第12話

「雑誌が、売れなくなったからね。これはもう、壊滅的に。

 マンガ雑誌がいちばん売れたのは、恐らくきみたちが子供だった時代だ。毎週数百万部発行される少年誌や青年誌が何誌も存在した。

 九十年代、最も発行部数の多い週刊少年マンガ雑誌は、六百万部を超えていた。これ以上部数が出ていた定期刊行物は読売新聞と朝日新聞だけだった。全国紙の毎日や日経より売れてたんだよ。全く、とんでもない数字だよ。

 でもそれも、過去の栄光。

 週刊マンガ誌だって、十万部程度しか発行されていないものもある。大手から出てる月刊マンガ雑誌でも、ものによっては一万部を割っているんだよ」

「それで、採算が取れるのですか?」

「取れないよ、雑誌だけでは」

「そうなんですか」

「雑誌に連載をさせて定期的に原稿を取って、それがまとまったら単行本を出し、どんぶり勘定で収支を合わせている。小説雑誌がずいぶん前からその仕組みなんだ。その小説雑誌も、昔は単体で採算が取れていたそうだがね……結局、マンガも小説の後を追っているんだ。『権威』にはなりつつあるけど、その分プリミティブな力を失っている、というかね。

 無論、いまでもヒット作は出ている。活字の本なんて比べものにならないくらい売れている。売れているのはね。

 この業界も、格差社会になりつつあるんだ。

 ごくわずかのビッグタイトルは昔と変わらない部数が出てるけど、売れない作品、そこそこの作品との差が激しくなってきた。

 マンガ界は激しい生存競争が繰り広げられるレッド・オーシャンだ。その中で出版社にも、マンガ家をアシストできる体力がなくなりつつあるんだ。

 単行本も出たら出たで、宣伝は自分たちでSNSでやってくれと言わんがばかり。それで、紙の本の初動が悪かったら、連載も打ち切りさ。雑誌では新人の変なマンガとかを『先行投資』のつもりで載せる余裕もなくなった。版元がある程度リスクを負う新人賞より、同人誌やウェブからの一本釣りが主流になりつつある。

「じきに、コンビニや駅の売店では雑誌を取り扱わなくなるだろう。貴重なスペースを割いて並べるだけの採算が取れないんだよ。市場の規模が大幅に縮小してしまった。雑誌が売れなくなると、広告も入らなくなる。メディアとしての魅力がなくなるから。そうなると、出版流通そのものが縮小するんだ。今の流通システムは雑誌ありきで、ついでに本も配送している状況。となると文庫本や単行本も全国に行き渡らなくなる。地方どころか、都会にいても本の入手は、ネット書店頼みになってしまう」

「そういえば最近、街の本屋へ行くことがめっきり少なくなりました」

「だろう。読者が直に本にアクセスする手段も、少なくなる一方だ。街の本屋はどんどんなくなって、ネット書店の1強状態になってしまった。ネット書店は基本的に『指名買い』だからね。ちょっと立ち読みしたり、装幀が気に入って衝動買いする、なんてことはまずない。新古書店はもっときついよ。売れ残りしかおいてないといっても言いすぎじゃない。今や本やCDだけじゃやっていけないから、古着や家電の中古品も並べている状況。イケイケのときは本を売れなくする業界の敵と言われたけど、あっちの方が先にダメになったね。ひひっ」

 掛川は小声で笑った。

「でも、電子書籍が最近好調みたいですよね」

 みゆきがいう。

「電子書籍ね。たしかに、便利っちゃ、便利な代物だ。でもね、アレはね、大きな問題点があるんだよ。

今の体裁の電子書籍というのは、買ってるのはあくまで、配信されたデータを閲覧できる権利だ。配信元がサービスをやめたら、途端にそれはこの世から消え去るんだよ。紙に印刷された物体として残っていれば、流れ流れてどこかの古本屋の店先に並んで、そこで手に入る可能性はある。

でもね。ネットのサービスは、大元がそれをやめれば、そのコンテンツはこの世界から消えてなくなるんだ。二〇年前にはあれほどあった、個人が作成したホームページはどこへいった? ゼロ年代に作られたブログも、残っているのは少ないだろう。今や、イラストなんかはSNSにちょっと描けば満足する時代だ。

 でも会社がそのサービスをやめたら、まるっと無くなってしまう。

 今や、ネットが巨大なゴミため同然になった。

 キーワードで検索しても、上位に引っかかってくるのは、ろくでもないまとめサイトばかりだ。

 電子書籍もそうだよ。

 あそこで個人出版してるやつは、たいがい挫折した作家志望ばかり。新人賞にも引っかからず、投稿サイトでもビューが稼げず、スカウトされることもない」

 すこし、当てつけられてるような気がした。

「本質的な問題はね。

今の電子書籍は会社と紐付けられてしまっていることなんだ。

 そうなっている限り、結局「無期限の貸本」でしかない。大元がサービスを止めれば、消えていってしまうんだ。昔の単行本や雑誌は古本屋で手に入るのにね。そういったのにコンテンツを――まだなじめないな、この言い方は――預けられるのか?

 あとね、これは文字の本の話だけど、電子書籍を読み返してみると、ちょっと違和感を覚えることがあるんだよ。おれは気に入った文章がページのどこにあるかをだいたい覚えてるんだが、読み返してみるとその件があったと思ったどころにないんだ。ずれてるんだよ。こんなとこが気になるのは、おれが神経質なだけなのかね」

「そういえば、あります」

 氷はほとんど溶けていた。溜まった水をストローでずずっと吸った。

「それだけなら、自分の感覚で済むんだけどね、たまに思うんだよ。ひょっとしたら、こっそり文章が書き直されてるってことはないだろうか。この会社や、えらいさんにとってヤバい箇所が、いつのまにか改竄されてるなんてことは……」

「疑ったら、切りがないですよね」

 笑えない話になってしまったところで、掛川は口を開く。

「そろそろ、いい時間だね」

 立ち上がった。

「申し訳ないね。元気が出る話ができなくて、さ」

「いえ、とても参考になりました」

 一礼して、別れた。

 水道橋の駅まで戻り、ホームでふたり並んで電車が来るのを待っている。

「さて」

 毛受は伸びをした。

「現実がどうあれ、われわれは進まなくてはならない」

「そうね」

 長沼みゆきは入線してくる電車に視線を向けたまま、いった。

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