第5話 展開

昼田ユキ。

 それは毛受にとって、「オンサイド」の投稿に熱中していた十代の終わりから二十代のはじめ頃、特別な響きを持つ名前だったのだ。

 あの頃、月に一度書店に行って、「オンサイド」を手に取るのが楽しみだった。そして、誌面を開くと真っ先に彼女の名前を探していた。毛受が投稿していた時期、昼田ユキは、人気のイラスト投稿者だったのだ。

イラストコーナーの常連のみならず、のちにマンガを掲載するようになった。独特の雰囲気のマンガは人気を博し、やがて誌面に載った作品はまとめられ、コミックスが発売された。

 毛受も独特な雰囲気のあるイラストや、マンガを読んで、彼女が繰り出す世界に惹かれていった。

 掲載されたマンガが単行本にまとまると、買い求め、読みふけった。

 しかし、ある日突然、彼女は誌面から消えてしまったのだ。それから彼女の行方は、毛受の知るところではなかった

 どうしていたのだろう――。

 そんなことが頭に浮かんだ。長沼みゆき――昼田ユキは続けた。

「ハシラでよく載ってましたよね」

 ハシラというのは印刷や編集業界の用語で、ページの周囲にある余白に印刷された文字のことを言う。普通のマンガ雑誌なら掲載マンガの惹句やお知らせが印刷されているのだが、「オンサイド」の場合は、そこも投書欄になっていて、一口ギャグや短文のネタを載せていた。毛受の投書は、もっぱらそこに載っていたのだ。

 そして毛受はずっと、あの雑誌に本名で投稿していた。

「なんて読むのかなあって、疑問に思っていたんです。失礼ですが、はじめはケウケさん、と読んでいました」

 あまりいない名字なので、これまでもあだ名ではなくずっと名字で呼ばれていた。投稿を始めてからも二、三回はペンネームを使っていたが、誌面で名前を見ても、なんだか自分ではないようで、しっくりこない。そこでペンネームをやめたら、立て続けに載るようになったのだ。

 しかし、毛受はずっと謎に思っていた。

 これほど才能のあるひとが、なぜプロにならなかったのか。

「同人誌も出されていなかったんですよね」

「ええ」

「どうしてですか?」と思わず訊きそうになったが、喉まで出かかったその問いを押し戻した。

 彼女だけではない。

 あのひとも、あのひとも。ひととき誌面を賑わせて、才能の片鱗のようなものを見せただけで、どこかに消えてしまった投稿者たち。

毛受は「オンサイド」の購読自体は、二〇〇〇年頃にやめていた。雑誌自体はその後も発行されていたが、その数年後に出版社の倒産で廃刊してしまった。

しかし、プロとして活動していなくても、コミケのパンフレットを見たり、イラスト投稿サイトを見れば、当時の「常連」を見つけることが出来る。

 しかし一切の「創作活動」から手を引いて、ほんとに市井のひとになってしまった投稿者も多いのだ。

 個人的に消息を知っているひともいるが、ほんとうに心に残っているのは、そうしたひとたちだった。

 そのひとりが、不意に現れた。

 よりによって――

 ふと、思いに耽ってしまった。

 それから三十分くらい話をしたが、どんな内容だったか、ほとんど記憶には残っていない。

 そして長沼みゆき――昼田ユキは話に区切りがつくと、席を立った。

「夕飯の買い物もありますので、このへんで。これからもよろしくお願いします」

「はい、お願いします。では」

 そういって、彼女は店を出た。


 家に帰って、本棚から昔の「オンサイド」を引っ張り出した。

 一九九三年の一二月号。特集は当時女子人気が高かった少年マンガで、読者の投稿はがきをセル画にしたもの。表紙まで投稿者のイラストを載せているのがこの雑誌の特色だ。

 パロディ投稿には、今読み返すと、元ネタそのものが忘れ去られた意味不明なネタも散見される。

 文通相手を募集する欄には投稿者の住所や本名が載っていて、隔世の感がある。

 真ん中の水色の紙のページに、昼田ユキのマンガが載っていた。八ページのショートコミック。大学生を主人公にしてちょっとした恋模様を描いた、なんと言うこともない筋のマンガだが、話の運びがうまく、心に残るものがあった。

 イラストのコーナーにも「富山県 昼田ユキ」というはがきが載っている。

「オンサイド」誌上で昼田ユキが活躍していたのは、およそ一九九〇年から九八年のあいだ。

 はじめはイラストが二,三ヶ月にいっぺん載る程度だったが、やがて毎月彼女の名前を見るようになり、マンガが初めて載ったのは一九九五年二月号。それから年に何作かの割合で誌面を飾り、それがまとまった単行本が出たのが九八年五月。

 しかし、それから彼女のマンガは紙面を飾らなくなり、投稿も載らなくなってしまったのだ。

 それは当時、奇妙にも思っていた。

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