三 死

 数日のうちに、日向大王は呆気なく死んだ。臨終の床に呼ばれた夕星は、大王の脇に膝をつくと強い力で腕を引かれた。震える吐息の向こうから、低い声が囁いた。


「許せ、夕星」


 間もなく息を引き取った大王の脇で、夕星は茫然と座り込んでいた。日向大王は自分の名を知っていたのに、依代に取らなかった。取ろうと思えばできたのに、そうしなかった。


 彼女は智鋪とながらえる道よりも、死を受け入れることを選んだのだ。


 あの時、朝霧の名を与えた真意を質していたら、話してくれただろうか――そうかもしれない。胸の裡を分かちあえる誰かを、待っていたのだから。


 どこからか連れられてきた口の利けない舎人とねりたちが、大王の骸をもがりに付した。遺骸が朽ちはじめるのを目にすることで、死者との別れを受け入れるための殯は、今回ただひとりのために設えられたようなものだった。


 高良彦は終始沈痛な面持ちだった。彼は大王が生きているあいだ、戦を率いるにも政を執りしきるにも、独りではなかった。だが、長年傍らで方策を示してくれた人を、とうとう喪った。


 生まれてこのかた早々に黄泉へ行くつもりでいた夕星には、百余年もともに過ごした者を奪われる痛みの想像がつかなかった。


 ある曇った日、姉の殯屋を何度目かに訪ねた彼は血走った目で吐き捨てた。


「なぜ姉上が去ってしまったのか、俺にはわからぬ」


 彼の双眸は、白い絹の衣に包まれた姉を食い入るように見つめていた。もう脈打つことのない心の臓を、責めるようにして。


 夕星は何も言わなかった。彼が大王に、依代を取ってでもながらえてほしかったことは知っていた。その高良彦が、射るような視線をこちらに向ける。


「其方を拾ったのも、伊都へやったのも、先を見据えてのことだと思っていた」


 大王の身体と違い、高良彦には血潮が通っている。しかし彼の目はあくまで冷たかった。大王の揺らがぬ瞳が、どこか温かかったのと対照的だ。


 大王は大王であり続けることに対し、最後の最後で抗った。対して高良彦が王弟であることを拒むのは、姉の死を否定することにおいてのみだった。


 高良彦と睨み合ったままでいると、その場にいた巫女長が突然口を開いた。


「日向大王は、すべて終わりにしようとお決めになっていました。貴方様がお気づきにならなかったとは思えませんが」


 超然と言い放った巫女長を、夕星は見つめた。立ち入ったことは何一つ口にしてこなかった彼女が、初めて考えらしい考えを表明したからだ。


 高良彦は苛立ちも露わに問い返した。


「どういう意味だ」

「大王の御力は、死が近づけば近づくほど鋭くなっていました。都の端に落ちた針の音ですら聞きつけるほどに。依代を取りたいなら、いつ如何様にもできたはず」


 恬淡と答える巫女長を、高良彦は怪訝そうに見つめるばかりだった。


「花が散るのを止めることはできないと、大王は仰っていました。散った花びらを集めて並べても、花に命は戻らない。終わりは必ず訪れ、決して覆らない」


 暫し黙っていた高良彦は、やっと言いかえした。


「智鋪国には日向大王が要る。当たり前のことではないか」

「そうかもしれません」


 あっさりと返した後に、巫女長は短く付けくわえた。


「ですが日向大王にも、誰もと同じように終わりが必要だったのです」


 白く曇った空のどこに太陽があるのか、その日はついぞわからなかった。


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