二文乙六 別離 (3)もう決めたことだから

【ここまでの粗筋】

 天然系な主人公「駿河轟」は高校二年生。

 愛情深いツンデレな彼女「ベーデ」に育てられつつ、多忙な毎日を送る。

 留学生エリーが二人の幸せを祈りつつ、嵐のような影響を残して母国へと帰還した今、彼等は自らの道を考えるときにさしかかった。

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-



「駿河…。」

「ん?」

「もう三年生だね。」

「ん。」


 ベーデが語ったエリーの本質に、己の不甲斐なさを気付かされた僕は、そう力なく答えるのが矢渡やっとだった。


「私は…まぁ…良いけど、貴男は確実に受験だわ。」

「…そうだな。」


「何処を受けるの? 東大?」

「まだ分からないよ。」

「エリーに逢いたければ東大にしなさいよ。」

「また《逢いたければ》か?」

「逢いたくないの?」

「何だってお前は、俺の心を試すようなき方ばかりするんだ?」


「…。」

「エリーはエリー、そりゃい。でも、今、付き合ってるのはお前だろ? 先刻さっきから一体何を言ってるんだ?」

「違うの…。」

「何が違うんだよ?」

「不安…。」

「俺の気持ちがか?」

「それもある、貴男の受験のことも、そして其の先のことも、考えれば考えるほど、何もかもが不安で不安で仕方がない。」


「俺の心配までして呉れて有り難いけれど、俺のことは心配無用だ。それとも其様そんなに俺は頼りないのか?」

「違う。其様そんなことじゃない。好きだから、好きなほどに不安なの。彼女と一緒に居た貴男を見て、私はエリーのように堂々と貴男を幸せに出来るだけの素養なかみを持っているのか、自信があるのか、私自身ですら不安だらけなのよ。」


「エリーは関係ないだろう? 俺達の付き合いは其の前からだ。互いに惹かれたのも、もっと純粋な心からだろう?」

「分かってる。其様そんなこと、言われなくても分かってる。」

「じゃあ何が…。」

「だからそれが私にも分からないのよっ!」


 ベーデは抱えていたクッションを横の壁に投げつけた。


「…? どうしたんだよ。何か出来ることが有れば遠慮無く言って呉れよ。」

「ごめんなさい。駿河あなた所為せいじゃない。全部、私の所為せい。」

「一人で抱え込むなよ。付き合い始める時に、そう言っただろ? もう一人で抱え込んだり、悩んだりしない、って。」

「ええ、分かってる。私には貴男が必要…。でも…。」

 僕は言葉を待った。


「此のまま駿河あなたが私と一緒に居て良いのか、今の状態に甘えていて良いのか、私と一緒に居ることで駿河あなたの可能性を狭めていないか。」

「だから俺のことは良いって。俺は何も疑問に感じていないし、別に可能性も狭めちゃなんかいない。」

「でも、過去に縛られていない? 今と未来をきちんと考えてる?」


「…どういうことさ?」

「エリーは、鳥渡見ちょっとみ、自分ではどうしようもないほど過去の呪縛から抜けられない境遇だけれど、しっかり自分の道を切り拓いてる。私たちとは比べようもないほどの大きな壁と闘いながら。」


「お前にとっての、今の壁って何だ?」

駿河あなたとの過去が余りにも強すぎることと、そして今の駿河あなたを見ようとしていない自分…。」


 僕は、正直、エリーが此処まで僕らの関係に影響を与えるとは思ってもみなかった。

 多少、ベーデに嫉妬心ジェラシーが起きるかも、くらいは考えていたけれど、それはエリーとベーデの仲の良さで寧ろ心配が無くなったとさえ思っていた。

 そしてエリーが故郷に戻った今、また元のような生活が続くと考えていた。


「…分かってる、分かってはいるの、でも彼女は、彼様あんなに普通に見えて、実は物凄く強い信念をもって生きてる。」

「それは個人という人格だし、歴史に根ざした文化があって当然のことだろう? 土壌の違うお前に当て嵌めようとしたって無理なのは当たり前じゃないか。」

「だから、其様そんなこと分かってるってばっ!」


 ベーデはテーブルを叩いた。


「…ごめん。言い過ぎた…。」

「良いのよ、其の通りだし、私が一人で煮詰まってるだけだから…。」

其様そんなこと言うなよ、悲しくなるから。俺が居るだろ。二人一緒だろ?」

「其の貴男を私が一番苦しめてる。」

「誰も苦しんでなんか居ないって。」

「私には貴男が必要。貴男も私を思って呉れている。なのに、どうして…。」

「何もかも他人より抜きん出たり、同じであったりする必要はないんじゃないかな。」

「うん…。」

「俺は今のお前が大好きだし、これからのことは二人で考えていけば良いだろ?」

「…。」

 ベーデは黙って頷いた。


「ごめんなさい…、折角来て呉れたのに。」

「いいや。来なかったらもっと煮詰まってただろ?」

「…。」

 ベーデはまた黙って頷いた。


「じゃ。」

「またすぐ連絡するわ。有り難う。」


 *     *     *


 春休みの最後の日曜日。

 渋谷の普段の隠れ家的なカフェ・レストランで帰り際のお茶をしているとき、ベーデが口を開いた。


「駿河、勉強しなさいよ。」

「言われなくてもするさ。」

「そうじゃなくて、これから一年間しっかりと。」

「やけに改まって、どういうこと?」

「私…、留学するの。」


 彼女は此方を鳥渡も見ずに思い切ったように口にした。


「留学…って、何日から?」

「五月から…。」

「何処に?」

「アメリカとスペイン」

「…聞いてないぞ」

「言ってないもの。」

「言ってないものって…。」


「居留先から連絡するわよ。」

「三か月くらいか?」

「違うわよ。」

「半年か?」

「最低でも二年。多分大学も向こうになると思う。」

「…。」


 中学校の時、同じ高校には行かないと知らされた時と同様、いきなり氷の固まりを胸の中に突っ込まれたような衝撃を受けた。

 それでも淡々と話をしている彼女を前に驚くことも出来ず、目の前の彼女を冷静を装って見つめるしか出来なかった。


「もう決めたことだから。」

 彼女は、そう言うと漸く顔を上げた。

 返事を待つようにじっと見つめる眼差しが、少し潤んでいるように見えた。


「そう…、か。」

「ごめんなさい、とは言わないわよ。私の人生だし。これからをどうするかも貴男の人生だし。」

「此処から先は俺に選択させるのか。」

「そうよ。私だって常時いつも分かれ道で選択してきたんだもの。選択を迫られているのは貴男だけじゃないわ。」


 彼女のはっきりとした、確信に満ちた言い方に、それを止めたり、未練がましいことをするのは無駄だと思った。


「わかった…じゃあ見送りには行かないぞ。」

「よく言ったわね。其の決断力。褒めてあげる。此の二年でそれなりに成長したわね。」


「ちゃんと、…季節の便りくらい寄越せよ?」

「有り難う、私の決心を理解して呉れて。」

「寂しくはなるけどな。」

「あら、広い世界中に親友だか彼女だかが居て、何が寂しいのやら。」

「幸せなんだか不幸せなんだか。」


 其の時は、まだベーデもエリーも居ない自分の生活、というものを意識していなかった。

 これまで当たり前のように彼女達が居た生活が、全く変わって了うということなど、意識どころか想像することさえ無理だった。

 けれど、それまで、ただただ《流されるが儘》で過ごしてきた自分の今の状態では、彼女達の決断力に身を任せることしか出来なかった。

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