卯佐見蓮華は静かな暮らしを取り戻したい
前回までのあらすじ。
クラスメイトのチアリーディング部の女子に特殊な性的嗜好がバレた結果、その子とお付き合いすることになった。
でもその子を信用しきれないので始末する必要性があると判断した。
あらすじ終わり。
卯佐見蓮華は静かに暮らしたい。
それは嘘偽りのない、心の底からの願望だった。
だからこそ、平穏と相反するものとだけは戦わざるをえない。故に八雲絵梨は始末する……何を言っても信じてもらえないという、社会的な死で以て。
そういうわけなのでわたしは人生の師匠に相談することにした。持つべきものはこういう後ろ暗いことを相談できる人生の師匠だ。
『あー、つまり何? バラされたら社会的に詰むような秘密を握られて恋人ごっこに付き合わさせてくる相手を社会的に葬りたいと?』
「そういうことになりますね」
『レンくんは性格が悪いね』
「あおひげさんほどじゃあないですよ」
わたしが人生の師匠と仰ぐ人のことを『あおひげ』と呼んだが、それはもちろんハンドルネームであり本名ではない。本名は知らないが、無料通話アプリで軽口を叩き合える仲ではある。一応あおひげさんの素顔は知っているが、右眉の真ん中あたりから右まぶたにかけて走る縫合痕が痛々しく目立つ印象が強い女性だった。
『気に食わない』、ただそれだけの理由で一方的に暴力を振るわれて負ったその古傷こそが、この世の全て──というか男──を呪い憎み恨む起源だということも聞いている。わたしのサガが先天的に異常なものだとしたら、あおひげさんのそれは後天的なものだろう。
先天的でも後天的でも他人には理解されないサガを背負う者同士、意気投合してしまった、というわけで今に至る。
『ていうかレンくんの性的指向って何だったっけ』
「あおひげさん、その様子だとわたしの性別覚えてないですよね?」
『レンくんのボーイソプラノっぽい声聞いてると、女性声優が少年声出してるように錯覚するからよくわかんなくなるんだわ』
「わたし、女なんですけどね……」
『そういやそうだった』
「もしわたしがボーイソプラノ声の男だったら、男嫌いのあおひげさんとここまで仲良くなれてないでしょうに」
美しい顔の女が絶望でその表情を歪めるのを見るとたまらなく興奮する性的嗜好の女です、とは言えなかった。いわゆるレズビアンとはまた別の性的指向にカテゴライズされるのはわかるけど、自身の性的指向を特定するためだけに自分のサガをさらけ出すのははばかられる。例えそれが、どんな音楽が好みなのか互いに知っている本名不詳の相手でも。
『それで、レンくんは女の子と付き合うことに抵抗とかはないの?』
「あおひげさんが熱心に男のクソさを語ってたのを聞いて、男と付き合おうだなんて思いませんよ。でも……」
『でも?』
「自分が女の子と付き合うのっていまいちイメージできないんですよね」
『それ、性別問わず誰かと恋愛関係になること事態をイメージできてないだけじゃない?』
「……その通り、ですね」
『で、秘密を握られた相手ってのは女の子?」
「はい」
『じゃあそのまま付き合っちゃいなよ』
「はあ?」
『なんならリベンジポルノでも作ってバラまくとかさ』
「うわ……」
あおひげさんは同人作家であり、その外道としか言えない作風が界隈で有名だ。だからこそこんなことをあっさりと言える。
だがこのアイデアはダメだ。全く使えない。というかとりあえずくっつけてしまえ、というあおひげさんの意図さえ見え隠れしている。
他人事だと思ってるな、この人は。
『そもそも、その秘密ってこれまでバレたことなかったんでしょ?』
「ええ。ある日突然バレて……」
『それもうさ、口封じのためにその子一人始末したとしても、今後もまたバレるリスクにずっと追いかけ回されるんじゃないの?』
「うっ……」
『そんな目に遭うくらいなら、現状を楽しんだ方がいいって。恋人ごっこでも何でもさ』
あおひげさんの言葉は正しい。正しいが、わたしの平穏を脅かした八雲絵梨を受け入れるのだけはごめんだ。
だからこそわたしは始末しようという発想に至ったわけで。
そんな発想に至りこそしても、具体案は全く出ないまま、あおひげさんとの通話は雑談に雪崩れ込んでしまった。
◇
内心歯噛みしながら、今日も八雲絵梨とデートする。
最近調子に乗っているんだろうか、おうちデートとやらを要求してきた。我が家に招き入れるのは絶対に嫌だったので、八雲絵梨の家に行くことになった。
ここまではいい、何も良くないが。ここからが問題というか、厄介事の始まりだった。
八雲家の玄関をくぐると、聞き覚えのある声がしてきた。
「ただいまー!」
「お邪魔します」
「おーおかえり絵梨……って、隣の子は?」
声の主を一瞥すると、右眉の真ん中あたりから右まぶたにかけて走る縫合痕が見えた。
わたしの知り合いも同じ位置に縫合痕がある人がいるが、まさか同一人物なわけがアルマイヤー。
念のために心は読んでおくが。
「(なんでレンくんが我が家に!?)」
同一人物でしたね、本当にありがとうございました。
わたしのことを『レンくん』と呼ぶ知り合いなんて、わたしの人生の師匠ことあおひげさんくらいだ。そしてわたしを一目見て『なんでレンくんが』だなんて思うということはすなわち。
「お姉ちゃんに話してなかったね。私恋人できたの」
八雲絵梨の姉はあおひげさん、ということになる。なんてふざけた世間の狭さだ。
とりあえず初対面のフリをしておこう。色々面倒なことになっても困る。
「初めまして、エリー……絵梨さんの恋人の、卯佐見蓮華です」
「ちょっと待って、ていうことはレンくんが恋人ごっこを強いられてる相手って、絵梨なの?」
「あおひげさん! ハンドルネームで呼ばないでくださいよ! 話ややこしくなるでしょうが!」
「もしかして、蓮華とお姉ちゃんって知り合い?」
「ほら言ったそばから!」
「レンくんは友だちの一人だけど、まさか絵梨が惚れるなんて……奇妙なこともあるもんだね」
「お姉ちゃんでも譲らないからね?」
「いいよいいよ、たまに惚気とか聞かせてくれればそれで」
「勝手に話を進めるなァーッ!」
温厚なわたしでも勝手に話をホイホイ進めていく姉妹には流石にキレた。
……あれ、今のやりとりで色々引っかかるところがあるな。あおひげさんはなんて言った? たまに惚気を聞かせろ、だっけか?
…………それってつまり、あおひげさんはわたしじゃなくて八雲絵梨の味方をするってこと?
どうして、こんなことになるんだ……どうして……?
わたしに味方する運命なんて、わたしが乗れるかどうかのチャンスなんて、今ここにある八雲絵梨の恋慕に比べれば、確実に今確かにここにある恋心に比べれば、ちっぽけな力なのか?
植物の心のような人生を……そんな平穏な生活こそわたしの目標だったのに……!
これが、敗北する運命というやつなのだろうか。
こんなひどいことが、この卯佐見蓮華の人生に、あっていいはずがない。
かしましい姉妹のやりとりが、全く耳に入らないほど、わたしは絶望していた。
「レンくんも、そろそろツン期終わってくれないと、色々困るんだよねえ……」
あおひげさんの発した、不穏な呟きも聞き取れなかったほどに。
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