二文乙六 生誕 (13)help me

【ここまでの粗筋】

 天然系な主人公「駿河轟」は高校二年生。

 強気の留学生エリーと、愛情深い彼女「ベーデ」の間で微妙なバランスをとる毎日。

 親友の留学期間も残りあとわずか。彼女にとって晴れ舞台となる定期演奏会も終わり。三人にとって穏やかな残冬になるかと思いきや。

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-



 定期演奏会の翌々日辺りから、ベーデの機嫌が悪くなり始めた。

 元々普段から眉間に皺を寄せる癖があって、機嫌が悪そうな表情をしているから、機嫌が良いのか考え事なのか判断するのも難しいのだが、兎に角何を言っても笑わない。

 彼女の表情に誰よりも慣れている筈の僕ですら判断をすることが困難になってきた。


「…。ごめん、俺、何か悪いことしたかな?」


 不機嫌な表情が二日許り続いた頃、到頭心配が限界になり尋ねてみた。

 彼女は下を向いて首を振った。


「じゃあ、どうかした? 先刻さっきから指でhelp me, help meってずっとなぞってるよ?」

「え…?」


 普段のカフェ・レストラン。彼女は水の入ったグラスの結露を指で引っ張り、其の二つの単語をずっと指でなぞっていた。


「ごめんなさい。鳥渡ちょっと調子が悪くて…。」

「何かあったの?」

「何もない…。ただ…。」

「ただ、どうした?」


 普段なら何も聞かなくても接ぎ穂を次々に接いでくる彼女の言葉が途切れ途切れになっていた。


「調子が悪いの。」

「何処か痛む?」

「お腹…。」


 辛そうにさすりながら無理に笑おうとしている彼女が可哀相に思えた。


「無理しない方が良いよ。帰ろう。」

 素直に頷いた彼女を促して帰途についた。


「鳥渡…掴まらせてね…。」

 腕を組むというよりも腕にすがって彼女は漸くのことで歩いているという感じだった。


「ごめん、気付かなくて。ずっと痛かったんだろ?」

「…。」


 彼女は機嫌が悪かったのではなくて、加減が悪かったのだ。そういう目で改めて見ると、彼女の白い肌が余計白く、また少しほっそりして了ったような気がする。


「ありがと。もう大丈夫。」

 家の前まで来ると安心したのか、少しだけ笑みがこぼれた。


「お家の人、居る? ゆっくり休むと良いね。」

「…。」

 ベーデは、目にうっすらと涙を滲ませて頷いていた。


 *     *     *


 彼女が入院したのは、其の翌日だった。前日のことがあったので心配になり、放課後に電話を掛けてみると、お母さんがいつになく上擦った声で教えて呉れた。


「駿河さんには言うな、って強く念を押されたのですけれど…。」


 面会出来ようが出来まいが、兎に角駆け付ける。


「今、点滴を受けて寝ています…。」


 真っ白な寝床に横になっている彼女の顔は、ほんのり赤みが注していて、少し痩せたかなという以外には普段の顔色が戻って来ていた。

 少し安心して、促される儘に手前のソファにかけてお母さんの話を聞いた。


「今日、学校を早退して勝手に病院に行ったらしいの。それで真っ青な顔で家に帰って来るなり、脂汗を滲ませて倒れて了って。

 吃驚びっくりして日赤に連れてきたら、直ぐに点滴だ、昇圧剤だって、大騒ぎで。本人はもう寝ているだけでも、私の方が疲れて了って。」


 口を開いた途端に、此の娘にして此の母ありの、普段の畳みかけるような状況報告だ。


「病院に行ったっていうのに倒れちゃうなんて、きっと言うことを聞かないで帰って来ちゃったんでしょうね。良い薬だから、暫くこうして病院に縛り付けておきましょ。お見舞い、有り難う御座居ますね。

 綺麗なお花を選んで呉れて。鳥渡活けて来ますから、退屈でしょうけど、普段ツンケンしている分、こういう時しか見られない珍しい寝顔でも見ててやって下さいな。」


 お母さんも少し安堵したのか、花瓶とともに部屋を後にした。


 外は真冬の冷たい風が吹いていても、夕方の太陽は広い窓から部屋の中を温かく照らしていた。ブラインドまで白で統一された室内が、此処が病院であることを否応なしに感じさせていた。


(ふん、殺風景だな…。)


 病院だから当たり前とは言っても、彼女の性格からすると、これほどまでの真っ白さは精神的に参って了うだろう。


(何か雑誌でも買ってきてやるか。)


 彼女が好きそうなものをあれこれ考えていると、布団の衣擦れの音がした。


「…ん。ぁあ、来て呉れたの…。」

「大丈夫? じゃないよな。」

「ん…。恰好悪いところ見せちゃったわね…。」

「初めてだな、お前の弱いところを見たのって。」


「…。強くなんかないわよ。私は私。」

「ごめん。先入観持って。」

 彼女は少しだけ首を横に振った。


「少しは労って呉れる?」

「意外な一面で見直した。」

「は?」

「女らしいんだな、って。」


「…鳥渡此方に来なさい。」

 彼女の方に顔を近づけると、左手でデコピンされた。


「タタタ…。指の力はあるんだな。」

「か弱き乙女よ。」


「…病院に行ったんだって?」

「…。」

「なんで病院に行ったのに具合悪くなったの?」

「…病院に行ったから、もう大丈夫だと思ったのよ…。」

「行けば大丈夫ってものじゃないだろ。ちゃんと療養しないと。」

「あ~喧しい。病人に説教しないで頂戴。」

 彼女がプイと窓の方を向いて了った。


「今は、落ち着いてるの?」

「…。」

 向こうを向いた儘頷いている。


「何だったの?」

「…。」

「言い度くないこと?」

「…。」

「俺の所為?」

「…。」


 彼女の返事がない儘、僕は悪い方に悪い方に考えを巡らせていった。


「一人で病院に行った、ってお前…。」

「私の身体のことだから。」

「そうは言ったって。」

「前にも言ったわよ。常時いつも貴男と一緒っていう訳にもいかないでしょう?」

「時と場合によるだろ? 俺の責任なら…。何か処置したのか? 身体、本当に大丈夫なのか?」

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