春一番駅

青空に映える桜色。

そよぐ風には心地よい強弱がある。

暖かいが、まだ少し肌寒い空気感がまさに春一番が吹く頃を思い出させる。


春色に彩られた可愛らしい駅は閑散としているものの自然に呑まれすぎず良い雰囲気だ。


「着いてきて」


まだ慣れない猫の声に連れられ、駅を出る。


「駅員さんは?」


「ここは無人駅。ほとんどの駅に駅員は居ないわ」


私が理解していない顔をしていると続けて言った。


「新入りが乗った駅は必ず駅員が居るし、列車から旅立つ客がいるから」


その続きは「安心して」なのか「気をつけて」なのか。

彼女は中途半端で意味深な答え方をする。


駅を出ると、彼女は振り返った。


「新入り、どこに行きたい?」


どこって…どこ?


「そう、考えてないならわたしのお気に入りを教えてあげるわ」


そう言ってやはり仕方ないというように彼女は軽やかな足取りで歩く。


気まぐれに吹く強風に花びらが舞う。

列になって散歩したり、散り散りになってひらひらとお喋りをしては輪を作って踊る。

緑は風と握手をし、撫でられて喜んでいる。


木で整えられただけの階段は土の温かみが残っている。

それを一段、また一段と上がっていく。

彼女は黙ったまま。

それでも相変わらず軽やかな足取りが気分の良さを感じさせる。


上がりきった景色は美しかった。


苦労した分の喜びを返してくれるかのような、報われたような清々しい春がそこにある。


「どう?綺麗でしょ」


少し自慢げな声色で彼女は芝生に丸まる。

私もその隣に腰を下ろして見渡した。

柔らかな風が吹き込むこの場所は、休むには強すぎる春一番を木々が砕いてくれる。

守られている安心感が包みこんでくれるのだ。


「ずっと怖くてね」


彼女はぽつり呟いた。


「昔、わたしはここで生まれてここで育った。その頃は人が居て賑わっていて花見をして」


私は相槌を風に任せて耳を傾ける。


「でも、わたしと暮らした人はここを離れて都会へ行ったの。わたしは捨てられていつしかこの駅に来るようになった」


悲しい声に懐かしさが混じる。

そうとも知らずにまた花びらは輪を作っては踊っていた。


「列車の客の一人が必ずわたしにご飯を置いていくようになった。何年も何年も…でも、やがてわたしは老いていく。だから着いていくことにしたの」


何も言えない私が申し訳なくなった。

やっぱり彼女は良い人だ。


「その人はどこに行ったの?」


そんな質問は野暮だなんてこと分かってる。

それでも知りたくてならなかった。


「さあね、新入りが乗る前にあの人は先に終点に着いたから」


終わりのない旅、しかし終わりを決めるのはいつだって自分だ。

だからきっとその人も旅の目的を果たしたんだろう。


しばらくの沈黙。

列車内での沈黙とは違い、心地よい時間。

気づけば温かい陽の光に見守られて眠ってしまっていた。


夜風が頬を撫でた。

目覚めると彼女が隣に居ない。

膝の上の温もりに見やると彼女がいつものように丸まっている。

言葉は不器用だが、彼女はやはり優しい人だ。


桜に手を振られながら私はまた階段を下る。

24時間経つまでまだ時間はある。

ゆっくりと1段ずつ丁寧に下りるのだ。


家があったであろう場所に木々が生い茂っているのかと思えばなんだか知らない場所なのに懐かしく思える。


日が昇る頃に少し早く乗車する。

腕の中の温もりはまだ幸せな夢の中。


「おはよう、春」


春一番は喜びの季節。

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