第33話

 それでも、週初めに行われるネームの検討会には参加は続いていたが、そこでも会話が以前ほど弾まなくなっていった。

 空いた時間に考えた話を持ってきても、

「それ、面白い?」

 ろくに検討されずつまらなそうに却下されることが続き、意見が取り入れられることが少なくなっていった。

 編集者も自分をスルーしているようだ。そして、変更を希望する箇所は、彼女の機嫌を損ねないようにやんわりと指摘する。

 そして。

「昼田先生のことは、わたしたちがやります」

 彼女のもとに来る取材なども編集部が捌くようになった。

 ますます自分の居場所がなくなってしまう。


 それからも仕事場に出勤してはいたが、やることと言ったら、使えそうなネタをPCに書き留めることと、要求があったときのネットでの調べ物。あとは、無聊を託つしかない。

(前の職場と同じだな)

 ふと、そう思った。

 春になった。毛受以外の皆は、桜を見る間もなく、原稿描きに忙殺された。

 この年は、元号が変わるときの十連休があって、週刊誌の締切もいっそう早くなった

 しかしもうこの頃には、毛受と昼田ユキとの不協和音は、決定的なものになっていた。


 作画が佳境に入ってくると、ほとんど毎週のように、スタッフは徹夜作業になる。スケジュールはいつも後ろ倒しになり、ほんらいならネーム検討にあてていた日も、作画作業が続く。

さすがに年齢を考えると、心配になってくる。

「ずっと、満足に寝てないんじゃないか」

 声をかけると、血走った眼でじろり、とにらまれる。

 台所には、エナジードリンクの空き缶がいくつも転がっている。

「あんまり根を詰めると、身体に悪いよ」

 毛受がそう言うと、彼女は眉根にしわを寄せて言い返してきた。

「身体に悪いといっても、締切は来るもの。原稿をあげなくちゃ」

 続いて、彼女はこんなことを口にした。

「明日死なないって保障はあるの?」

「え……?」

「もう若くはないのよ。もたもたしている暇なんてないの!」

 鬼気迫るようだった。

 ずっと『ばら色の人生』の原稿を描き、ほんらい休日に充てる日だった締切翌日は、増刊に載せる読み切りや同人誌の原稿を描いた。

 戦場のような毎日が続いていた。

 仕事中は、ざんばらの髪をヘアゴムで雑にまとめていたが、白髪が目立っている。疲労で増えたのか、それとも、今までは染めていたのか。

あまつさえ、加齢による体調の変化を感じ始めてもおかしくない年頃だろう。

 

 ここまで頑張れるか。それは、彼女に寄せられた期待をひしひしと感じられているからに違いない。

 編集部だけではなかった。

 ネットなどでは、昼田ユキは「ロスジェネ再挑戦の希望の星」とみられているようなのだ。

 受験競争がいちばん熾烈だった世代。

 社会へ出る前にバブルがはじけ、就職氷河期に突入した世代。

 この国の経済が停滞を続けた「失われた三十年」と丸かぶりしている世代。

 ずっと椅子取りゲームが続き、椅子にありつけない世代。

「非正規」のまま、何年勤めてもろくに給料も上がらず一生を終えなければならない世代。

結婚も出来ず家も車も買えず、「大人」になった実感が持てない世代。

 そんな鬱屈に満ちた世代に、「夢」を与える存在。

 少年マンガの読まれ方としては異例だが、読者層が拡がる中で、そんな読み方もされているようなのだ。

 読まれようによっては重い題材を扱いながら、しかし、彼女の絵は飄々としているのだ。

しかし読者は、飄々とした絵の裏にある、「何か」に感応しているらしい。

いうまでもないが、少年マンガが「少年」だけを相手にしていた時代は、とっくに終わっている。



 連載開始して三ヶ月後。

 彼女のインタビュー記事がマンガ、アニメ系のニュースサイトに載った。

 こんなことを言っていたのだ。

「いまを生きるわたしたちは、大人になった自覚を持て、と言われても難しい時代です」

「ずっと非正規なら何年勤めても給料も、会社の地位も上がらない

結婚もできないし子供もいない。ライフイベントがないんです。給料が上がる見通しがないから、ローンを組んで家や車を買うわけにも行かない。それに、ローンは今の方がしんどい。インフレしていくなら利息は物価上昇の分、相殺されていく。給料も上がる。でも、デフレがずっと続いている今は、借金がそのままのしかかっていく」

「おいおい」

それを読んだとき、毛受は苦笑した。

 いつか、自分が言ったことの、まるっきり受け売りじゃないか。

 しかし、苦笑しただけで、受け流すべきことなのだろうか……。


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