こんなふうにしゃべったりしないのではないか。
ストーリーの転がし方も、以前話し合ったのとは、別の方向に行っているようだ。
「違うな」
ぽつりと言うと、彼女はちょっと不機嫌な表情をした。しかし毛受は続けた。
「メイは、こんなこと言わないんじゃないか」
「……作者のわたしが、描いてるんだから」
「……」
「没にしよう。描き替えようよ」
彼女は首を振った。
「馬鹿なこと言わないで」
顔を上げて毛受をにらみつける。その顔は、ぞっとするほど青白く、老けて見えた。
「いい加減、疲れが、たまってるんじゃないか」
「……」
「休んだ方がいいかもしれない」
毛受は語りかける。
「編集に頼めば一週くらい、休載させてくれるんじゃないかな。描きためもあるし、一息ついてる間に態勢を建て直そうよ。このままじゃ、どんどんうまくいかなくなってくる」
不愉快そうな表情をする。
「……そんなこと、出来るわけないでしょ」
「……」
「わがまま言ってたら、切られちゃう」
連載開始以来、休載期間もなしに、『ばら色の人生』はぶっ続けで載り続けている。最初聞いていた話と違っているが、現実はそう甘くはなかった、ということか。
次から、打ち合わせには呼ばれなかった。原稿も見る機会はなかった
二週間後、掲載誌を読んで、愕然とした。
自分がダメ出しをしたネームのまま描かれた作品が載っているではないか。
「……!」
以前、窪寺さんにやられた仕打ちを思い出した。
彼女の冷ややかな仕打ちは、その後も続いた。
作品の内容に限らず、あらゆることを毛受に相談せずに、黙って話を進めてしまっていた。
ネットに読み切りマンガを載せるとかで、その原作を書いてくれと頼まれたのだが、いくら書き上げて彼女の机の上に置いても、ろくに読まれてもいないようだ。
そもそも、毎日連載原稿をあげるだけで精一杯で、そちらの作業は、まったく取りかかってもいないようなのだ……。
もはや毛受は、完全に針のむしろの上で過ごしているようなものだった。これでは、以前の会社にいたときと同じだ。
単行本が出ることになって、その加筆作業が加わった。作画作業はさらに忙しくなり、毛受は完全に浮いていた。
「最近のきみ、どうかしてないか」
次に行ったとき、思い切って、面と向かって文句を言ってみた。
「最近ちょっと雰囲気が違ってるし、絵も荒れてるみたいだ。こんなの、昼田ユキの作品じゃないよ」
「……昼田ユキはわたしよ。わたししかいないのよ」
「そうじゃない。ぼくはどうなる」
「なんですって」
「ここまでふたりでやってきただろ。それなのに、これじゃ、おれがいる意味がないじゃないか」
「じゃ、やめたら」
「……」
毛受には、彼女から放たれた言葉が信じられなかった。
信じられないまま、軽くいなして、その場限りと受け流そうとした。
「あっさり言ってくれるじゃないか」
「……もういい」
はっきりと言った。
「あなたは、もう必要がない」
「……!」
「いまのあなたはここにいる意味がない。そうよ、その通りだわ。ここにいたいのなら、いる意味を見せてよ。今すぐに! それが出来なければ、やめて」
「……なんだって」
毛受にとっては、耳を疑う発言だった。
「あなたはマンガを描いてるわけじゃない。あなたの書いてる原作なんて、ぜんぜん使えない。結局いちからわたしがネームを切っているようなもの。それでアイデアに口出しして、ネームに目を通すだけ。上っ面だけ関わって、共同制作者みたいな顔をしている。ろくに絵も描けないのに」
「ずっとそれでやってきたじゃないか」
「もういいわ。毛受さんの手伝いがなくても、やっていけるから」
「おい……」
たしかに、そうかもしれなかった。
マンガというのはアイデアを出し、ストーリーを作り、コマを割ってネームを切り、絵を描いて仕上げる。
そのうち、毛受はアイデアやストーリーというパートだけを担当していた。
アイデア、ストーリーの練り込みはプロでもアマチュアでも、やることは変わらない。
しかし、ネームを切って実際に描き上げるのは彼女だ。絵だけではなく、コマの割り方や構成力、見せ方でも技量は相当に上がってきた、ということか。
しかし――
毛受の胸には、むらむらと不快感が湧き上がってきた。
ここまで言われて、やられっぱなしではいられない。
「じゃあ、カネを返せよ」
「……」
「この職場の敷金礼金、仕事部屋の什器や備品、それにきみに渡したカネ、合わせて二百万円以上になるはずだ。ここを追い出されたら、おれは無職になるからな。退職金はもらわないと」
「……わかった」
みゆきは無表情に答える。
「お金はちゃんとする。だからもう、これっきりだよ」
「……」
言い放った後、毛受には後悔の念が襲ってくる。
ついに、言ってしまった。
いままで貸したカネのことは気にしていなかった。彼女だけじゃなく、自分の夢も叶えるためだったから。
しかしもう、それはただの「借金」になってしまった。
ずっと、カネについては情報を共有するようにしていた。
カネの出入りをガラス張りにすることで、彼女にあらぬ疑いを持たれたりするのを避けるためだった。
いっそのこと、全部自分でやれば良かったのかもしれない。カネのことは自分がすべて引き受けて、彼女は関知しないようにする。そうすれば、みゆきは自分をずっと頼りにするはずだ。
彼女をつなぎ止めておくためなら、いいひとぶる必要なんてなかったはず。
しかし。
それでは、自分と彼女は、カネの関係になってしまう。カネで彼女をつなぎ止めて、それで良かったのか?
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