三文乙六 花園 (2)のどかなかおりと書いて閑香

【ここまでの粗筋】

 天然系な主人公「駿河轟」は高校三年生。

 彼女「ベーデ」は長期留学、親友の留学生「エリー」は帰国で、すっかり腑抜け状態になった駿河。

 大きく開いた心の穴を、本来の「勉学」で埋めた矢先、電車で知り合った名門女子高の女学生から学園祭に招待された。

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「…はぁ、良かった。」

「え? どうかされました?」

「いえ、あれでも外に出して恥ずかしくない連中を人選してきた心算なんです。」

「有り難う御座居ます。でも、一高の皆さんなら、何方どなただって大丈夫でしょう。」

「否々、僕がS女こちらを知らないように、貴女も実際には一高をご存知ないから。」

「それは、お互い様ですよ。S女うちに対して幻想を抱いては不可ません。」

「そうですか?」

「ええ。そうですとも。」


 楚々と澄まして歩く彼女の後を連いて行くと、もう四年目ともなれば顔が知れている所為か、それとも単に彼女が有名なのか、はたまた上級生や来客には挨拶するものなのか、其処此処そこここで在校生に丁寧な会釈をされて戸惑った。


 展示ものを一通り見終えて中庭に出る。

 見た目からして乱雑で、飲料の紙パックが植え込みに押し込まれていそうな一高のそれとは違って、まさに「庭園」と呼ぶのに相応しい手の入れようだった。


「案内して戴いてお疲れになったでしょう。少し座りませんか?」

「お客様なのに、お気遣い戴いてすみません。では、お言葉に甘えて、そうしましょうか。」

「じゃあ、僕は何か飲み物でも買ってきます。」

「すみません。では、彼方でお待ちしています。」


 近くの購買でオレンジ・ジュースを買って戻り、横に腰をかけた。

 ごく自然に背筋を伸ばして腰を掛けている彼女の隣に、これから自分が位置を占めることになるのかと思うと、にわかに頬が熱くなる思いがこみ上げた。


「有り難う御座居ます。」

「いいえ。…皆も僕も、まさかの僥倖ぎょうこうに喜んでいます。」

「昨日の今日で失礼しました。お忙しいのに。」

「鳥渡だけ人選で悩みましたけど。みんな暇ですから。」


「皆さん楽しい方ですね。」

「お兄さんは、一高でいらしたんでしょう?」

「ええ。でも両親は兄の真似をしては不可ないって。」

「アハハ、それは、相当楽しまれたんですね。」


「矢張り、皆さんで喫茶店とかいらっしゃるんですか?」

「行きますよ。S女は駄目ですか?」

「絶対に駄目です。下校途中に見つかりでもしたら、両親呼び出しで停学です。」

「大変だなぁ。」


「でも、其の分、真っ直ぐに帰れて、友達関係で余計な気遣いをしなくて良いです。」

「そうですか。」

「はい。でも、喫茶店には行ってみたい。」

「行かれたことは無いんですか?」

「両親と入ることはありますが、自由にものを頼めないので窮屈です。」

「それは大変だ。」


 彼女は此方を見るでもなく、見ないでもなく、少し恥じらうような躊躇ためらいの中で話し続けていた。

 それは、僕がおよそ初めて知る《女の子らしい女の子》の所作しぐさだった。


「そうだ、駿河さん、今度、連れて行って下さい。」

「え? 停学になっちゃうんじゃないですか?」

「制服を着ていないお休みの日なら大丈夫です。」

「だって、男性と一緒に喫茶店なんか…駄目でしょう?」

「兄だと言えば良いでしょう。」


 厳しい学校に居る割に飄々と言い繕いを考えている辺りは、それなりにこういう鳥渡した冒険行為に慣れているような妙な貫禄が感じられた。


「…何かあったときに、ご迷惑が掛かりませんか?」

「私、こう見えて、素行点は良いんです。先生方も大抵のことは大目に見て呉れますから。」


 千載一遇の機会というのはまさに此のことかも知れない。

 此処を逃せば、僕のような男にとって、彼女のような女性に巡り会う機会など、おそらく二度とないと思って間違いない。


「じゃあ、お連れして恥ずかしくない処にしましょう。」

「有り難う御座居ます。楽しみにしています。」


 彼女は、そうなることがあたかも《当然》であるかのように、否、全ては自分が思うように物事が進んでいくことが当たり前であるかのように、驚くでもなく、はしゃぐでもなく、屈託のない笑顔とともに、呆気なくさらりと話をお終いにして了った。


(もしかして、ただの社交辞令…口約束…なのかな?)


 中庭の反対側を、案内されて歩いていく壬生瀬の姿がちらりと見えた。其の姿が少し滑稽に見えて、僕は自分の背筋を少し伸ばした。其の様子を見て隣に座っている彼女がクスリと笑って口を開いた。


