第26話
次の日も路面電車を乗り回り、持参したデジタル一眼レフで街角の写真を撮った。
城下町だけでなく、終点の港まで足を伸ばす。
マンガの背景に使う以上、観光地や「絵になる」風景だけではない。街角や住宅街など、なにげない風景の写真が必要になるのだ。
夕方、彼女と富山駅近くにある海鮮居酒屋で落ち合った。
「怒られたわ」
開口一番、みゆきはいった。
「離婚してどうするの、って」
「そりゃあな」
「大人のすることじゃない、っていわれた」
「そうだなあ」
毛受はビールをひとくち飲んだ。
「でもさ」
毛受はいった。
「もう、大人になる意味って、ないんだよな」
「どういうこと?」
「おれたちの世代は、バブルが崩壊してから社会に放り出された。いい年になっても正社員になれない、給料も上がらないなら、結婚も出来ないし、子供だって作れないじゃないか。相方に貧乏暮らしを強制するわけにもいかないしね。何年勤めても給料が上がらず身分が不安定なら、ローン組んで家やクルマを買うことも出来ない。ライフイベントがないんだよ」
「ライフイベント?」
「人生における節目のできごと。子供が大きくなったり、進学したり、就職したり、あるいは会社で出世したり、みたいなやつ。結婚してれば相方の方であるかも知れないが、独身だと何にもない」
「ああ、ローンは今の方がしんどい。ものの値段や賃金が上昇してインフレしていくなら、お金の価値は目減りしていく。利息もその分、相殺されていくんだ。長年勤めれば年功序列で給料も上がっていく。でも、デフレがずっと続いている今は、借金がそのままのしかかっていく。給料も上がらない。こんな状況で、ローンを払っていくのは大変だ」
「老後の年金だって、そもそも、満足にくれるかどうか、怪しいもんだよね」
みゆきは腕を組んでいる。
「それで、どうして大人になる必要がある? 世の中はおれたちに我慢や献身は要求するが、それに見合った報酬は受け取った気がしない、金も地位も。なのに隙あらば、奪おうとしている。じきによくなるから、それまですこし待っていろとは言われるが、なにもよくならない。いっこうに自分の番は来ない」
海苔巻きをつまんだ。
「大人になれなくて……大人になれないまま、気がつけば、年寄り。未来の可能性を少しずつすり減らして」
缶ピールを呷る。
「おれたちは、大人にならずに老人になる、多分、最初の世代だ」
どこかで聞いたような台詞が頭をよぎったので、口に出した。
「……」
「『失われた世代(ロストジェネレーション)』。失われたのは、大人になることだった」
「それって、ネオテニーみたいなもの?」
「いや、ネオテニー――幼型成熟ってのは生物学的に言えば、大人の姿にならずに中身は成熟して子供を作ったりできることで、たとえばウーパールーパーとか
そうじゃないんだ。ずっと子供のまま大人の体裁も整えられず、子供も作ることなく、イモムシのまま年老いていくようなものだ」
「じゃあ、わたしたちはどうすればいい?」
「社会が自分たちに徹底的に無責任なら、じゃあ、好きにやるだけ、だよね」
みゆきはだまって頷いた。そして、彼女は鞄からなにかを取り出した。
「これ」
古びたノートの束だった。
「実家から持ち出してきたの」
「見ていいの」
「どうぞ」
ペラペラとめくってみる。
「昔の絵か」
「こういうのって、いまは黒歴史っていうらしいわね」
「なかなか、おもしろいじゃないか」
「お世辞はいいわ」
「いやいや、ほんとだよ」
あるページに眼が止まる。
「これ、オンサイドに載ってたやつじゃないかな」
「そうよ」
「その下書きか……」
十一時過ぎに店を出て、毛受はホテルに帰った。
すぐには寝ずに、今日の見聞やみゆきに見せられたノートを思い出して、創作メモを作っていた。
次の日。
空は灰色から青に変わっていた。
街の背後には、日本アルプスの山々がはるか遠くに見えている。
東京に帰る新幹線に乗るとき、駅の売店で名物の駅弁「ますのすし」を買った。
パッケージを開けると、丸い木製の桶のような容器で、割った青竹で上下を挟み蓋を抑えてある。
開けると、笹の葉に包まれた寿司が入っていた。
「こう切るのよ」
備え付けのプラ製ナイフで、笹の葉ごとざくざくとピザのように放射状に切れこみを入れる。
六分の一の切れ端を手に取って、笹の葉を剥がす。口に入れると、笹の葉のかすかな芳香が残っている。
「うん、おいしい」
「きれいだけど、量が少ないみたい」
「それ、見た目よりお腹にたまるわよ、押し寿司だから」
食べてみると、たしかにまだ残っているのに、腹一杯になってしまった。
「君も食べていいよ」
「今食べたらお夕飯、食べられなくなっちゃう」
「ここで食べりゃいいじゃないか」
缶ビールを飲んでいたみゆきは。一切れをつまんだ。
みゆきは道中の大半、窓の外には見向きもせず、俯いたまま、ノートに何か書き留めている。
「熱心だな」
家に帰って。
富山の印象が脳裏に焼き付いているうちに、メモをまとめてコンテを作った。
キャラクターを何人か設定し、箇条書きでイメージをまとめてみた。
それをもとに、原作のプロットを練る。
数日後。
「こんなのはどう? 連載候補」
ダブルクリップで束ねられた、プリントアウトの束を見せた。
一ページ目に書かれたタイトルは
『ばら色の人生』
「なんか、ベタなタイトルね」
「いいんじゃないかな。かえって新鮮でしょ」
「で、どんな話なの?」
富山を舞台にした大学生の話のようだ。
「オンサイド」時代にも、得意としていたジャンルだ。
主人公は男子大学生。高校時代まで女性に縁がなかった彼に大学に入って、ユミという友達の女の子が出来たが、じつは彼女は宇宙人だった……。
しかし、主人公が下宿に遊びに行くと、なぜか機械がたくさん並んでる。宇宙船の内部なのだ。
そして、ユミそっくりの少女がそこにいた。彼女はユイと名乗った。
それから、彼の周りでは不思議なことが次々に起こる……。
「SF風味のラブコメディか。いいんじゃないの」
「いい感じかも」
「なんかこう……キャラクターが好きになれそうなのね」
「でも少年誌は、友情、努力、勝利! みたいなんじゃないと受けないんじゃない
「そうかも……」
「まあ、いいじゃないか」
「もう少し、練ってみたい」
「じゃあ、こんな感じでどうだろう」
深夜までプリントアウトを挟んだ話し合いは続いた。
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