第三幕 教典

 名も無き山道から一番近い町、ガナール。古くから残る木造きづくりの教会を中心にレンガを基調きちょうとした建物が立ち並ぶ。石畳いしだたみの通りを見るとカラフルなペナントの飾り付け、火を噴く大道芸、様々な出店でみせの開店といつもより活気にあふれていた。本日、ここで有名なタイトルの劇が開演されるいうことで、町おこしの一環として「浄魂祭じょうこんさい」としょうし祭りが開催された。


「腹が減ってはいくさはできませんわ! ささ、早くこっちへ! えへへ」 


 ミハイルは、通りの人だかりをかき分けてリザの装束を強引に引っ張りながらり歩いていた。


「邪魔すんなって言ったのもう忘れたっての!? 離しなさいよ! よだれもきったないし!」 


 鼻孔びこうを刺激する美味しそうな匂いに、ひとみをきらきらと輝かせたミハイルから繰り出される怒涛の垂涎すいぜん。そのあまりの量にリザは怒るより若干引き気味だ。


「てか、お金どんくらいあんのよ。アタシもう持ってないわよ、ほとんど白帝界に置いてきちゃったし」 

「手持ちなら金貨が二十、ございますわ」 


 その気になれば店の一つを買える金額である。

 ドヤ顔に加えて格好をつけた声色で返答された。


「ムカつくわ……そういえば実家が裕福ゆうふくだとか宿屋で言ってたわね」 


 再び前を向いたミハイルは指差ししながら店を決める。


「どーれーにーしーまーしょ……あ、まずは何と言ってもこれですわ! うーん、でも混んでますわね」 


 困った末に奔放ほんぽうな女性が取った行動とは。


「……『進行パレード』」 

「おい!?」 


 魔法を繰り出すことだった。対象者の行動速度を一定期間上昇させる。長蛇の列だったが、急速に人がけていく。あっという間にリザ達の順番となった。


「バレたらどうすんのよ……消されるわよ、アンタ」 


 一般人に魔女の魔法は認識できない。だが万が一、面倒な事になるのを避けるため魔法の行使はみな自重してきた。更に、魔法の行使を取り締まる者もいるらしい……。そうして魔女はなんとか長い間ただの伝説として語り継がれる程度の認知となって現在に至る。


 そんなことはつゆ知らず、ミハイルは机に置いてあるメニュー表を見て迷わず注文をした。


「これを二つ、お願いしますわ!」 

「ヴィスカット二つね! あいよ!」 

「……」 


 リザは、ミハイルのあまりの身勝手さに思考を放棄して栄養補給の時間だと割り切る事にしたのだった。

 そしてバンダナをつけた容貌魁偉ようぼうかいいな店主は分身しているかのような速度で料理を完成させ、提供した。


「ヴィスカット二つ、おまちどう!」 


 差し出されたのは、黄土色おうどいろの生地に色とりどりの野菜とこんがりと焼いた肉が包まれたものにクリームがかけられた物だった。


「いただきまーす!」 


 二人でともにヴィスカットというものを食す。

 口内に広がる柔らかい甘さ。ふわふわな外側から解き放たれてシャキシャキとした食感が続く。最後にカリッと音をたててあふれるジューシーな肉汁。一見いっけん反発はんぱつしあうであろうそれらの味がハーモニーをかなでていた。


「……美味しいわね」 

「でしょー! さ、どんどん行きますわよ! うひひ」 

「もっと味わってからにしなさいよ! あとよだれを垂らすな! 引っ張るな!」 


 二人は通りを突き進み、様々な味に舌鼓したづつみを打ったのだった。




◇◇◇




 十二。これが何の数字かというと、リザとミハイルがガナールで回った屋台の店舗数である。さすがに満足して、人通りの少ない裏路地へ。木製のベンチに腰を掛けていた。


「うぷ、お腹いっぱいですわ。何でリザ様はその体型をたもっていられますの? 同じ量を食べたはずですわよね……?」 


 風船のように膨らんだミハイルに対し、シュッとした体のラインを保持ほじしていた。


「だってさっき戦闘うんどうしたじゃない。当たり前でしょ」 

「これは魔法ですわね、絶対」 

「話を聞けよ、ダメイド」 

「ダメイドて……」 


 ピシ、と眼鏡にヒビが入った気がするが気のせいだ。顔は少し引きつっているが。


「じゃ、もうアタシ行くから。じゃあね」 


 立ち上がり、伸びをしてから歩き出すリザ。


「待っ、てくださいまし! うっ」 


 ベンチから身を起こそうとしたが、体重に引き戻されてしまう。ふふっと自身に失笑してから。


「『養分燃焼エナジーショック』」 


 栄養を魔力に変える基礎魔法を唱えた。ミハイルは食後の満足感を味わうために基本使わないようにしている。早食いはするが。


「リザ様!」 

「もういいでしょ。十分楽しかったわ」 

「劇! やってますわよね。どうでしょう……?」 


 本日のメインイベントである劇を推した。なぜか自信ありげに人差し指を突きつけている。リザは少し考え込んでから返答した。


「……はぁ、つまんなかったらすぐ帰るわよ」 

「やった!」 


 勢い良くガッツポーズするミハイル。


 魔女は普段、魔法の基礎が羅列られつされているだけの魔法書、応用が自由に表現されている魔導書を読んでいる。そのため魔導書には著者ちょしゃの遊び心が詰まっている。中でも劇のような内容のものはリザにとって少し興味を引いていた。


