第4話
そして、出社予定の水曜日がやってきた。
しかし毛受は不安だった。
「来るかな」
面接で採用を伝えて、諸々の準備をしてユニフォームの発注までして、当日になってすっぽかされる。それが彼女の前、三人も続いていたのだ。
三十分前。果たして、彼女はやってきた。毛受はほっと胸をなで下ろした。
ロッカー室で着替えてから、持ってきた採用手続きの書類に記入をお願いしていると、年長の女性が扉を開けた。
「わたし、窪寺です」
「こちら、今日からこちらに入る長沼さん」
「よろしくお願いします」
「あ、そう。よろしくね」
この窪寺さんが、くせ者だった。現場の最古参だが、いわゆる「お局様」だったのだ。
この現場にパートさんが定着しなかったのには、彼女にも原因があるのだ。
現場を仕切っているつもりではいるが、とにかく一緒に働くひとの顰蹙を買いまくっているのだ。きつく当たったり、嫌味を言ったり。大変な仕事を押しつけたり。
初日に衝突して、その場で帰ってしまったパートさんもいる。
「あのひととやるのは、嫌だ」
「できれば別のシフトに振って欲しい」
毛受はそんな愚痴の聞き役でもある。しかし窪寺さんが現場の柱である以上、ちょっと酷かも知れないが、うまくやってもらうよう期待するしかない。
毛受は長沼に作業内容を指示した。
「まず、ぼくは浴室と、床の掃き拭きを行いますので、長沼さんは窪寺さんと一緒におトイレとお部屋の清掃をお願いします。公共スペースのゴミ集めはぼくを入れてみんなでやります」
そして毛受は風呂場の清掃に入った。結構力が要るので、男の仕事だ。
自分の担当箇所を済ませて、ふたりと合流した。
「どうですか」
見た感じ、彼女はきびきびと動いて、真面目そうに見えた。
しかし、窪寺さんは不機嫌そうに言った。
「このひと、はじめてでしょ。なんだか危なっかしくて……まだちゃんと見てないと、ねえ」
長沼みゆきはやはり、若いだけあって、仕事の飲み込みが早く、手際もいい。それが面白くなかったようだ。
しばらくすると、案の定というか、窪寺さんがねちねちと絡んできたようだ。
自分の持ち場を済ませて控え室に帰ってくるなり、窪寺さんが詰問している様子が目に入った。
「あなた、仕事が遅いんじゃないの?」
どうやら、汚れが多いところを彼女にあてがったようだ。
「そんなこと、しません」
「あなたがここをやるって言ったんじゃないの」
「言ってませんよ」
「あら、嘘つくの?」
お互いの言い分は食い違っていて、いくら話しても切りがない。
「まあ、とりあえず今日のところは」
毛受は取りなしに入った。
「どうですか、疲れたでしょう。今日は家でゆっくり休んで下さい」
帰りしな、長沼みゆきに声をかけた。
「ありがとうございます」
お礼を返してきたが、そのとき毛受は、彼女がまじまじと自分を見つめてきた、ような気がした。
次のシフトの日。
心配したが、長沼みゆきはやってきた。毛受は少し安心した。
仕事に入る前に、彼女に耳打ちした。
「スマホをポケットにいれて、会話を録音できるようにしておきなさい」
そして仕事に入ったら、この日も、窪寺さんは長沼みゆきに絡んできたようだ。
終わったあと。控え室で文句を言ってきた。
「あなた、ここやってないでしょう。お客さんに文句言われちゃったわよ」
続いてみゆきが反論する声が入っている。
「あのー、そこは窪寺さんが、自分がやるって言ったところではないでしょうか?」
「なに、あなた、また嘘つくの?」
エプロンのポケットからスマホを取り出した。
「失礼ですが、録音させていただきました」
捜査すると、録音されていた音声が、流れ出した。
その会話の一部始終を聴き終わらないうちに、窪寺さんはいきり立った。
「酷い! 勝手に録音するなんて、汚い」
制するように毛受は言った。
「酷いのはどっちですか」
「……」
窪寺さんの矛先は、こちらに向かった。
「あんた、どっちの味方なの?」
「敵味方じゃなくて、ぼくはみなさんに、ちゃんと仕事してほしいだけなんです」
「なによ。してないって言うの?」
窪寺さんの口調はいよいよ不機嫌になった。
「……言わせて貰いますけど」
はっきり言うことにした。
「窪寺さん、ひとりで仕事してるんじゃないですよ」
「……」
「つまらない嫌がらせは、おやめになった方がよろしいかと思います。あなたのことは、他のパートさんからも色々聞き及んでおります。今回の件は自分の胸に納めておきますが、こんなことが続くようでしたら、上の方に報告させていただきますので」
窪寺さんはむっとしたままロッカー室に入っていった。
長沼みゆきが着替えて帰ろうとしたとき、毛受は声をかけた。
「これからお暇ですか? ちょっと話をしたいのですが」
フォローが必要だと思ったのだ。ようやく見つかったパートさんに辞められては、たまらない。
「少しなら、だいじょうぶですよ」
彼女はにっこり笑った。
池上通りを歩いて、大井町駅前のコーヒースタンドに入った。彼女に席を取ってもらい、カウンターでふたり分のコーヒーを注文した。
「今日は大変でしたね」
隅のテーブル席で対面に座り、まず頭を下げた。
「いろいろありますけど、窪寺さんには、ぼくの方から言っておきますので、これからも続けてください、お願いします」
「いいですよ」
彼女はにっこりした。一安心したところで、次に発せられた長沼みゆきからの言葉は、毛受を不意打ちした。
「あの、変なこと聞いていいですか?」
「なんでしょう」
「あなた、オンサイドに投稿してませんでした?」
「……!」
毛受の心臓が一回大きく収縮した。
「そ、そうですが」
毛受はへどもどしながら答えた。
「あそこでよくお見かけしていたお名前だと思って。お名刺を見たとき、ひょっとして、そうかな、と」
「……あなたも、お読みになっていたのですか」
うなずいて、にっこりと笑いながら、いった。
「わたし、昼田ユキです」
「ええっ!」
こんどは、毛受が驚く番だった。
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