「私のこと、変なやつだとお思いになっているでしょう?」

「え? 否、変だとは思いませんけど、電車の中で知り合っただけの学生をよく此方こちらに誘って呉れましたね。」

「人は一週間もお話しすれば、大概分かります。特に短い時間であるほど。」

「そうですか?」

「ええ。長く話すほど嘘が多くなるものです。それに一高の方でしたし。」


 そうこうする中で、知り合ってから何日も経つというのに、初めて彼女の顔を間近で見ることが出来た。

 毎日の寝しなにぼんやりとした全体像は思い出しても其の顔だけはどうしても思い出せなかった。

 イメージは浮かんでもはっきりと《これだ》という造作が出てこないのだ。

 そして、しっかりと顔を見る絶好の機会だというのに、今度は其の肌のきめ細かさが眼に眩しくて、目鼻立ちや眉、口元がわからない。


 何と表現したら良いのだろう。

 餅取り粉の粉を払った搗きたての餅、とでも言うのだろうか。

 否、迚も其様な程度ではない。化粧もしていないのに毛穴一つわからない。

 光沢がある訳でもないのでゆで卵のよう、という表現も当たらない。

 強いて言えば、卵の表面を最高に目の細かい紙ヤスリで磨き上げたら此様なふうになるのではないか、という完成度だ。

 普段、無粋な生活をしている男の表現力では、到底表現出来ないほどのものだということだ。


 ベーデから『淑女のフェイス・ケアというものは大変なのよ。だから相応の尊敬を払いなさい。』と始終指導されていたが、此の肌と髪を維持するのには、一体毎日どれくらいの時間を掛けているのだろう、と考えている自分の方が気が遠くなりそうになった。


 其の完成された肌の境界線を確認していくことで、漸く、眼、鼻、口、耳の造作が見えてきた。

 どれもが、彼女の言葉に応じて夫々の働きを果たしている。コンマ一ミリメートルに至るまで計算されているかのように眉、睫毛、視線、小鼻、口元が無限の表情を作り出している。


 それに見入って了うことは、催眠術に陥るような気にも囚われた。此様こんな機械的な分析で敢えて冷静さを維持でもしなければ、彼女の術中に易々と吸い込まれてしまいそうな危機感を感じるほどだった。(別に彼女は毒婦や魔性の女だというのではなくて、半年ほど女性から縁遠くなっていた僕が勝手に過剰防衛反応をしていただけだ。)


 兎も角、僕には、彼女がとても二歳の年下には思えなかった。普段のただのお嬢さん然とした外見だけではなく、可成りしっかりと中身を鍛えている雰囲気があった。


「駿河さんも、三中から一高でいらっしゃるんですか?」

「いえ、僕は一中です。」

「では一小、一中、一高?」

「いえ、中学校からです。」


「中学校も楽しかったですか?」

「ええ、厳しかったですが、充実していました。」

「S女は高校さいごまで厳しいです。」

「お厭ですか?」

「厭になるときもありますが、自分の頭の中が自由であれば、外見が揃えられている方が女は楽かも知れません。」

「女の園、ですね。」

「ええ。まさに。」


「先刻、小泉が「シィちゃん」と呼んでましたけど。」

「あら…ごめんなさい。私、三条閑香しずかと申します。京都三条大橋の三条。のどかかおりと書いて《しずか》です。」

「いえ、此方こちらこそ、駿河轟です。駿河の国の駿河、車を三つ書いて《ごう》です。そう言えば、中学のごく親しい友人にも同じ三条さんと同じ名字の者が居ます。」


「本当に? それは男性の方? それとも女性の方?」

「女性です。」

「それは駿河さんの、其の…、彼女?」

「彼女で…。」


 僕は言葉に詰まった。彼女は首を傾げた儘止まっている。


「何と言ったら良いか…。」

「人間関係を単語で定義するのは難しいことですね。」

「そういうのかも知れません。」

「ごめんなさい、立ち入ったことをお尋ねして。」

「いえ、其様そんなことありません。」


「色々経験を積んでいらっしゃりそうですね。」

「此の歳の人並みです。」

「私は、中学校からずっとS女ここで育ってきたので世間知らずで、生意気だと言われます。」

「其様なことはないでしょう。しっかり勉強されているのは分かります。」

「それこそ『其様なことありません』です。また、色々と教えて下さいね。」

「ええ、お役に立てるなら。」


「不可ない、…もう此様こんな時間。」

「あ、済みません。僕の相手で一日が終わって了って。」

「いいえ、今日は其のために空けておいたので。」

「重ね重ね有り難う御座居ます。」

其様そんなに堅苦しくなさらなくても。」

「では、また電車の中で。」

「はい、週明けに。お気を付けて。」

「三条さんも。」


 帰り道、彼女の少し太めの眉に黒目勝ちの瞳、通った鼻筋と引き締まった唇、はっきりとしながらも全体的に鋭敏な印象のある顔立ちの中に、何か何処かで見た面影を感じてはいたが、また直ぐに忘れて了った。

 それより、もっと強く気がかりになっていたのは、バラバラに案内されていった悪友たちが悪さをしでかしていないか、の方だった。

 電話を架けてみれば、全員が全員、閉門時間にすっきり校門から出され、丁重にお見送りされて気分よく帰宅していた。男というのは矢張り単純なものだ。


 *     *     *


 明けた月曜の朝。


「おはよう御座居ます。」

「土曜日はお世話になりました。ご友人方にも失礼はありませんでしたか?」

「いいえ、全く。此方こそお越し戴いて有り難う御座居ました。皆、喜んでおりました。」

「それは安心しました。」


「そうそう、宜しければ今度の日曜にお約束の喫茶店に連れて行って下さいませんこと?」


「日曜ですか?」

「矢張り受験を控えてお忙しいですか。」

「模試の後の午後の時間でも宜しければ、喜んで。」

「はい。私は大丈夫です。では、詳しい時間は直前にでも。」

「分かりました。店を考えておきます。」

「よろしくお願いします。」


 社交辞令ではなかったということに多少の意外性を感じながらも、S女という彼女の《守られた》ホームグラウンドではなく、今度は自分自身が彼女を《守る》べき立場として外界で逢えることに、素直な喜びと誇らしさを感じている自分に気が付いた。

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