「じゃあ、早速行きましょう! 『進行』!」 

「あああああ!」 


 祭典カーニバルに、何処にもぶつけようのない怒号をまき散らす少女を牽引けんいんするメイドの行進パレードが通ったのだった。




◇◇◇




 町の景観けいかんに合わせながらも、翼の生えた乳白色の石像が飛び出すように飾られた壮麗そうれいな劇場。ガナールで最も大きい建物だ。二人はチケットの購入や手続きを済ませて席に座り、開演を待っていた。

 

「アハハ……食事に没頭ぼっとうしていたら席が結構後ろの方になってしまいましたね、申し訳ございません」 

「別にいいわよ、そんなに目悪くないし。あ、アンタは言わなくても分かるわ」 

「う……オペラグラス買ってきますわ」 

「あと十分しかないわよ」 


 ドタドタと走るミハイルの背中を見て溜息ためいきいた。

 そして無事に間に合ったと同時に鐘の音が鳴り、開演――。


 タイトルは、「天使の失墜しっつい」。とある国の貴族の男ロズが他国の王女アルカに告白をして結ばれる場面から始まる。その後、数多くの不祥事ふしょうじを起こしてきた魔性の女メイド、ヴィオラがロズの心を奪ってしまう。さらにアルカが濡れ衣ぬ ぎぬを着せられ全ての罪を背負うことに。憎悪、嫉妬、あらゆる悪感情あくかんじょうに狂ったアルカが最終的にヴィオラのみならず王家全員の命を奪ってしまう。


 場面は、劇のクライマックス。リザとミハイルは息を飲んで見守っている。


「ゆ、許して……!」 

「絶対に許さないわ……さようなら、ヴィオラ……アハッ」 

「ガァァァッ!」 

「なんて事を……! き、君は間違っている!」 

「間違ってるのはどっちよ! 先に裏切ったのは貴方でしょう!?」 


 舞台上で繰り広げられる、心を揺さぶるような迫真の演技。

 物語に入り込んだリザは王女の胸中きょうちゅうに思いを馳せていた。


 ――別に、いいじゃない。納得できるわよ。そんだけの事されたら頭にくるでしょ。アタシだって……。あれ、今なんか。


 何かに引っ掛かり、ふと思考が固まって途切れた。

 

 ――ワァァァァァァッ!


「ハッ」 


 会場の拍手喝采はくしゅかっさいで現実へと意識が戻り、思わず声が出た。そしてどうやら最後のシーンを見落としてしまったようだ。


「リザ様、あの方達凄い演技でしたわね! 私、オペラグラスを持っていた手がちぎれそうな事に今気が付きました! 痛い!」 

「え、えぇ……そうね……」 


 グイグイと迫ってくるミハイルを押しやりながら、あれは何だったのだろうと少し気の抜けた顔をしてしまうリザだった。




◇◇◇




 夕焼け。

 劇を鑑賞かんしょうした後、リザはミハイルのマシンガントークをイライラして聞きながらとりあえず先程さきほどのベンチに戻って立ち話をしていた。


「そもそもメイドは! あんな悪いことしないと思いませんか?」 

「平気で魔法使って列をどけるような事するアンタが言うな」 

「あ、あれは誰も損してないで、しセーフでしょう!」 


 痛い所を突かれて噛んでしまったミハイル。

 咳払いをして、話題を変える。


「遅くなってしまいましたし、どこかで宿を取りませんか?」 

「……」 

「リザ様?」 


 俯いた状態のリザを心配して声を掛ける。


「嫌よ」 


 その気持ちを踏み潰すが如く、下からめつけて重たいトーンで声を発した。


「え?」 


 意外な返答と雰囲気に背筋を震わせるミハイル。


「アタシはね、さっさと復讐したいわけ。あのクソ女に。分かる? もうずっっっとはらわたが煮えくり返ってしょうがないのよ」 


 魔女の本能をき出しにして語る。


「……うーん」 


 それを聞いたミハイルがばつの悪い顔をしながらうなる。

 そして重い口をしずしずと開いた。


「リザ様は家名を奪われた時、凄くショックでしたわよね?」 


 一瞬、ほんのわずかに何か気づいたような顔をのぞかせた。

 だがすぐにその表情を隠して後ずさり不機嫌そうな面持ちでつぶやくリザ。


「当たり前でしょ。だから何だっていうのよ」 

「ですからそれは――」 

「だから何だって言うのよ! 鬱陶うっとうしい! アンタだって名前奪った事ぐらいあるだろうが!?」 


 発言をさえぎり、黒き杖をび出して地面に勢いよく突き立てる。

 よわい十七歳、少女は我慢の限界だった。

 その反応にメイド姿の女性は。


「私は、家名を奪った事はこの生涯で一度もございません」 


 まっすぐにきらめくエメラルドグリーンの瞳。木々の葉のように、そよ風に髪をなびかせて。 凛とした立ち姿で毅然きぜんとした態度を取り、キッパリと言い放った。 


「――ッ! 嘘ついてんじゃねえよクソが! もう二度とついてくんじゃねぇ! 気色悪ぃ!」 


 リザは杖を勢いよく上昇させる。

 杖は適当な方角へ向き、引っ張られるようにしてどこかへ飛び去ってしまった。


「リザ様……」 


 日が落ちきるまで待ってみたが、少女は帰って来なかった。


 街頭に照らされて、ただ一人ポツンと取り残されたメイドの肩と頬に水滴が落ちて伝う。それは、今しばらく止みそうにない――。

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