二文乙六 生誕 (11)馬鹿なんだか 賢いんだか

【ここまでの粗筋】

 天然系な主人公「駿河轟」は高校二年生。

 強気の留学生エリーと、愛情深い彼女「ベーデ」の間で微妙なバランスをとる毎日。

 毎日を共にする留学生の友人と、別学校に通う彼女との付き合い方に遅まきながら悩む中、留学期間も残りあとわずかとなった。

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「…ハァ、アリガト。…助かりマシた。で、何デシタっけ?」

「自分の才能に気づいて、それを利用しなさい、でしょ?」

「そうそう。大事デス。」

「君はクラシックな歌は上手いのかい?」

「聴いて驚くなよ、デス。」


 つい今まで苦しんでいたことも全然反省せずに、また一気にアイスクリームを口に運んでいる。


「日本語として正しいのかな、それ。」

「あれだけ有名になった私のデヴュー愛国行進曲を聴いていマセンでしたか? それはそうと、ちゃんと聴きに来るんデショウねぇ?」

「行くよ。みんなで。」

「アリガト、auuuu…!!」


 案の定、また項垂れてうなじを指差している。


「馬鹿なんだか、賢いんだか…。」

 僕が手を当ててうなじを温めてあげると、暫くして氷のような左手で僕の手首を掴んでうなじから外した。


「ハァ…どうもデス。駿河と一緒デスよ。」

「それも一緒か?」

「煮物ドウスル。」

「は? 《似た者同士》だろ?」

「Ah, そうデスか、そう言いマスか。勉強になりマシタ。アリガト。」


「あんまり其様な冷たいデザートばっかり食べてると風邪ひくぞ!」

「今日は、お祖父様、お祖母様とお外でご飯デスから大丈夫。」


「君は、常時いつもお外でご飯だろ?」

「あ、違いマスよ。大抵はヨハンさんのお家でご馳走になってますし、ちゃんと自分で作りもしマス。」

「料理が得意そうには見えない割には荒れた食生活が健康に出てないな、と思ったら、そういうことか…。自分で作るって何を?」

「…カレーライス…。」

「それはお湯で温めるだけだろ? 然もお祖父様、お祖母様にまで食べさせてるんじゃないだろうな?」

「日本は便利です。何でもお湯で温めるだけで出来て。」

「…。身体壊すぞ。」

「お外で食べるときはサラダいっぱい食べるから大丈夫。」

「良いのか? 本当にそれで。」


「それで、鳥渡ちょっとお願いがありますケド。」

「けど、なんだい?」

「モゥ! あるんデス。」

「何さ?」

「今度の週末にマエストロが来マス。」

「マイ・ストロー?」

「《マエストロ》デス! 演奏会当日の総合指揮者デス。」

「今までは誰が指揮をしてたのさ?」

「交響楽団のOBデス。」


「其のマエストロは普段指揮しないで何してるの?」

「忙しい人なので、そう何回も練習には来られマセン。」

「へぇ、偉い人なんだ。」

「大OB&大音楽家なのだそうデス。」


「それで?」

「駿河に一緒に練習に来て欲しいデス。」

「何だ、珍しく弱気だね。パパに見ていて欲しいってかい?」

「違いマス。通訳をして欲しいデス。」

「通訳って、君は僕より日本語に堪能じゃないか? 然も僕は専門的なことは君ほど明るくないぞ。」

「其様なことは分かってマス。」

「なら、何故?」

「私の性格を知っているデショウ?」

「君の性格か? スカートの下に普段スコートかショート・パンツを穿いてるとか、冷たくて甘いものに目が無くて常時いつも後頭部を痛くしてるとか、ノンポリが大嫌いだとか?」

「違いマス! それは性格ではなくて、特徴デショウ! …それを認めている私も情けないケド。」


「じゃあ何さ?」

「感情的になると日本語が出マセン…。」

「音楽の練習で、何だって感情的になんかなるの?」

「Ah,駿河は知らないデスネ。音楽の練習ほど感情がぶつかり合うものはナイデス。」

「そうなの?」

「これまでの練習でも、詩の解釈や表現方法で大分議論をシマシタ。」


 エリーが《議論》ということは、可成りのものだ。

 彼女にとっての《普通の話し合い》は日本人が言う《議論》で、彼女にとっての《議論》は日本人が言う《口喧嘩》か《口論》に相当する。


「で、僕に仲裁しろって言うの?」

「違いマス。通訳デス!」

「マエストロならドイツ語だって分かるでしょ。」

「でしょうケレド…。」

「ああ、分かったよ。僕じゃなきゃ駄目なんだな?」

「そうデス…。」


 彼女が伏し目がちに眼鏡をズリ上げながら此方を見ている。どうやら、此の分だと交響楽団とは大部やりあっている様子だ。

 其処にマエストロがやって来れば多勢に無勢。でも、エリーとしては《国家の威信》をかけて天地創造を成功させ度い。其処には鳥渡の妥協もあってはならない、という頑固さが現れていた。


「で、何時からなの?」

 僕の答えに彼女の額から漸く皺が取れた。


 *     *     *


「どうして僕は此処に座ってるんだ?」

「通訳をお願いスルと言ったじゃありマセンカ。」


 吹き抜けになった大音楽室のど真ん中。交響楽団の前、指揮台の真横にあるソリスト席でエリーの少し後ろ、つまりは誰からも良く見える位置に椅子が用意されていた。


「そうじゃなくってさ、何処か外れた処からじゃ駄目なの?」

「通訳は言葉尻だけじゃアリマセンよ。話者の微妙な雰囲気まで感じ取って…。」

「ああ。分かった。分かったよ。其処までして良いんだな。」


 周りではギコギコ、ブーン(此様な表現をしたら交響楽団に失礼だが)と楽器の調子を合わせる音が響いている。


「君は発声練習とか良いの?」

「私たちの声楽練習は先刻終わりマシタ。」

「あ、そう。」


 一瞬、楽器の音が止まり、小さな拍手が聞こえた。


「おはよう御座居ます。」


 交響楽団の生徒が立って次々に挨拶をしている。


「おっはよう。やってるかな? ん?」


 明るい声と共に入って来たのは、にこやかな三十代半ばくらいの紳士。

 ノータイでジャケット姿は、如何にも芸術家。

 芸術に対して其様な貧しいイメージしか持ち合わせていない僕が、音楽的国粋主義者(?)のエリーと、芸大の博士課程出身で新進気鋭の指揮者との間を通訳するのだという。恐ろしいことだ。


「よろしくお願いします。」


 ソリストが一人一人、マエストロに近付いて握手と挨拶をしている。エリーは出遅れたのか、満を持してなのか、最後になった。


「ヨッ、大天使ガブリエル様のお出ましだね。」


「よろしくお願い致します。エリザーベト・マリィ・ヨーゼファ・ヴィルヘルムスと言います。」

「ヨーゼフかい。作者と同じ名前かい。」

「Ich bin Österreicherin.(私はオーストリア人です)」


(おい、もう日本語駄目か…。)

 僕は泣きそうな気持ちだ。


「うん、聞いてる。それなりに思い入れも強いね。一緒に良いものを作ろう。」


「Die Japaner versuchen nie, die Gefühle echter Österreicher zu verstehen.

(日本人は、本当のオーストリア人の気持ちを全く理解しようとしません。)」


(あらら、最初から喧嘩売るなって…。此方の身にもなれって…。)

 何が気に入らないのかというくらい、彼女は仏頂面でマエストロを睨んでいる。

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