【短編】最後の日

冬野ゆな

第1話

 その日、地球にいるすべての人々の頭の中に声が聞こえた。

「え? なんですって?」

 そしてだれもが聞き返した。

「もういちど繰り返します。この世界をお作りになられた神が、近年の認知症の悪化により管理が難しい状況になりました。神はご自分の星に執着されておるため、危険な状態にあります。そのため、すべての生命の保護という観点から、半年後、皆様を一時的に仮の星へと移動させることが決定されました。よろしくお願い致します」

 こうして地球最後の日はあっけなく告げられたのである。


 私はごく普通の人間だ。

 ごく普通の高校へ行き、ごく普通の女子高生として、ごく普通に生きてきた。

 いじめ問題もどこか遠くで起きていることだったし、貧困家庭でもなければそうかといって裕福でもない。日本の家庭の中で中間はどこかと言われたら多分うちだと答えるくらいには普通だったと思う。戦争も災害もなにもかも、自分の周りからは少しだけほど遠いできごと。

 それなのに、地球が最後になると言われても、いまいちピンとこない。

「ねえ、朝のやつ、聞いた?」

「うん。あれ、なんだったんだろう」

「みんなに聞こえてたんだ。それなら本当なのかなあ……」

「というか、いままだ質疑応答してるじゃん」

「それはそう」

 いまも、世界の誰かと会話している。

 三十分もすれば一般人は飽きて――というかあとのことは偉い人たちに任せて日常に戻りつつあった。もしかしたら日本だけかもしれないけど。


 神の使い――もとい連絡係は、地球の人々の疑問にも丁寧に答えた。

 さすがに何度も同じ質問には答えてはくれなかったものの、比較的答えやすいものには答えてくれた。神の名前、自分たちの信じる神と同一なのかどうか、そもそも神とは認知症になるものなのか、仮の星とはなんなのか。

 連絡係いわく、仮の星とは巨大な船のようなもので、いまの地球とそれほど大きさの変わらないものだという。だからありとあらゆる生命を載せることができる。そうして次の管理者なり星なりが決まるまでそこで暮らしてもらう。そういうことらしい。

 ただしあくまで「船」なので、さすがに家ごと引っ越すことは難しいらしい。一年ほどかけて地球の全人類(人間を含めて植物や細菌やウィルスまで乗せていくらしい)を回収して、新たな星へとお引っ越しするようだ。植物はともかく、住居については外観だけはなんとかしておくと言われてしまった。

 ――半年かあ。

 空には依然として特に変わりはなく。

 自称連絡係は、SF小説のように円盤で居座るでもなく。

 それとなく疑問がわいた時に答えてくれる存在になった。


 世界は、といえば。

 まあ大混乱になった。

 テレビでは最初のうちはこの大々的なニュースばかりだったが、毎日同じような内容を取り上げるものだからみんな飽きてきた。なんとかいう偉い人たちが激論を飛ばし、どういうわけか政府批判にまで飛んでいったが、一般市民はどことなく白々しい空気を感じていた。

 一方ネット上では、「植物が良くて建物がダメなのはなぜか」とか「文化財などはどう選別するか」「一部のランドマークはコピーされるらしいが、それは本物とはいえるのか」といった真面目な議論が飛び交っていた。それこそ男女の船を分けるべきだなどというかなりどうでもいい主張まで出てきたが、地球規模の船だというのに何を気にすることがあるのかと一蹴されていた。

 地球の終わりというところだけ認識して犯罪に走る人々も当然のようにいたし、領土問題が急に沈静化したかと思えばまた複雑化したりとわけのわからない事になりつつあった。

 あちこちで小競り合いのように起きていた宗教戦争は、とどまることを知らなくなった。

 なにしろ神である。神が認知症になったというにとどまらず、その名前はこの世界に存在するありとあらゆる宗教で神とされているものとはまったく違う名前をしていた。つまり、どこの宗教も偽の神を信仰していたと言われるに等しい。それこそとんでもないことになった。

 ある宗派では「うちの神とは違う神だろう」と納得していて、またある宗派では「たぶん同じ神だろう」ということになったし、はたまた「偽の神に天罰を」と立ち上がる者たちさえいた。


 そんな中で、特に私はなにをするでもなかった。

 世界の終わりといってもヒーローがいるわけでもなければ、魔王が出てきたわけでもない。神の認知症とかいう予想外の結末の中で、たぶん船に乗るんだろうなと思っていた。

 というよりほとんどの人がそうだった。

 ああだこうだといろいろな場所で論争は起きているものの、みんなぼんやりと「船に乗るのだろう」という共通認識があった。みんな死にたくないのだろうし。

「……うちさ、行けないかもしれない。船」

「えっ。なんで?」

 だから帰り道で、友人の思わぬ発言にはとてもびっくりした。

「お母さんさ、前から変な宗教にはまっちゃって。それだけならいいんだけど、あんなのは偽物の神様だって言ってきかなくて。来月から宗教の本拠地のある国に一緒につれてかれそうなんだよ」

「え……」

 それ以上なにも言えなくなった。

 そんなこと、いままで一言も聞いたことなかった。

「……じゃあうちの移動するときに一緒に来る? 友達とお別れしてくるって言えばなんとかなるでしょ。多分」

「……でもさ、お母さん置いてくの、なんか悪い気がして……」

「……。そうかあ……」

 私たちの話はそれで終わりになった。

 来月と言っていたくせに、一週間もしないうちに彼女は母親と連れだって日本を出て行ってしまった。お別れも言っていないのに。学校もなんだか普段通りに見えていて、そうでもなかった。

