二文乙六 生誕 (9)一晩を共にしたんですって?
【ここまでの粗筋】
天然系な主人公「駿河轟」は高校二年生。
強気の留学生エリーと、愛情深い彼女「ベーデ」に挟まれて、精神バランスも揺れがちな日々。
クリスマスをベーデと温かく過ごした後、エリーにねだられて出かけた元朝参り、海辺に建つ食堂の席で朝を迎える。
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一つだけ甘酒のお代わりを頼むと、お店の人がエリーのために敷布を持ってきて呉れた。
其の甘酒も冷えて、熱いお茶が運ばれて来た頃、眼下の岩場が少し騒々しくなった。
「あぁ、昇るようですね。」
言われてみると、先刻教えられた辺りが白から金に変わりつつある。
「エリー、起きてご覧?」
「mm? 出マシタ?」
「出るよ…。」
「ンン。」
彼女はテーブルの上に置いていた眼鏡をとって、寝床から這い出てきた。
「ほら。」
板の間との境に胡座をかいて座っている僕の前にエリーは腰を下ろし、僕にそのまま背中を預けてきた。
「アァ、本当に日出づる国デスね。綺麗。」
彼女の髪の香を感じながら、胸からお腹にかけて、ベーデ以外では初めて女の子の身体を感じていた。
少しずつ、目に見えるように厚みを増してくる橙色の火球が、部屋の中を朝焼けで照らし出した。
エリーの髪の毛の一本一本が日光に照らされて文字通り黄金色に透き通るように輝いている。
「大丈夫? 寒くない?」
寝床から敷布を取ると、エリーの前から掛けてやった。
「Danke,大丈夫デス。」
斜め上を向くように振り返った彼女の濃灰青の瞳に太陽の輝きが反射していた。
「フワァァァ!」
太陽が漸く全ての姿を現したことを見届けると、彼女は大きく伸びをした。
「アゥッ…! ゴメナサイ! すっかり寝ぼけて、此様な失礼ナコト!」
彼女はノビを終えると同時に、何かに気付いたようにハッと僕の胸の中から起き上がった。
「アハハ、良いよ。眠かったんだろ?」
「アァ…、油断してマシタ。失礼しマシタ。」
「お家じゃ、未だにお父さんの膝の上が指定席?」
「…其様なことアリマセン。からかわないで下サイ。」
真っ赤になっているエリーを促し、座布団と敷布を隅に積み上げ、支払を済ませて外に出た。
日が昇ったことを境に、今度は人の流れが逆方向になっていた。
「磯を見てから帰ろうか?」
「…、まだ帰る話をしないで下サイ。」
「子供みたいだな。」
「真っ暗闇から始まって、段々明るくなって、日の当たる処に出て来て。元朝参りは人の誕生を思い出す行事なんデスね。」
「はあ、言われてみればそうかな。」
「毎日生まれ変わっていれば、常時新鮮な気持ちにナレマスね。」
「何か、煮詰まってるのかい?」
「いえ、大丈夫…、大丈夫デス。」
帰りは、疲れ切って大口を開けて寝ているエリーを乗せて、小田急の特急電車で都心へと戻った。新宿から乗り換えて、マンションまでやって来ると、珍しく彼女が握手を求めてきた。
「アリガトゴザイマシタ。」
「どう致しまして。」
「さあ、ベーデのところにお戻り下サイ。」
「ん?」
「今日は一晩お借りシマシタ。」
「大袈裟だよ。」
「イイエ、楽しかったデス。」
「それは良かった。風邪をひかないようにゆっくり休んでね。」
彼女はこっくり頷くと、手を振りながらエントランスの中へと消えていった。
* * *
「金髪美人と一晩を共にしたんですって?」
「…其の前に、明けましておめでとうは?」
「ちゃんと年賀状出したでしょ?」
「来たねぇ。」
三が日が明けた途端、ベーデから電話が入った。
「何処に泊まったの?」
「元朝参りだったって知ってるだろ?」
「よく北鎌倉から江ノ島なんて歩いたわね。」
「お前とは休みの度に彼方此方散々っぱら歩き回ってるじゃないか。」
「あら、そうだったわね。最近すっかりご無沙汰だから忘れちゃったわ。」
「今度、箱根八里でも越すか?」
「良いわよ。草臥れるから。」
「そうだな、お前が草臥れたら鍋焼きうどんどころじゃ済まなくなる。」
「温泉卵で良いわよ。」
「本当か?」
「其の代わり、お宿は高級な処にして頂戴。」
「はいはい。社会人になったらね。」
「初詣に行くから出ていらっしゃいよ。」
「何だよ、クリスマス・イブに行っただろ?」
「厭なの?」
「厭なわけないだろ…。」
ベーデがエリーとのことに対抗心を燃やしているのは明らかだった。
僕に其の気が無いとは分かってはいても、彼女は何かをせずには居られなかったのだろう。それは立場を変えてみれば直ぐに理解できた。
当人同士は、元朝参りのことを正直に報告するほど仲は良かったものの、それが女同士の秘めたる心の奥底まで落ちて咀嚼されると、別の感情に発酵して了うらしい。
「A Happy New Year!」
「おめでと。」
新年ということもあるのか、ベーデは可成り念入りにドレスアップしていた。
(ちったぁ、ましな格好をしてきて良かった。)
僕は大概予想は出来ていたので、成る可く彼女に恥をかかせない格好をして出て来ていた。
「ちゃんとしてる?」
ベーデは面を合わせるなり、僕の襟元をグイッと掴んで中を覗き込む。
「してるってば。こら、擽ったいだろ。」
彼女が確かめたのは、クリスマス・イブに僕にプレゼントした《金の草鞋》だ。
「上等、上等。褒めて遣わす。」
先ずは《貞操帯》の確認が済んで上機嫌なようだ。
「さあ、私を喜ばせる処に連れて行って頂戴?」
「初詣じゃないのか?」
「何処でも良いわよ。」
エリーから、
「じゃ、連いておいで。」
僕らは、ほぼ二年ぶりに中学校にやってきた。
朝、遅刻を気にしながら走り抜けていた頑丈な鉄門が、古代の城門のようにピタリと閉ざされている。其の上には学校名が漢字と英語で記され、さらに上に錆び付いた徽章が鎮座していた。校門に上がる数段の石段の下で、僕等は同じように鉄門を見上げる。
宝物庫のように頑丈な錠がかかっている鉄門。少しだけ路面より高くなり、周囲を校舎で囲っている中学校は、門が開かない限り中を垣間見ることすらできない。
其の閉ざされた鉄の扉の中に、僕等の始まり、そして想い出が詰まっている。背中に午前中の太陽の日ざしを感じながら、多分同じ思いで鉄の門を見上げ続けた。
腕を組んでいたベーデの頭が僕の肩にすり寄ってきた。僕はポケットから手を出して彼女の肩を抱き寄せた。
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