第10話 即売会

 五月の大型連休最後の日。「コミッティー」が開催される。

「コミッティー」はマンガ創作を中心にした同人誌即売会である。

 有明にある国際展示場、東京ビッグサイトのホールを使って開催されている。夏冬のコミケほど大規模ではないが、参加サークルのレベルの高さでは定評がある。さらに、各出版社のマンガ編集部が参加して持ち込みを受け付けているのも「売り」のひとつだ。

 開催日、大井町の駅で待ち合わせ、りんかい線に乗った。国際展示場の駅で降り、ビッグサイトまで歩く道すがら、昔話をした。

「コミケには、行ったことある?」

「ええ」

 長沼みゆきは歩きながら答えた。

「大学生の頃だった。地元じゃ考えられないすごい人出で、びっくりした。世の中にこんなにもオタクがいるのか、って」

「まだ偏見もあって、大っぴらに言えない時代だったしね」

 駅舎を出ても、人の流れは、会場まで途切れず続いていた。

 ビッグサイトの特徴的な建物の門をくぐる。その奥にある西館が会場だった。

 この日は、他の館でも同人誌即売会が開催されているようだった。

 会場へ入ると、オタクたちの熱気に包まれる。

「コミッティー」で売られているのは創作同人誌、アニメや小説の二次創作ではない、自分でキャラもストーリーも考えたマンガや小説だ。ほかには評論本や旅行記も出店されている。

「こんなにあるの。創作同人誌だけで」

「ああ、年々拡大してるな」

 会場の一角には、参加サークルが提出した見本の同人誌が読めるコーナーがある。みゆきはその一冊を手に取って、ぱらぱらとめくった。

「みんな上手いのね。印刷もいい。表紙はカラーだし……」


 会場の一角には、マンガ雑誌を出している出版社が出張原稿持ち込みコーナーを設けており、編集者にマンガの原稿や同人誌を読ませるとその場で意見がもらえるし、ものによっては「預からせていただきます」と掲載の検討に入ることもあるという。一社だけでなく、数社の編集部をはしごすることも出来る。

「少年マンガ、少女マンガ、青年向け、大人向け、オタク向け、萌え四コマ、アダルト、ボーイズラブ……どこに持ち込む?」

「あそこにしましょう」

 老舗の少女マンガ雑誌編集部のブースに行った。整理券用紙に記入して、順番を待つ。

 みゆきの番が来た。

 みゆきが編集者と話しているあいだ、毛受はいちばん後ろのパイプ椅子に座っていた。

(なんか、医者に子供の付き添いできた親みたいだ)

 そのあいだ、見本として置かれていた、ブースを出している出版社が出しているマンガ雑誌や単行本をぱらぱらめくって過ごしていた。

 しかし、頭に入ってくるわけもない。

やがて、みゆきが戻ってきた。

「どうだった」

「意外に、丁寧だった」

「あとでゆっくり聞くよ。次に行こう」


 みゆきを待っているあいだに、終了時間が近くなった。

 会場はしだいに参加者の数も減り、終了を待たずに撤収するブースが散見され、まるで食い散らかした鍋のようになった。

 閉会のすこし前に会場を後にして、朝来たルートを戻る。

 大井町の居酒屋で打ち上げをすることにして、個室を取った。

「今日はお疲れ様」

注文を取り終わると、みゆきはスマホを取り出した。

「説明を録音してる。その場でメモを取るより、こっちの方がいいと思ったの。むこうの許可はもらってる」

 「ちょっと聞かせてもらっても、いいかな」

「いいですよ」


 一社目。

 老舗の少女マンガ雑誌の編集者だ。

「よろしくお願いします」

 ぺらぺらと紙をめくる音がして、それから編集者の声が聞こえる。

「昔、本を出されていたのですか? ずいぶん、ブランクがありますね、最近のマンガ、読まれてますか?」

「一応……」

「マンガ業界は、流行り廃りが激しいですから、いまの読者の感覚をつかんだ方がいいです」

「はい」

「またよろしくお願いします」

 おざなりに挨拶して、終わった。


 二社目。

 もっぱらマニア向けのマンガを載せている雑誌の編集者。

「ちょっと感覚が古いかなあ。学生時代のネーム? 新しい方がいいですよ」

 ぺらぺらめくって最後まで目を通す。

「うーん、これくらい描けるひとは、今時いくらでもいますよ。主婦? お子さんはいらっしゃらない? うーん」

 沈黙。

「やっぱりマンガ家ってのは、いまの時代を実感的に分かってないと……年頃のお子さんがいらっしゃれば、お子さん経由で情報を仕入れることも出来るんですが」

「そうですか」

「また新しいのを描いたら、見せて下さいね」

 まあこれは、社交辞令だと思う。

 隣の出版社。こちらは、「萌え系」の四コママンガ雑誌が主力だ。

「うん、面白いですねえ。コマ割のセンス、台詞のテンポ、いいと思います」

 しきりに感心しつつ、最後にはこんな台詞で締めた。

「でも、うちの雑誌のカラーとは違いますね。もうしわけないですが、もう少し打ちに相応しいマンガを研究してきてください」

「はい」

「いまはいっぱいマンガ誌がありますし、こんな風に」

 並んでいた見本の雑誌を指さされた。その出版社は、何種類も雑誌を出していたのだ。

四社目。

「これで最後」

 ネットのマンガサイトの編集部。対応したのは若い女性の編集者だった。

「達者ですね」

 ふんふんと感心したように読み終わったが

「面白いですね。話の運びがスムーズだし、絵も描き慣れた感じがしてます」

「ありがとうございます」

「新人賞がありますので、投稿してみて下さい。期待しています」

 型どおりとは言え、嬉しくないと言えば、嘘になる。


「これでぜんぶ」

 みゆきはスマホに手を伸ばして、再生を止めた。

「これだけ回って、手応えなしか」

 毛受は腕を組む。

「昼田ユキも、名前だけでは通じないか」

「そりゃそうでしょ。二十五年前の話だしね」

「でも、まるっきり相手にされなかったわけじゃないだろ」

「向こうも、仕事だから、それなりにお愛想は使うでしょう……」

 みゆきはすこし、ダメージを受けている感じだ。眼を伏せて、言った。

「疲れちゃった、あたし」

「今日はゆっくり、休みなよ……」


 帰り道。

 みゆきは言った。

「わたし、いつも見ている夢があるんだ」

「どんな?」

「コミケに行きそびれる夢」

「そうなの?」

 彼女は頷いた。そして続けた。

「行こうとすると、よく分からない邪魔が入って、たどり着けない」

「何でかな」

むかしはわいわい騒げる仲間がいたけど、気がついたら、ひとりになってしまった。

「遠くで、わたしの知らないところでなにか楽しいことをやってるんだけど、自分は行けない。行こうとして、たどり着けない。そして目が覚める」

 以前読んだカフカの小説が、そんな内容だったはずだ。たしか『城』。

「今度は、行きそびれないことが出来るかな」

 みゆきはぽつりと言った。



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