 案外みんな、見えない悩みを抱えているらしかった。

 進学はどうなるのか、就職はどうなるのか。そもそもこれまで築いてきた文明はどうなるのか。船に乗るとわかっていても、なにもかも諦めないといけない状況であることは、ゆっくりと理解しつつあった。


 テレビで取材を受けている中年女性は、俯いて暗い表情をしていた。

『うちは、入院しているお婆ちゃんがいて……。認知症でもうわからないんですけど、チューブが無いと生きていけないんです。置いていくのは酷で……』

『こうした状況は老人ホームや施設だけではありません。知的障害を持つ方々を船に入れるな、という心無い主張もあります。どう思われますか』

『どうって、そこはやっぱり人命優先だと思いますよ。こういうネット上の匿名性が過激なやり方を招くんです。政府もそこはしっかり対応しないと』

『しかし現状としては、こうした議論はまだ――』


 私はテレビを切った。

 そういえば同じクラスの男子が、「婆ちゃんを置いていけない」と言っていたな、というのを思い出していた。ネット上でもそうした意見交換はされている。

 ――そういえば、うちの婆ちゃんたちも船に乗るって言ってたなあ。

 何もかもスムーズで。

 逆になんだか、申し訳ない気分になってくる。

 きっと変わらないと思っていたけれど、着実に何かが変わっていった。先生たちの何人かが仕事を辞める辞めないで騒ぎになり、何人かの生徒が学校を辞めたり、行方をくらませたりした。ネットのゲーム仲間が戦争に参加すると言ってから心配で仕方ない、と言い出す子もいた。

 私は――普段通り、学校に行っていた。そうしないと日常が崩れてしまう気がしたからだ。多くの人達が日常を存続させようとしていた。そうしないと、まるで目の前の出来事を忘れられるみたいに。


 半年。

 いったいどんな準備をすればいいのかわからないうちに、船がやってきた。

 やってきた船は少し灰色がかった白い色の球体で、はじめは太陽ほどの大きさだったものがだんだんと地球に近づいてきて、おおきな影になった。

 地球ひとつぶんを脱出させようというのだから、そりゃでかいだろう。

 この星の人々が全員、船に乗るだけでも一年ほどかかるということだった。半年後には船に乗っていると思っていたけれど、蓋を開けてみれば案外時間はかかるらしい。


 驚いたのは、地球に残る人たちも結構いるということだ。

 宗教上の理由や、もう先が長くないからと地球に自ら留まる人たちだった。そうした要望に対して、神様の連絡係はただ一言。

「わかりました。あなたがたの選択を尊重します」

 とだけ言った。

 人権団体が声をあげていたけれど、結局彼らも船に乗ってしまえばそれまでだろう。残って寄り添うつもりがないなら静かにしてろと言われるありさまだった。

 結局、私たちは家族一緒に船に乗り込むことになった。北の方の大地から南に向かって徐々に進むということだった。とりあえず大事なものだけは鞄の中に入れ込んで、いつ順番が来てもいいようにした。ただ最後、残していく机や椅子や、壁掛けの時計を見た。

 二度とこの同じ場所には戻れないのだという実感が、ようやくわいた。


 巨大な穴のような入り口から一週間かけて船の中に入ると、アジア専用地域の日本地区へと入った。これからまた一週間かけて割り振られた地域へと向かうらしい。景色は東京そっくりだった。指定された区域に行くと、見覚えのある道が見えてきた。

「おお~……」

「うちそっくりじゃん」

 目の前にある建物は我が家そっくりだったが、中にはなにも無かった。二階分の建物から壁や家具がそっくりなくなっただけの空の内部だ。

「外側はなんとかしてくれたみたいだけど、家具とか小さいのはやっぱダメなんだね」

「自治体とか政府のほうで持ってきたものは後で支給されるみたいよ。時間かかるみたいだけど」

「えー。すぐ欲しかったなあ」

 広い室内に、父と母と自分だけ。

「しかし、ランドマークはなんとかしてくれるのになあ」

「それって文化財とかの話でしょ。でも普通にコピーだし、同じものじゃないからいろいろ論争はあったけど」

「ここまでコピーできるんだったら同じものを運んでくれたりはできなかったのか」

「それとこれとはまた別なんでしょ」

 窓も一応はあるが、窓枠にガラスらしきものがはまっているだけだ。開けるようなところは無い。

「施錠とかどうしようね」

「あー。ぜんぜん考えてなかったけど、さっきのドア施錠できる?」

「そういえば、学校の授業はどうなるの?」

「決まってないよ。電車も無いし」

 なにもかも同じとはいかないのだ。いまさらになって実感がわいてくる。

 これはただの引っ越しじゃなかった。思えば家具は何もない。持ってきたものだけだ。工場や何かを作っていた人たちはどうしたのだろう。

「そういえばここに入るときに端末もらったでしょう。あれで地球の様子とか見れるらしいけど」

 母が父と一緒に端末を弄っている。

 まるで避難所だ。

 そうか。これはもう戻れない避難だったんだと、ようやく納得してきた。私達はこれからどうなるのだろう。まるで流されるようにここにやってきて、今後はどうなるのだろう。管理者の交代した地球に戻れるのか。それとも地球によく似たどこかに行くのか。

 いまごろ地球のどこかで認知症になった神様が、何かを壊しているのだろうか。探しているのだろうか。それとも調節ができなくなっているのか。

「あ、これじゃない? ほら見てよ、出てきた――」

 母が見せてきた端末では、船の入り口の様子が見れるようになっていた。


 地球では、まだ引っ越しが続いていた。

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