三文乙六 血縁 (1)高嶺の花を育ててみたら

【ここまでの粗筋】

 天然系な主人公「駿河轟」は高校三年生。

 愛とツンデレの彼女「ベーデ」(長期留学へ)と強気の留学生エリー(既に帰国)との楽しい日々も過去の話。

 腑抜けから「勉学」の人となった駿河だが、通学電車で女学生と知り合ううちに、奇妙な縁が出来た。

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 土曜の朝、閑香さんと翌日に銀座で待ち合わせることを決め、授業も終わって帰宅するとベーデからの手紙が届いていた。

 普段のように生活の近況と、勉強の様子が書かれていて、何枚かの写真も入っていた。

 アメリカに行ってからの彼女は伸び伸びとしているというか、元々の自分を取り戻せたように活き活きとしていた。

 そして、追伸に

「サクランボのへたを口の中で結べるなんていう芸を誰にでも見せる子供地味た真似はそろそろ卒業しなさい。」

 と書かれていた。

 何を今頃其様そんな話をしているのか不思議に思ったものの、あっという間に翌日の待ち合わせのことで頭が満たされ、直ぐに忘れ去って了った。


 *     *     *


 明くる日。模試を終えて銀座に向かう。

 和光の前は、ベーデとも、エリーとも、よく待ち合わせに使った場所だ。

 二人とも、僕が先に着いていないと、大抵誰かに声を掛けられているか、道を尋ねられているか、兎に角人が寄って来て了うのが常だった。だから、彼女達との待ち合わせでは僕が必ず十五分前には到着して待つようにしていたけれど、其の日は模試で時間ぎりぎり、五分前に到着した。

 案の定、閑香さんはもう到着していた。

 普段の制服姿とは違った藤色のワンピースは、可愛らしさを保ちながらも、近寄り難い雰囲気を内から漂わせていた。


「済みません。お待たせしました。」

「此方こそ、お忙しいのにわざわざ済みません。」

「行きましょうか。」

「ハイ。」


 彼女のスカートが翻り、襟元に結ばれたビロードのリボンが揺れた。長い黒髪にカメオの付いた髪留めが飾られている。普段の花の香りが漂った。


 S女学院の学園祭を訪れたときのイチの言葉ではないけれど、

「俺、もう大学受からなくても良いわ。」

 という気持ちが分からないでもなかった。


「どちらに案内して下さるんですの?」

「資生堂パーラーでよろしいですか?」

「本当に? 嬉しいです。」


 *     *     *


 彼女はソーダ水、僕はグレープフルーツ・ジュースを頼んだ。


「私、せんからこれを頼みたかったんです。」

「また何故?」

「両親とも、ソーダ水などというものは人工着色料で身体に悪いって、許して呉れないんですよ。」

「確かに、健康に良さそうなものじゃないですね。」


「兄などは、高校時代それこそソーダ水だけではなくて、おささ…、あ。」

「大丈夫ですよ。誰も聞いてないですから。」


「…ずるいですよね。」

「男と女の違いもあるでしょう。」

「でも、一高そちらは共学でしょう?」

「そうです。」

「駿河さんは、中学も共学で良いですね。」

「そうですか?」

「ええ。」


 相変わらずの他愛ない話が進み、彼女が無事にソーダ水を飲み終えようかという時、

「此のサクランボは食べても良いものなんですか?」

 と尋ねられた。


「まあ、此の店のなら…。」

 答えかけて、一瞬だけ頭の中で何かがつながった感じがした。


「どうかされました?」

「…あ、その、三条さん、一つお尋ねしても良いですか?」

「ハイ。」


 ソーダ水を飲んでいた手を膝に戻し、姿勢を正して少しだけ嬉しそうに此方を見ている。


「ごきょうだい、いらっしゃいます?」

「ええ、兄が二人。」

「そうですよね。お兄さんですよね。お兄さん…。」


 つながりかけた糸を見失って、再びこんがらかって了った僕を、彼女は微笑んで見ている。

 そして、仕方がないですね、という感じで、

「女性ならば従姉いとこが居ります。」

「あ…。」


 口をぽかんと開けて何度も頷く僕に合わせて、閑香さんもニコニコと満足そうに首を縦に振っている。


 僕が彼女に見つけていた《誰か》の面影は、間違いなくベーデのそれだった。

 何度も疑っては消えたものの、今度こそ間違いなかった。

 女の子は顔のパーツが父親に似るという。姓が同じということは、おそらく父方の従姉妹いとこなのだろう。

 ならば、ベーデからお母さんのスペイン系の部分を取り除くと、確かに今目の前に居る閑香さんになる。


「えっと…僕のことは、以前から御存知でした?」

「いいえ、存じ上げませんでしたわ。でも。ふふ。」

「その、…いつ分かりました?」

「はっきりと確認したのは学園祭でお会いした日の夜です。亜惟姉あいねえ様に電話をかけて。」

「そうですかぁ…亜惟姉あいねえ様ね…、そうかぁ…。」


 確かにベーデが手紙にサクランボの話を書ける訳だ。

 それまで弾んでいた心が、何だかすっかり空気の抜けたビーチボールのような気分になって了っていた。

 岩壁にひっそりと咲き誇った高山植物のような高嶺の花を育ててみたら、実は路傍で敷石を割って出てきたタンポポだったというほどの落胆を感じていた。


「駿河さんは、いつですか?」

「…今…。」


 気が抜けて、最早敬語すら出てこない。

 目の前に居るのがベーデの身内だという意識で、失礼にもすっかり緊張感が何処かに吹っ飛んで了った。


「本当に鈍感…、あ、ごめんなさい…。疑うとか、そういうことされないんですね。」

「だって、其様なこと思いも寄らないでしょ?」

「私よりも、駿河さんの方が悪い人に騙されちゃいますよ。」

「今、現に騙されてる…。」

「ほら。ね?」


「鳥渡待って。学園祭の日に確かめたってことは、最初に電車の中で会ったときは、ベーデの知り合いだってことは、本当に知らなかったってこと?」


 もう彼女に対する畏敬の念とか、近寄り難い感覚というものは、これっぽっちも残っていなかった。


「ええ。一高の方だな、とは思いましたけれど、よもや亜惟姉様の駿河さんだとは。」

「本当に?」

「姉様が放った隠密だとでも?」

「あいつならやりかねない。」

「確かに。」

「え、本当?」

「違いますよ。最初に識らずに隣に座ったのも、学園祭まで確信を持てなかったのも本当です。」


「…ベーデの従妹じゃあ、滅多なこと出来ないなぁ。」

「従妹じゃなかったら、滅多なことなさるんですか?」

「ほら、そうやって食いつくところが相似そっくりだ。」

「答えになっていませんよ。」

「答えも何も…。」


「姉様こう仰有ってましたよ。確かに日本を発つ時は、彼女・彼氏と呼び合う仲だってことを確認したけれど、それから先の行動はお互いの自由だ、って。」

「…もっと早く気付くべきだった…。」


 彼女に対する神聖不可侵の畏敬の念どころか、それよりも自分がこれまで彼女に対して振る舞ってきた言動そのものが、何やら途轍もなく恥ずかしいものに思われてきて、それもこれも全てが、もしかしたらベーデに筒抜けになっていたのかも知れないと感じると、目の前の閑香さんどころではなってしまいそうだった。

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