三文乙六 花園 (1)あれが献血に見えるか

【ここまでの粗筋】

 天然系な主人公「駿河轟」は高校三年生。

 愛情深いツンデレな彼女「ベーデ」(長期留学へ)と終始強気の留学生エリー(既に帰国)との楽しい日々も過去の話。

 すっかり腑抜け状態になった駿河は、漸く本来の「勉学」で寂しさを紛らすことに成功したが、通学電車で自分の隣席に座る女学生に気付き、興味を引かれる。

 -*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-



 翌週は先客もなく、僕の隣には彼女が座り続けた。

 電車内での行きずりとして当たり前のことだが、互いに名乗りもせず、他愛のない話で木曜までが過ぎた。


 そして、金曜。

「今日はお渡ししなければ不可いけないものがあって…。」


 彼女はまだ新しい革の匂いの香る学生鞄を開け、中から細い封筒を取り出した。


「明日からS女うちの学園祭なんです。宜しければ学校のお友達といらして下さいませんか。」


 右手で持ち、左手を添える、落とした本を取り上げて呉れた時と同じ所作で差し出した。


「え!? …良いんですか?」


 S女学院の学園祭は厳格な招待制で、券が無ければ入構すら出来ない。

 其の招待券も在校生に一人数枚しか配られず、手に入れるには親戚か余程の知人でも無い限り不可能だと、縁も所縁ゆかりもない僕等は、あたかも伝説のように聞いていた。

 そう、其の真偽すら解らないほど、全くかけ離れた世界のお話。


「ええ。いらして下さったら嬉しいです。」


「あ、申し遅れて、一高三年の駿河と言います。有り難う御座居ます。」

「此方こそ、失礼致しました。S女学院高等部一年の三条と申します。」


 学帽を掴んで脱ぎ、封筒を受け取った僕に、彼女は最初こそ目をぱちくりさせて驚いた風だったが、突然の自己紹介にもそれ以上動じず、普段のように会釈をして挨拶を返して呉れた。


「では、明日十時で宜しいですか。私は受付を入った処でお待ちしております。」

「はい、必ず参ります。」


 彼女は、静かに別れの会釈をして電車を降り、普段のように凛とした歩き方で、周囲から集まってくる同じ制服の中に紛れていった。


(あれ…今、三条って言ったよな…中条だっけ?。ま、どちらにしても其様な珍しい名前でもないし。S女子ならごろごろ転がっているのかな。…え? 三枚もあるじゃないか。何、一枚で二人、合計六人分も?)


