二文乙六 別離 (2)ペンダント・ヘッド

【ここまでの粗筋】

 天然系な主人公「駿河轟」は高校二年生。

 終始強気の留学生エリーと、愛情深いツンデレな彼女「ベーデ」との間で微妙なバランスをとる毎日。

 盛り沢山だったエリーのお世話も、離校式と共に無事終わるが、駿河にはどうにも釈然としないものがあった。

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 春休みの空港はごった返していた。

 離校式も終えて、もう会えないかと思っていた矢先に架かって来たエリーからの電話で、空港で待ち合わせることになった。


 *     *     *


「お約束、一人で来テ。」

「ベーデは?」

「彼女は、もうお別れをシテきたから。空港では駿河とだけ会い度い。お願い。」


 其の電話を切った直ぐ後、当のベーデから電話がきた。


「私は一足早く済ませたから、明日は私の話題は一切出さないで良いわよ。」

「ああ、そう。」


 例の国歌のことを含めた離校式での一件を話すと、ベーデは鳥渡ちょっと間を置いてから


「…明日、機会があったらエリーのペンダント・ヘッドかネックレスを見てみると良いわ。」

「ペンダント?」

「そう。でも、間違っても見せてなんてお願いしちゃ駄目よ。」

「ふーん。」


 *     *     *


 約束の場所に近くまで来ると、周囲を見回して彼女を捜す。


「Herr Suruga!(駿河さん!)」


 聞き慣れた声がした。

 振り返ると、ゲートの傍。ヨハンさんや他のオーストリアの人らしい人々に囲まれてエリーが手を振っている。

 ワンピースに上品なグレーのコートを羽織り、桜色のスカーフを巻いて、ハイヒールを履いている彼女。

 流石にドレスではないものの、眼鏡も三つ編みもヘアピンも無くて、ずっと昔からそうだったかのように、自然にあのクリスマスや離校式の時のような洗練された姿だった。

 僕はヨハンさんに会釈をしてから、エリーにお別れを言おうとした。

 彼女は両手でストップをかけ、早口でヨハンさんに何かを言うと僕の手を引いて、少し離れた処に誘った。


「皆の前じゃ恥ずかシイから…」

「え、そう?」


「駿河、アリガトウ。」

「どういたしまして。力不足で…。」

「ウウン、一年間。私は鳥渡も寂しくなんかナカッタよ。楽しかった。勉強にナッタ。とってもとっても幸せダッタ。」


此方こちらこそ。また、日本においでよ。」

「うん、来度きたい。いえ、絶対に来ル。」

「離校式のエリー、綺麗だったよ。」


 それを聞くや、彼女は僕を見つめると、其の灰青色の瞳が潤んで滴となって零れる前に僕に抱き付いてきた。

 其の一瞬、スカーフの間からペンダント・ヘッドが見えた。


「駿河。ゴメンね。いっぱい迷惑かけてゴメンね。」

「其様なことないさ。此方こそ頼りないお世話役で申し訳なかった。」

「ううん。私のコトなんか誰も知らない中で、私を私として一緒に居て呉レタことに感謝シテる。大好キ…駿河…。」


 其の後は、とても僕のドイツ語力では分からない言葉を(多分わざと)使って、独り言のように涙声で呟いた。

 僕には只々彼女を抱き止めて、背中を軽く叩いてやることしか出来なかった。


 出発のアナウンスがかかり、彼女は僕から離れ、急いで涙を拭いて、無理に笑った。


「元気で!」

「駿河も! また、イツカ!」

「ん。其の日まで。」


 彼女は僕の目を見つめると、初めて悲しそうな表情を浮かべ、そして、最後の一言を口にした。


「約束デスよ! 貴男が諦めナケレバ、私達は、キットまたいつか逢える!」


 初対面の時と同じく、彼女は少し恥ずかしそうな笑顔を見せて手を振り、皆と一緒にゲートの奥へと消えていった。


 *     *     *


 翌日、僕はベーデの家に居た。


「どうだった?」

「お別れして来たよ。」

「そうじゃなくて。」

「ああ、ペンダント・ヘッドか。」

「そうよ。」

「見えた…。一瞬だったけど。」

「そう。」


「スカーフで隠してたけど、最後に一瞬だけ。」

「駿河なら分かるわよね?」

「ただのアクセサリーじゃないんだろ?」

「国歌と同じ。彼女が彼女である証、ね。」


 なぜベーデが、それが単なるアクセサリーではなく《証》の品だということを知っているのか、僕にはまだ解らなかった。


「何も言わずに、最後まで彼女らしく帰っていった。」

「彼女には、一線を画す《自覚》があるからよ。」

