第2話 吹雪の避難小屋
初めまして。サチコと申します。
N県とG県の境にありますD山の山小屋の管理人をしております。
山小屋と言っても、無人の避難小屋です。
実は私、幽霊なものですから、管理人と言いつつ勝手に住み着いてるだけなんです。
え。私がどうして幽霊になったのか、ですか?
ええと、もう忘れてしまいましたけど……実は自分の苗字も思い出せないんです。きっとサチコっていう名前まで忘れた頃には成仏できるんじゃないかって勝手に思ってます。うふふ。
避難小屋の話に戻りますけれど、この山、登山シーズンにはけっこう人が来るんです。
といってもそんなにメジャーな山ではないですから、登山客の総数自体はたいしたものじゃないんですが。
それでも春から秋にかけてはそれなりに賑やかですし、この小屋に人が来た時は、私もこっそりその輪の中に入れてもらって、自分もお喋りを楽しんでるような気になったりしてるんですよ。ふふ。
でも、やっぱり冬はだめですね。
普通の登山客はまず来ませんし、雪山を登るような上級者の方にとってはこの山はあまり魅力がないみたいで。
仕方ないので、雪が解けるまでの間、毎日この小屋から真っ白の景色を眺めて暮らしています。
幽霊って人間だったころと時間の感覚が違うみたいで、それはそんなに苦ではないんですけれど。
そんなある日のことです。
今日はずいぶん吹雪いてるなー、っていう特別に寒い日だったんですが。
日が暮れて真っ暗になってから、男性二人と女性二人の四人組パーティが、いかにも命からがらっていう感じで私の避難小屋に入ってきたんです。
もう頭も肩もすっかり雪まみれで。
きっとここに着くまでに、吹雪で道を見失っていたんでしょうね。全員、ひどく疲れているようでした。
「ああ、助かった」
「あったかい」
みんな、最初はそんなことを言っていたんです。
確かに外から入ってきた瞬間は、風も雪もないからすごくあったかく感じるものですが、もちろんこの小屋には暖房なんてありませんから、すぐに四人はがたがたと震え始めました。
ガスコンロを出して暖を取ろうとしていましたが、ガスボンベの残量がほとんどなかったようで、小屋が大して温まらないうちにコンロの火は消えてしまいました。
小屋は真っ暗になってしまいました。
「眠ったら死ぬぞ。朝まで何か話をしよう」
リーダーらしき男性がそう言って、四人は車座になって話を始めました。
せっかくなので私もその中に混じって、「あら、そうなの」とか「それは大変だったわねえ」なんて相槌を打ちながら久しぶりにお喋りの雰囲気を楽しみました。
でもやっぱりみんなすごく疲れているものだから。
とうとう女性の方がうつらうつらし始めて。それを見たリーダーの男性が、「おい、寝たら死ぬぞ!」って叫んで、それでなぜだか今度はみんなで怖い話を始めたんです。
何で怖い話なんでしょう。
怖い話って、静かですし眠くなりません? 面白い話をした方がよっぽどいい気がしますけれど。
ちなみに私は怖い話がすごく苦手なので、小屋の隅っこで一人できゃーきゃー言いながら耳を塞いでいたんですけど、しばらくしたら、「ああ、だめだ!」ってまたリーダーの男性が叫んだんです。
「おい、起きろ! 起きろ!」
見ると、リーダー以外の三人がもう眠ってしまいそうになっていました。
それはそうです。怖い話なんかするからです。完全に話題のチョイスミスだと思います。
「ここで寝たら死ぬぞ! ……そうだ」
リーダーは何か思いついたように立ち上がると、ほかの三人を無理やり立たせました。
「みんな、この小屋の四隅に立つんだ」
そう言ってメンバーを小屋のそれぞれの角に立たせると、リーダーは言いました。
「いいか、まず俺がタケシのところに歩いて行って声を掛ける。そうしたらタケシはリツコのところに歩いて行って声を掛けろ。リツコはタケシが来たら、ミチヨのところに行って声を掛けるんだ。そしてミチヨはリツコに声を掛けられたら、俺のところに歩いてきて声を掛ける。こうやって全員が順番に隣のやつを起こし続けるんだ。明日の朝までこれを繰り返せば、全員が眠らなくて済むはずだ」
なんということでしょう。このリーダーさんはすごいアイディアマンです。
眠らなくて済むように、全員が小屋の四隅に立ってぐるぐると回りながらそれぞれを起こし続けるなんて。
そんな非効率的な方法以外に、絶対もっといい方法があるはずです。
幽霊の私でもそう思うくらいですから、リーダー以外の三人も当然そう思ったんでしょうね。明らかに嫌そうな顔をしていました。
でも、疲れ切っていてリーダーに抗弁する気力さえなかったんでしょう。
三人は言われるがままにリーダーの案を承諾しました。
「よし、じゃあ俺から行くからな」
リーダーはそう言って、ゆっくりと小屋の壁に沿って歩きます。
