二文乙六 壮士 (2)これくらい知っとけよ!

【ここまでの粗筋】

 天然系な主人公「駿河轟」は高校二年生。

 終始強気の留学生エリーと、愛情深いツンデレな彼女「ベーデ」との間で微妙なバランスをとる毎日。

 ベーデとの大事な逢瀬と天真爛漫なエリーのお世話。

 武道大会で上位入賞を狙うエリーは、4回を勝ち抜き、準決勝に達する。

 -*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-



 はたで聞いていた僕らこそ、『そうなんですか』だった。

 其様な話は、ひとっつも聞いたことがなかった。

 お祖父ちゃんのエリーなら、剣道を習っていた可能性は充分にある。


 準決勝では剣道部の前主将との対戦となった。

 試合前、両者が対座して直ぐに、三年側のギャラリーからドイツ語の歌声が上がった。


「ん? 同じドイツ語選択だから二人にエールか?」

「…まずいぞ…。」


 隣に居た古府川が舌打ちをして呟いた。


「え、だってこれ、Hohenfriedberger Marschって、ドイツの古い有名な軍歌だろ? 乙類だし、エリーに対するナチ云々のあてつけじゃないだろ。」

「違う、曲がまずい。それを知って三年は歌ってんだ。」


 肘で突かれる儘にエリーを見ると、歌声のする三年陣地を睨みつけている。正座と姿勢こそ崩してはいないものの、其の顔は紅潮して歯を食いしばっているのが、此処からでも分かった。