「盛大な誕生パーティーやドレスや国歌が知られても?」

「其処がギリギリのラインだったんでしょう。自らの言動に責任をもつことを求められる彼女の存在として、謂わば子供と大人の境界線。」

「彼女って…。」

「!」


 僕が我慢しきれず、其の先の「答」をベーデに問いかけようとすると、彼女は目を閉じて両掌を此方に向け、言葉を遮った。


「…彼女ね…、遠い親戚なの。」

「は?」

「お誕生日で彼女のお祖母様とお話しした時に偶然分かって…。親戚といってもね、ずっとずっと遡って、また戻ってっていう、凄い遠縁だけど、人類みな兄弟っていうのとは違う、きちんと辿れる血縁。」

「そうなのか? じゃあ、お前こそ、いつでも会えるじゃないか。」

「ううん。親戚だって知ったのは其の時が初めてだったし、私だって彼女の住所は知らない。」


「え? 俺はてっきりお前等くらい仲が良い同性なら住所交換くらいしていると思った。」

「多分、今回の留学で彼女のオーストリアでの…いいえ、本当の住所を聞いた人は居ないと思う。」

「そうか。」


 僕は、まだまだ自分の知らない大きなものの存在や、複雑な背景があるということを、徐々に感じ始めていた。

 と同時に、中学校卒業からまだ二年しか経っていないというのに、あの頃の「ただ一生懸命、がむしゃらに頑張っていさえすれば」という毎日から、何かそれだけでは解決しない物事の複雑さに、疲れ始めていた。

 それは、エリーだけではなく、ベーデのことについても同じことだった。


「此様なDas gibts nur einmalなんて、現実にあるんだな。」

「…時が到れば、きっとまた会える日が来るわよ。」

何時いつだよ?」

「彼女が成人して、自分の意思で世の中と向き合えるようになったら。」


「其様な頃には、俺なんかもう相手にされないさ。」

何様どんな意味でよ?」

「いろんな意味でさ。」

「つまらない男ね!」

「だって…。」

いのなら、それ相応の男になれば良いだけの話じゃないの!」


「親戚のお前でさえ、おいそれと会うことができないほどの娘に、俺なんかがどうやって会えるんだよ。」

「どうして、其様そんなふうに最初から決め付けてかかるの? 私となら気軽に付き合えるくせに、なぜ彼女だと逢うことすら諦めるのよ? それとも逆に彼女の素性が解ったら粉骨砕身、努力する気力でも湧くっていうの?」


「…何だよ、其様そんなに怒って…。」

「…。」

「…寂しくなるな。」

「仕方ないじゃない。」

「お前は寂しくないのか?」

「…私だって、寂しいわよ…」

 其の一言でベーデは泣いてしまった。


 ひとしきり涙を流した後、ベーデはもう大丈夫だと、僕の腕から離れ、一人で座った。


「でも、写真は送って呉れるって言ってたぞ。」

「うん…あと、また大学で、日本に来るって。」

「何にしても、待つしかないんだな。此方こっちは。」

「そうね…。」

「ずっとそういう付き合いかな?」

「おそらく、彼女が成人して、自分の意思をある程度、実現出来るようになるまではね。」


「エリーは充分に意思の人だと思ったけれど。」

「違うのよ、彼女の意思が、少なくとも周囲にマイナスの影響をもたらさないだけの判断力が備わったら、ってこと。」

「随分ポリティカルな話だな」

「貴男もあのペンダントヘッドを見たんでしょう?」

「そうだった…。」

「ポリティカル、エコノミカル、レジオナル。欧州は様々な影響力がぶつかり合ってきた場所なのよ。大なり小なりであっても、其の力から逃げることは出来ないから立ち向かうしかないっていうことを、彼女は嫌と言うほど知っているんだわ。」


 ベーデの言葉に、エリーの一年間の言動が思い起こされた。


 エリーは、此方こちらから見ると、素っ頓狂な言動をしているように思えても、決してそれがもたらした結果から逃げようとはしなかった。

 《愛国行進曲》でも《天地創造》でも、逃げるどころか、眼差しひとつ背けず、自らの信念に従って堂々と行動を起こしていった。

 最初から冗談と解っていることは別として、因果関係のある言動は、何様どんなに些細なことでも誤魔化さず、責任をもって処理していた。

 それに気付いただけでも、日頃から殆ど何も考えずにベーデやエリーのアドバイスに《反射》することだけで日々を送っている僕は、時間差で完膚なきまでに打ちのめされたような気持ちになった。

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