そのわずかな間にも、ほかの三人はうつらうつらとし始めます。
「タケシ、起きろ。リツコのところへ行け」
リーダーにそう命じられたタケシさんはふらふらと壁に沿って歩き、リツコさんのところに行きます。
「リツコ」
「あ、うん」
リツコさんもふらふらと壁際を歩いて、ミチヨさんのところへ行きます。
「ミチヨ、起きて」
「ふぁい」
ミチヨさんは四人の中で一番小柄で、一番眠そうでした。
リツコさんに起こされ、ミチヨさんがふらふらと歩き始めます。
そして私は気付いてしまいました。
ミチヨさんの向かった先に、誰もいないのです。
それはそうです。ミチヨさんが声を掛ける相手であるリーダーは、すでに元の自分の場所を離れてタケシさんのところへ行ってしまっていたのですから。
ミチヨさんが空っぽの角へ行って、この謎のルーレットは終了です。
信じられない大ポカです。
こんなあほな提案をしてしまったリーダーに対するメンバーからの信頼は地に落ちるでしょう。
登山パーティに最も必要なもの、それは仲間同士の結束です。
こんなつまらないことで彼らの結束が崩れてしまえば、生きて下山することは叶わないかもしれない。
そう思ったら、私の身体は自然と動いていました。
誰もいない角に、私は立ちました。
そこにミチヨさんが夢遊病者のようにふらふらとやってきます。
「お願いしまふ」
ろくにこっちも見ずに、ミチヨさんは言いました。
「任せて」
私はそう答えて、リーダーのところへ歩きます。
なんということでしょう。あんなに偉そうなことを言っていたリーダーは、座り込んで寝ていました。一人になったことで、緊張の糸が切れたのかもしれません。
やっぱりこのアイディア、どう考えても無理があります。
何をとち狂ってこんなことをやっているのか。
今からでも遅くないから、もっとまともな方法を考えた方がいい。
そう思いましたが、私はただの幽霊ですのでそんな提案をすることはできませんでした。
「起きてください」
私がそう声を掛けると、リーダーは「ふごっ」という鼻息とともに目を覚ましました。
それから、「おっけーおっけー」とまるでさも寝ていなかったような返事をして歩き始めました。
まあそれはいいんです。
「おい、タケシ」
「ふぇい」
「大丈夫か、お前。しっかりしろよ」
さっき完全に寝落ちしていたくせに、リーダーがタケシさんに偉そうに声を掛けています。
タケシさんがリツコさんの方へと歩き出すと、リーダーはまたそこで座り込んで眠りはじめました。
私は決心しました。
このだめな人たちを、なんとか朝まで起こし続けようと。
それからの私は頑張りました。
小屋を縦横無尽に駆けまわり、壁を歩く途中で力尽きて寝ようとするメンバーを起こして回りました。
油断していると、ぽっかり空いた角にミチヨさんが来てしまいますので、その時にはダッシュで自分の位置に戻ります。
四人の中でもリーダーが一番ひどくて、ねぼけて逆方向に歩きだしたりするので、そのたびに顔面を鷲掴みにして正しい方向を向かせました。
そうやって私の血の滲むような努力のもと、小屋を何周したでしょうか。
いつの間にか外の吹雪は止んでいました。
避難小屋の窓の隙間から、太陽の光が差し込んできました。
「朝だ」
と、目の下にでっかいくまを作ったリーダーが叫びます。
「太陽が出てるぞ!」
四人は歓声を上げて外に飛び出しました。
「これなら帰れる」
外の明るい天気を見て、リーダーは言いました。
「また吹雪にならないうちに、出発しよう」
四人は小屋に戻ってくると、急いで出発の準備を始めます。
よかったですね。
私は温かい目で彼らを見守ります。
そのとき、疲れた顔で小屋を見まわしていたミチヨさんが突然悲鳴を上げました。
私もほかの三人もびっくりして、彼女を見ました。
「どうした、ミチヨ」
リーダーが声を掛けますが、ミチヨさんは真っ青な顔で部屋の隅を見つめています。
「そんな。私、私」
震える声でミチヨさんは呟きます。
「いったい、誰に声を掛けていたの」
ああ、ミチヨさんは遅ればせながら気付いたようです。ぽんこつリーダーのアイディアが、四人では絶対に実行できないってことに。
「私ですよー。ミチヨさんは私に声かけてたんですよー」
私はそう教えてあげましたが、もうすっかり朝ですし、霊感のなさそうなミチヨさんには届いていませんでした。
ミチヨさんの説明を聞いて真っ青になった四人は逃げるように下山していきました。
「お気を付けて―」
彼らを見送った後、静かになった避難小屋で私は達成感と解放感に浸ります。
ああ、疲れた。
そしてそれからゆっくりと寝直すことにしたのです。
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