「何だ、何がまずいんだ?」

「良いから、アッチを歌い始めろ、ほら、あれだ。Andreas-Hofer-Lied。駿河早くしろ。」


 何をいきなり言うのかとも思いつつも、事が性急そうなので歌い始めると、古府川も周囲を煽って歌声を大きくした。

 自陣背後のAndreas-Hofer-Liedの歌声が大きくなると、エリーは少し落ち着いたのか、大きく深呼吸をして。肩の力を抜いているようだった。


「赤、二文乙六・ヴィルヘルムス。白、三理乙二・高梁。」


 両陣営の歌声が終わるのを待って、試合が始まった。


 エリーは力の差に先手必勝と感じたのか、最初から果敢に撃って出るが、全てかわされて了った。かわされる度に相手からも撃たれている。

 其の儘一本を取れないうちに時間切れとなった。副審は赤・白判定が分かれ、主審は白を上げた。


「白、三文甲二・高梁。」


 道場内に歓声と落胆の声が同時に上がった。二年以下の落胆の声と、三年の底力の歓声。

 分かれて、面を脱ぎ、手拭いを取ったエリーは、まだ興奮冷めやらぬ状況で正座の儘姿勢を正している。

 声を掛けても振り向かず、とりつくしまもなかった。


 *     *     *


 生徒ロビーのベンチで待っていると、先ほどまでの険しい顔など何処へやらといった風情で、晴れ晴れしく能天気な彼女がやって来た。


「Herr Suruga!」

「お疲れ様。」

「ホラ! ブロンズメダル!」


 彼女はセーラー服に掛けた銅メダルを誇らしげに見せて呉れた。裏には、日付と名前も刻印されている。


「やぁ、初めて見た。凄いね!」

「準決勝で負けたのは悔シイけど、彼処まで勝てたのは『盛り合わせ』のセル技だったね。」

「普通、ラーメン一杯で、其処までやるか?」

「人間、衣足りて食デスよ。食は大事。約束、ご馳走して下サイ。」


 両手をお椀のようにして、僕の顔先に突き出した。


「分かった。好きなもの食べさせてあげる。でも…。」

「デモ? Was?」

「エリー、手がかび臭い。」

「Ah?」


 お椀のようにした儘の手をクンクンと嗅いでいる。


「ベェェ…。」

「アハハ、ずっと小手をしてたからだよ。」

「洗って来マス…。」

「ラーメンは明日でも良いんじゃないの?」

「駄目、絶対今日。今日のことは今日中に!」


 エリーは相変わらず、転びそうになりながら洗面所に走って行った。


 *     *     *


「本当にベスト四に入るとは思わなかったよ」

「ソウイウことを言われると悲しい。」

「何故?」

「これを賭けていたとしても、駿河には私を応援していて欲しかったカラ。」

「応援してたよ。」

「ベスト八まで?」

「其の後もずっと。」

「本当に?」

「本当。」

「エライから、これアゲる。」

 エリーはチャーシューを一切れ呉れた。


「ありがと。」

「多分普段の力ダッタラ十六か三十二だったと思ウ。」

「それでも大したもんだよ。」

「一回戦負けの駿河じゃネ…。」

「痛いねぇ、其の言葉は。」

 奥の方のテーブルでは英国からの留学生君の残念会をやってる。


「私…、マダ嫌われてるカナ?」

「誰に?」

「ミンナに…。」


 彼女の少し沈んだ声で、すっかり忘れかけていたこと、準決勝の試合前に湧き起こった《あの歌》のことを思い出した。


「…お前、彼女の世話役なら、これくらい知っとけよ!」


 あの試合の直後、僕は古府川から肩を突き飛ばされた。

「Hohenfriedberger Marschは、プロイセンのフリードリヒ大王がオーストリアを打ち破ったことを記念して出来た祝勝歌だ。三年あっちはそれを知ってて歌ってんだ。愛国心の強い彼女が、試合で敵陣から歌われて嬉しい筈がないだろ!」

「あ…。」

「あ、じゃねぇんだよ。オーストリアがドイツに勝るものってのは、こと戦争にかけてはそうそうある訳じゃねぇんだ。俺たちで知ってるのは、誇り高いチロルのAndreas Hofer Liedぐらいだ。」

「…。」

「ドイツとオーストリアの違いに拘る人間を預かってんだから、それくらいのこと覚えとけよ! まぁ…もう負けちまったのは仕方ねぇけど、お前、せめて最後まできちんとフォローしろよ!」


 己の不甲斐なさに俯いた僕を再び突き飛ばし、古府川は忌々しそうに行って了った。

 エリーは、古府川の言ったとおりのことを試合前に感じていたに違いない。


「嫌われてなんかないよ。あの歌のことだったら、君が留学生だから特別にやったとか、そういうことじゃないし、それに今日はみんな応援してたでしょ。」

「Ja…。ワカリマシタ。」

 それでも彼女の表情は完全には晴れない。


「あと、妙な気を遣ってるかも。」

「Was?」

「僕が常時いつもくっ付いてるから、僕に全て任せてるっていうか…。」

「Ah…。」

「もし迷惑だったら鳥渡ちょっと距離を置くようにするよ。」

「それは要らナイ。」

「どっちが要らない? 心配? 僕?」

「心配要らない。」

「そう。」

「普段通りで良いデスよ。」

「分かった。」


 *     *     *


 厳寒の二月になった。

「寒いデスね。」

「君は高原の国の出身だろう?」

「日本は全土が北アルプス穂高岳デスか?」

「何言ってんの?」

「駿河の発言は、アメリカに時差が無いと言っているのと同じくらい地理を無視した内容デス。」


「あ、国が全部涼しい訳じゃないの?」

「もう…良いデス。」

「何か温かいものでも食べに行こうか?」

「良いデスね。」


 ベーデがお腹を壊して以来、比較的よく訪れている《うどん屋》の暖簾をくぐった。


「あと二か月デス。」

「そうだね、早いね。」

「Österreichでは、うどん屋もラーメン屋も食べ放題のピザ屋もありマセン。」

「でも他のお店があるでしょ」


「駿河もベーデも、応援部の皆さんも、ホームルームのみんなも居マセン。」

「向こうの友達が待ってるよ。」

「駿河は寂しくありマセンか?」

「それは寂しいよ。当たり前。」

「私、変デスか?」

「全然。」

「…。」


「…もし日本での学校生活が期待外れだったり、嫌な想い出だったりしたなら、僕が代表して謝る。申し訳ない。」

「其様なことナイよ。いろいろあったけど、嫌な想い出許りじゃナイ。どちらもÖsterreichでは経験出来ナイもの許りだった。」

「頼りない世話役でごめん。」

「駄目デス。もっと自信を持たナクては。」

「そう?」

「自信を持ってやらナイと、結果もそれに見合ったものにしかなりマセン。」

「成る程ね」


「駿河はお稽古すればきっと剣道も強いのに、なんでお稽古しないんデスか?」

「何でもかんでもやっている時間はないよ。」

「それは時間を無駄遣いしている人の言い訳デス。」

「そうかな。」

「そうデス。」


 彼女は顔を上げ、真っ白に曇った眼鏡の向こうから此方を見つめた。


(それは何かのギャグか?)

 彼女の行動は、何処までが本気で何処からが冗談なのか、皆目見当がつかない。


「でもエリーはお祖父ちゃんが剣道の達人なんでしょ?」

「そうデス。」

「じゃあスタートが違うじゃない。」

「スタートが違ったら諦めマスか。」

「別の方面で努力する。」

「私、駿河が必死になっているところを余りみたコトがない。」

「うーん…。」


 彼女が何を求めているのか、僕には鳥渡測りかねた。

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