第3話 夢の中で私を殺す男

 私は、ああこれは夢だ、と自覚する夢をよく見ます。

 夢を見ているときにその夢の中で、これは今現実に起きていることではなく、私の夢の中で起きていることなんだ、と気付くのです。

 そうするとその後はどこか他人事のように、俯瞰で夢を見ているような感じになるのです。

 内容に関わらず、どんな夢を見ているときでもそういうことはありました。

 とはいっても、別段それで悩んだりしたことはありません。

 私もOL生活二年目で毎日忙しく、いちいち夢のことを気に病んでいる暇などなかったのです。

 けれど、そんな私が夢に悩まされることになってしまいました。

 ある日を境に、同じ内容の奇妙な夢を続けて見るようになったのです。


 それは、取り立ててどうということもない日常風景の夢です。

 私は家の近くの道をぶらぶらと歩いています。

 閑静な住宅街の昼下がり。

 誰と出会うこともなく、ひとりで歩いているうちに、私はコンビニに行く用事を思い出します。

 それで、近くのコンビニまで歩くのですが、なぜかそのタイミングで特に理由もなく、

「ああ、これは夢だ」

「私は今、夢を見ている」

 と自覚するのです。

 コンビニの駐車場を横切って店に入ろうとした時、後ろから男の人が歩いて来ます。

 この人も取り立てて特徴のない、中肉中背の二十代後半くらいの人です。

 私はその人を見て、

「ああ、私はこの人に殺されるんだ」

 と思います。

 なぜそう思うのかは分かりません。でも、夢ってそういうものですよね。

 男の人は私目がけてまっすぐに歩いて来ます。

 私はそこから動くこともできず、それを見つめています。

 そして男の人が目の前に迫ったとき、私は、

「でもこれって夢だよね」

 と思い、目が覚めるのです。

 最初は変な夢を見たなあ、と思いました。

 でもその日家を出る頃にはもう、そんな夢を見たことすらほとんど忘れていました。

 しかしその日から、三日とおかず同じ夢を見るようになったのです。

 内容はいつも同じです。

 私は人気のない住宅街を歩いていて、コンビニに行く用事を思い出す。

 コンビニに入ろうとすると、後ろから男の人が近付いてくる。

 私はこの人に殺されるんだ、ということがなぜか私には分かっていて、男の人が目の前まで迫ったところで、目が覚める。

 あまりにも何度も同じ夢ばかり見るので、最初は気にしていなかった私も、だんだんと気味が悪くなってきました。

 これはどういうことなんだろう。

 何か隠された意味があるのだろうか。

 不安になって、ネットの夢診断のページを覗いてみたこともありますが、あまりぴんとくることは書いてありませんでした。

 そんなある日のことです。

 私は一人、自宅近くの道を歩いていました。

 休日に、友人とランチをした帰り道でした。

 けれど家までもう少しというところで、コンタクトレンズの保存液が切れていたことに気付いたのです。

 駅前の薬局で買って来ればよかった。

 そう思いましたが、後の祭り。

 少し高いけれど、コンビニで買おう。

 そう思って、近くのコンビニに足を向けたのです。

 駐車場を横切って、店舗に入ろうとした時、不意に私は気付いてしまいました。

 あれ、これってあのいつも見る夢と全く同じ状況じゃないか、と。

 そして、これは夢じゃない。現実だ。

 ものすごく嫌な予感がして、私は振り返りました。

 すると、そこにいたんです。

 いつも夢で見るのと寸分違わぬ姿の男の人が。

 その人は私と目が合うと、少し顔をこわばらせて足早に近付いてきました。

 待って。

 私はうろたえました。

 誰か助けて。

 私、この人に殺される。

 そう叫ぼうと思ったのですが、恐怖で声が出ませんでした。

 すくんでしまって、足も動きません。

 男の人は真っ直ぐ私の目の前まで歩いてくると、口を開きました。

「違いますよ」

 え?

「違いますよ。僕、あなたを殺したりしませんからね」

「え? ……え?」

「どうせあなたも、夢で見たとか言うんでしょう」

 男の人はなぜか拗ねたような口調で言いました。

「確かに僕はここらへんをふらふらしてる幽霊です。でもね、本当にただふらふらしてるだけです。なのに、どういうわけだかいるんですよ、あなたみたいな人が月に一人くらい」

 男の人は悔しそうに口を尖らせます。

「僕の顔を見ただけでまるで幽霊でも見ちゃったような顔をして、私はあなたに殺される夢を見た、私を殺すつもりなんでしょう、とか言ってくる人。何の話ですか、知りませんって僕が言っても、全然聞く耳持たずに泣いたり気絶したり、ひどい人になると逆切れして怒鳴り散らしたり! 殺されたって言ったって、それ夢の話なんでしょ!? 知りませんよ、あなたたちが勝手に見た夢のことなんか! 勝手に自分たちの夢の中に人を出して、殺人者にまで仕立て上げて、そのうえブチ切れるってどういう了見なんですか!」

「え、あの」

 私は混乱してしまって、何と言っていいか分かりませんでした。

 とりあえず、一番大事なことを確認します。

「わ、私を殺さないんですか」

「殺しませんよ、どうやって殺すんですか」

 そう言いながら男の人は腕を伸ばして、私の肩を押そうとします。

 けれど幽霊なので、その腕は私の身体をすり抜けてしまいました。

「ほら。殺そうとしたって殺せないんですよ」

「でも、何かその、超常的な力とか」

「そんなのがあったら、こんなところを毎日ふらふらしてませんってば」

 男の人は悲しそうに言いました。

「僕、ただのしがない浮遊霊ですよ。いいですか、あなたにこれから大事なことを教えます。よく聞いてくださいね」

 男の人は、小さな子供にものを教えるみたいに、ゆっくりと言いました。

「夢は夢です。現実ではありません。はい、僕と一緒に繰り返して。せえの」

「……夢は夢です。現実ではありません」

 一緒にその言葉を繰り返すと、彼は頷きました。

「分かりましたか?」

「はい」

 私も頷きます。

「あの、なんだかすみません」

「分かってくれればいいんですよ。よかった、話の通じる方で。握手しましょう」

 彼はほっとしたように、両手で私の手を握ろうとしました。

 もちろん、その手は通り抜けてしまいました。

 彼はちょっと哀しそうな顔で、言いました。

「ついでに教えて差し上げますが、このへんには悪い幽霊はいません。幽霊の僕が言うんだから間違いないです。人通りの少ない場所ですから、幽霊なんかよりも悪い人間に気を付けてください。ひったくりとか変質者とか」

 彼の言うことはいちいちもっともでした。

 私は彼にもう一度謝罪してからコンビニに入り、保存液を買って帰りました。

 その日から、もうあの夢は見ていません。

 けれどたまにコンビニの前で彼に出会うことはあって、そうすると彼は、今日はあそこのスーパーのキャベツが安いとか、あっちの路地に露出狂の変態が出たらしいとか、そんなことを教えてくれます。

 ちなみに、今でもやっぱり月に一人くらいのペースで、彼に夢の中で殺されたという人に出くわすそうです。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る