第18話 飛躍
十月の平日、昼下がり。
京浜東北線を快速が停車する秋葉原で降りた。直角に交差する黄色い帯の入った中央線各駅停車、中野、三鷹方面行きに乗ると、水道橋の次が飯田橋である。
JR中央総武線、東京メトロ東西線、有楽町線、南北線、そして都営大江戸線が交わる都心の一大ジャンクションである。
久しぶりに降りると、駅舎は建て替え工事をしている。見覚えのある駅舎はシートで覆われてしまった。
以前は大きなカーブがあり、時折橋を歩くと、落ちてしまいそうでひやりとしたプラットホームは、水道橋側に移動してまっすぐになっている。
待ち合わせ時間よりすこし早く着いたので、駅に隣接するビルの本屋にふらりと入った。
雑誌を立ち読みして、平台にあった文庫本の新刊を手に取って、買い求めようとレジに立ったところで、みゆきに声をかけられた。
「じゃあ、行こうか」
外堀沿いを市ヶ谷方向に歩き始めた。
道すがら、高層ビルを見上げて、見上げて、毛受は言った。
「この辺りもずいぶん変わったな。こんなビル、昔はなかったよ」
「知っているの?」
「大学がこの辺りだったよ。それと、近所に、バイトしていた出版社があったから」
輝星社の本社ビルは、飯田橋町の駅からすこし歩いたところ。外堀沿いの通りから奥に入って、富士見の坂にさしかかるところにある。
輝星社は日本を代表する出版社のひとつである。
創業は戦前に遡り、ライトノベル、純文学、文学全集、国語辞典、さらに学校の教科書まで発行する総合出版社であるが、この会社の屋台骨は、なんと言ってもマンガである
少年誌、青年誌、少女マンガ、レディスコミック、マニア向けに至るまで、アダルト系を除くすべてのジャンルのマンガ雑誌を出版している、と言っていい。
受付嬢に声を掛ける。
「わたし、昼田ユキというものですが、『週刊少年スター』編集部の稲垣様と面会する約束を取っているのですが」
「今お呼びいたしますので、あちらで少々お待ちいただけますか」
接客ブースに案内された。
ショールームには、輝星社が発刊しているマンガ雑誌が展示されていた。
「週刊少年スター」「月刊少年スター」「週刊ヤングスター」「きらぼし」「少女トゥインクル」「ギャラクシーコミックス」「月刊マーキュリー」……戦後この国に生まれ育って、どの雑誌も手に取ったことのないひとは少ないだろう。
しばらくして、まだ大学出て間もない感じの男性がやってきた。
「昼田ユキさんですね。わたしが稲垣です」
「はじめまして」
彼女は会釈をした。
みゆきに向けて、ぺこりと頭を下げる。
「あなたは?」
怪訝な目を向ける編集者の、切っ先を制して言った。
「マネージャーと言いますか、共同制作者です」
「そうなんですか」
目を合わさず、通り一遍の返事をした。
そして本題に入った。
「どんなマンガがお好きですか?」
彼女は数人のマンガ家の名前を挙げた、八十年代から九〇年代に人気だった少女マンガ家だ。
「ほう、マニアックですね」
なにか、「古いよ」といわれているような気もする。
「じゃあ、最近どんなマンガを読まれました?」
「うーん、――とか、ですか?」
「週刊少年スター」に連載されていたマンガだが、五年前に連載が終わっている。
「五年前は最近じゃないですね」
みゆきは苦笑する。
「やっぱり、現役読者じゃないと、感性が合わないのかもしれない」
稲垣は話題を変えた。
「じゃあ、どんなマンガが描いてみたいですか?」
「SF学園コメディ、とかですか」
「うーん」
すこし難色を示した
「SFSFしたものは難しいかもですね。やっぱり、読者を選ぶところがありますので」
「流行りじゃないんですか?」
「最近の流行りは、やっぱり異世界ものです」
「トラックにはねられて……みたいなものですか?」
「まあ、ベタですが……そんなところですね。ただ、原作付きも多いです。素人さんが小説投稿サイトにアップされたものをスカウトして、マンガを描いてもらい、アニメ化する。そんなシステムが確立しています」
「そうしろと?」
「いえ、こちらが考えることですよ」
「それに、学園ものを描いても、学校も昔とはずいぶん変わってるんですよね」
「いまの状況が分かってないと、外したものを描いてしまうかも知れませんね」
ずいぶんと話が弾んでいるようだ。
しかしその間、稲垣は、毛受を一瞥もしなかった。
「あのマンガが、うちに欲しいわけじゃないんですよね」
「えっ」
「と、いいますか」
稲垣は懸命に言葉を選んでいるようだった。
「なんというか……あなたのような感性が、『週刊少年スター』にもあっていいと思うんですよ。雑誌的にも、このへんでウイングを拡げていった方がいいという方針がありましてね」
「そうなんですか」
「うちは、週刊誌だけじゃないですから」
稲垣は言った、
「まず別冊やアプリに載せて、反応を見ます。好評なら本誌の方で連載を持ってもらう、というかたちになりますね」
「あと、フレッシュスターキラキラ賞」というのがありまして。このアプリに投稿するんです」
そういってスマートフォンの画面を見せた。
「ここに、ビューの数が見えますね」
「はい」
「ビューがいちばん多いものが、連載への道が開かれるのです」
そしてスマートフォンをしまって、いった。
「頑張ってください」
「手応えは、悪くはないけど……うーん、これでまた、待たされるのかな」
社屋を出て、みゆきは言った。
「時間がないのよ。若い子と違って」
「まあ、そうだけど」
毛受は苦笑した。
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