第25話 富山
家庭との話し合いは進んで、長沼みゆきはどうやら円満に離婚することが出来るようだ。
ワンルームにも家財が持ち込まれ、ようやく家としての落ち着きが出たようだった。
そんなある日。
彼女は切り出した。
「何日か田舎に、帰ろうと思うの」
「そりゃ、どうして?」
「老人介護施設に入ってる母が、昨年、死んだ。父は一〇年前に死んだから、住んでるひとはもういない。家財の片付けも済ませて、取り壊すことになってる」
それから、親戚が集まるので、離婚した事情も話さなくちゃいけないし」
それを聞いて、毛受はいった。
「おれもいいかな。見てみたいんだ。きみの作品を生んだ原風景が」
「いいわよ。泊めてはあげられないけどね」
「それはもちろん承知」
次の週にふたりは、東京駅から金沢行きの北陸新幹線に乗っていた。
二人がけの席に並んで座り、毛受は通路側、みゆきは窓側に座る。
上野駅を過ぎて、地上に出た辺りで、みゆきは毛受に話しかけてきた。
「毛受さんは、どちらの出身?」
「おれには田舎はないよ。生まれも育ちも東京だ。両親もそうだよ」
ときおり言葉を交わす以外、彼女は窓際で流れる車窓を見ていた。
「両親、か」
父親が死んでから、母親はひとり暮らしをしている。父とは年が離れていたので、まだ心配するような年齢ではない、はずだ。
たまに様子を見に行くことはあるが、とくになにを話すこともない。
そのとき、いくらか持たせてくれることがあって、それがどうにも負担なのだ。
まだ子供扱いをされているようで。
高崎を過ぎ、上越新幹線と別れると、山あいに入った。碓氷峠をトンネルで抜け、長野県に入ると風景が変わる。
浅間山が見え、雪景色が拡がった。一足先に冬が来ていた。長野県北部の山あいを過ぎ、車窓には日本海が広がる。鉛色の海に白波が立っている。
「母は家を担保に、銀行から融資を受けていたの。生きてるうちはそのまま住み続けられるけど、死んだら銀行が売り払って返済する。なんていったっけ」
「リバース・モーゲージ?」
「そう、それ。で、銀行の手に渡っていたの。そのままになっていたけど、売り手がついて更地にすることになった。家に置いてあるものでとっておきたいものがあったら、いまのうちに、持ち出してほしいって」
新幹線はちょうど二時間で富山駅のホームに滑り込んだ。
富山はもう肌寒かった。空は暗い灰色で、今にも雪が落ちてきそうだ。
駅前からは路面電車が発着している。
「三年前に新幹線が通って、ずいぶん変わった」
独り言のようにつぶやいた。
姉夫婦の家は在来線で数駅先と言うことだった。
翌日に彼女と会うことを決めて、駅前で彼女と別れた。予約しておいたホテルに荷物を預け、町をぶらついた。街中を縦横に路面電車が走り、主だったところにアクセス出来る
街路樹は葉を落として、冬支度をはじめていた。
さて、どうしようか。そう思ったときに、駅前の路面電車乗り場に、「大学前」と行き先を掲げた電車が滑り込んできた。そのとき、彼女が「オンサイド」に連載していたマンガの一コマが、脳裏をよぎった。
次の瞬間、発車間際の路面電車に飛び乗っていた。
富山の理系学生のキャンパス生活を綴ったものだと言うことを思い出したのだ。キャラクターが、乗っているかも知れない
なぜか、そんなことが頭をよぎったのだ。
県庁前を過ぎ、城址公園を過ぎて線路は二手に別れる。
つり革につかまって、じっと窓の外を眺める。車窓から見える富山の街は、ごく当たり前の地方都市だが、どことなく親しみと懐かしさを感じる。
路面電車は、神通川にかかった鉄橋を渡る。川の向こうに雪をかぶった北アルプスの山々が見える、
終点の「大学前」は、線路が途切れた終着駅だった。
左側には県営の野球場がある。路面電車の延長上の通りを少し歩いて、大学の正門前に出た。入ってみようか、と思ったが「学外者の無断立ち入りはご遠慮ください」とあったので立ち止まった。
大学なんて。だれが入ってもいいようなものじゃないか。
東京で育った毛受は訝ったが、これも時代というものだろう。
ふと目を上げると、構内に正門からまっすぐ大通りが伸び、その両脇にはポプラらしい樹が立ち並んでいる。葉をすっかり落として
その風景は、見覚えがあった。
昼田ユキのマンガによく描かれていたのだ。
しばらく、大学の周囲を歩いた。
彼女が「オンサイド」掲載のマンガの舞台にしたところだ。
確認したくて、ベンチに座ってタブレットを取り出し、「コミック×ライブラリー」にアクセスした。
昼田ユキを検索して、マンガを開く。
たしかに、この風景だ。
寒風が吹きさらしなのにも構わず、しばらく読みふけった。
マンガの登場人物が、談笑しながら目の前を歩いていそうだ。
毛受はいつしか、自分の、あまり面白くなかった大学生活を思い出していた。
鬱屈していたが、それなりの楽しみもあった浪人生活を終えて、新天地ではさぞやすごいオタクに出会えるだろうと思いきや、当てが外れた。
サークルにも入り損ね、「オンサイド」に投稿するのが唯一の楽しみだったあの頃、昼田ユキのマンガに描かれたキャンパスライフに惹かれた。
やりなおすことができるのなら、こんな街で学生時代を過ごすのも悪くないかも知れない、と思ったものだ。
そぞろ歩いて、思い浮かんだことを、メモに取っていった。
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