 たかが名字のことより、明日の同行者の人選に頭を悩ませていた。


 *     *     *


 放課後、ホームルームが同じ壬生瀬とイチを呼んで耳打ちした。


「明日、時間あるか?」

「何だ? 参考書でも買いに行くか? 良いぞ。」

此様こんな大事なときに参考書なんか買いに行く奴は一生受験してろ!」

「んだよ! 勿体ぶって。」


「S女学院の学園祭行かないか?」

「あ~、もう駄目だぁ。到頭とうとう駿河が壊れたぁ。」

「お前な、悪いことは言わないから、もう好い加減に自分で立ち直れ。」

「S女の学園祭って言やぁ、招待券持ってないと摘み出されんだぞ。」

「これが見えないか?」

「え?」


 二人は三枚の招待券を手に取ると表裏をひっくり返して確かめている。


「おお、上手く偽造したなぁ。印刷部に依頼したのか?」

抑々そもそも、どうやって本物を見せて貰ったんだ?」


「もう良い…、お前ら帰れ。」

「嘘、嘘、本物か? 然も三枚?」

「あと一人誰か加えて、残った一枚は自治会の掲示板で売ろう!」

「お前ら、明日は家で寝てろ!」

「分かった、わーかったから。あと三人だな、三人…よしよし。」

「出来るだけ、やんごとなき奴の方が良いぞ。間違っても間違いを起こすような奴はいかん。」


 結局、ドイツ語で同じクラスの古府川と有山、そして小泉に声を掛けることで落ち着いた。


 *     *     *


 翌朝、浮ついた胸中で、僕らはS女へと向かった。


「諸君、見よ、此処が敵の本陣だ。」

「おお…。」

「此の道筋を通ったことはあるけど、目を合わせると通報されそうな気がして、常時下を向いて許りいたからなぁ。」

「それじゃ余計怪しいだろ。」

「でも、向こうからS女の女学生が来たら、俺だって避けるぞ。」

「何でまた?」

「もしぶつかりでもしてみろ。十対〇で此方が悪いに決まってる。」

「当然だな。俺は朝、S女の女学生が電車に沢山乗っているんだが、何故だか口元が緩んで了っていかん。」

「それは間違いなく通報されるぞ。変質者だ。」

「それを防ぐには不自然に怒った顔をするしかない。」


「…どれもこれも哀しいなぁ、おい。」

「…だよな。もし、今日、入れたとしても、どうして良いか分からん。」

「そう言えば、そういう心の準備は全然して来なかった…。」

 見るからに怪しい僕らは、校門のところで必要以上に平静を装って堂々と受付に向かって歩き始めた。


「おい、学園祭の受付だぞ。」

「分かってる! あれが献血に見えるか!」

「招待券あるか?」

「おお、此の通り。」

「しかし、それが本物かどうかということを、俺達の誰も知らないのが情けないな。」


「…おい、待て…、そう言えばそうだな。」

「失礼なこと言うなよ。当人から直接手渡されたものだぞ。」

「で、其の彼女は居るのか?」

「人が多くてよく見えない。」


 僕等は傍から見ても怪しいこと極まりないほど固まって揉めるばかり。


「偽の招待券掴まされて、摘み出されるところ笑われるんじゃないか?」

「お前、帰って良いよ。」

「そうだ。たとえ偽物だったとしてもだ。一歩でも中に入ることに意義がある。」

「お前も帰れよ。」


 そうこうしているうちに受付の前に着いてしまった。

 目の前に、腕章を巻いた恐そうな委員が立っている。

 僕は三枚の招待券を彼女に渡した。

 彼女は招待券を受け取ると、直ぐに裏をひっくり返して見た。

 そして、横の机に座っている別の委員に番号の確認を依頼した時、「もう駄目だ…。」と思ったのは僕を含めて全員に違いない。

 目をつぶって摘み出されるのを待っていると、

「お越し戴き有り難う御座居ます。六名様、確かに。」

 鬼のように見えた委員が天使のように微笑み、目の前のロープを外して、中へと導き入れて呉れた。


 *     *     *


 校舎の中から静かな女声合唱が聞こえている。

「俺、もう大学受からなくても良いわ…。」

 イチが呆然として立ち尽くしている。


「駿河、一生恩にきるわ。」

 壬生瀬が泣きそうになりながら感動している。


「で、大恩のある彼女は?」

 小泉が一人だけ冷静に訊ねてきた。


鳥渡ちょっと待て、今、探してるから。」


 ゆっくりと周囲を見回し、漸く二周目で、少し伸び上がって手を振っている彼女を見つけ出した。


「ほら、ご招待下さったお嬢さんにご挨拶だ。」


「こらこら、囲むんじゃない、吃驚されてるじゃないか!」

「お言葉に甘えてお邪魔しました。」

 僕は声が裏返りそうになりながら頭を下げた。


「ようこそ、いらっしゃいました。」

 彼女は少し戸惑った様子だったが、それでも笑顔を浮かべて会釈を呉れた。


「おお…、本物の会釈だ。」

一高うち女子おんなどもとは大違いだ。」

「一々、取り乱すんじゃない!」

「そうだ、恥ずかしいじゃないか。」

 其の慌てぶりに、彼女は口に手をかざして笑っている。


「あれ…? 間違ってたらごめんなさい。シィちゃんじゃない?」

「おい小泉、一人だけ知り合いのふりして抜け駆けは狡いぞ!」

「え…? あぁ、小泉さん。」

「シィちゃん、S女だったんだ。」

「なんだ、小泉、本当の知り合いか?」

「小学校の二つ下…。シィちゃん、どうして三中に行かなかったの?」

「両親が喧しくて。勝手にS女ここに決めちゃったんです。」


 小泉と彼女の会話から、順当なら彼女は三小から三中あおいに進み、更に僕らと同じ一高こうこうに来る筈だったのが、一足先に其のコースを辿ったお兄さんが可成り余裕をもった学生生活を送ったらしく、彼女は其の二の舞にならないよう、急遽、進路変更を余儀なくされたということが分かった。


「すみません、内輪の話で。」

(内輪なんて言葉遣うんだ…)

(こら!)


「皆さん、S女にお越しになるのは初めてでいらっしゃいますか?」

「何度も来られるような奴は一人も居ません。」

 壬生瀬が妙に威張って言った。


其様そんなに肩に力を入れないでも結構ですよ。」

「いえ、大丈夫です。」

「今日は、夫々それぞれ私の友人が皆さんをお一人ずつご案内します。どうぞゆっくりさっていって下さい。」


 そう言われると、彼女の後ろでクスクスと、それでいて決して嫌味ではない笑顔で笑っていた女の子たちが、一人ずつ僕以外の五人に会釈して、自己紹介をし始めた。


「小泉さん、また…。では、駿河さん、私がご案内します。」

「あ、どうも。」

 顔の緩みきった五人は礼儀正しい彼女等に連れられ、先に校舎内に消えて行った。

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